頭上には真っ青な空。
冬の乾いた太陽に、浮かぶ白い雲。
そして。


「皆守…?」


眼下にはクラスメイトの寝顔。


巧妙
自制
バランスゲーム


「…え?」


彼は気配に敏感だ。
本人は上手く隠して通しているつもりでいるようだけれど、
そういった類いの"爪隠し"を見破っていくのが、
一種職業病といえる自分などには通用するものではなく。
彼が本当に眠っている事というのは実はとても少ない。
しかも本当に眠ったとしても半径5m以内に近付けば相手の気配を感じ取って目を覚ます。
目を覚ましてもやはり目は閉じたままなのだけれど。
そうして相手が近付き声を掛けてくるのを待って、
まるで今し方目が覚めた風を装ってから瞼を上げるのだ、彼は。
しかし。


「寝てる、の…?」


眼下には穏やかな寝顔。
そして静かな寝息。
呼吸量、呼吸に伴う胸部の上下運動、眼球の動き。
どれをとっても今の彼は、まさに睡眠下にあるとしか判断が下せない。
彼が眠っている。
目前で。
無防備に。
寝息さえ立てて。


「………」


何事だろうと思う。
思って、もしかして自分のせいだろうかとも思った。
ここ最近、彼には毎晩のように探索に付き合って貰っている。
もはや固定といってもいい状況かもしれない。
夜中メールで『都合が良ければ付き合って欲しいんだけど…』と送れば、
数分も経たぬ内に『別に構わないぜ』と返してくれるものだから、
私は少しばかり調子に乗っていたのかもしれない。

彼は私とは違う。
『一般人』なのだ、彼は。


「…ごめんね」


毎晩、連れ回して。
掠れた言葉尻は自分にも聞き取れない程で、風にまじり消えた。


「ごめん」


だから。
そんな情けない声ならきっと夢の中の彼には届かないだろうから。
こんなこと。
卑怯なのは知っているけれど。
臆病なのも判ってはいるけれど。
今だけ、だから。

一度だけだから、許して。


「こう…」


どうか、呼ばせて。


「───…こう、たろう」


苗字ではなく、その名前を。





「何がだ?」





胸の奥から絞り出した自分でも驚く程に拙いその音に、彼の両瞼がぱっちりと上がった。





「!」
「ふぁ〜、良く寝た」
「…起きてた、の」
「あのな。寝てたって今言ったろうが」
「だ、だって…っ」
「ふぅん…、随分と動揺してるみたいだな」


眼下に、先程までの穏やかな寝顔はもう何処にもなく。
あるのはしてやったりといった男のしたり顔。
ああ、もう。
何だというのだろう。
寝ていると思ったのに。
絶対に寝ているとの確信があったのに。
全ては私の思い上がりだったのか。
彼の演技の方が一枚も、もしかしたらそれ以上にも上手だったということなのか。

ばつが悪くなって、気恥ずかしさも手伝ってか自然とむっつり顔が顰まる。
それを見てまた楽しげに口の端を上げる彼。
その彼は懐からジッポを取り出すと、ゆったりとアロマに火を付け燻らせた。
そして一旦こちらを見上げて視線を合わせると、その大きな手でぽんぽんと二度地面叩く。
叩いた位置からして『隣に座れ』と、つまりはそういうことなんだろうかと思う。
けれど先程の寝たフリもあっていまいち確信を持てずにいれば、
「立ってないで座れよ」と、彼は私が必要としていた言葉を的確に付け足してくれた。


「絶対に寝てると思ったのに…」
「だから寝てたろ」
「…あんなぱっちりと目を開けておいて良く言うわよ」
「俺は寝起きはいいんだよ」
「嘘吐き」
「何でだよ」
「だって夕薙君が言ってたもの。
 『甲太郎は三年寝太郎どころか三万年寝太郎だ』って」
「………」


『三万年寝太郎』。
それはこの間、突然「悪い、急用ができた」として、
ふらりと校舎に踵を返してしまった彼と別れた後、
ちょうど昇降口で出くわしそのまま一緒に寮まで帰った夕薙君が彼を評して言った言葉だ。
最初は『三年寝太郎』というのが何か判らなくて首を傾げた私に、
夕薙君は日本の昔話なのだと言って話の内容を丁寧に教えてくれたのを思い出した。


「皆守の特記事項に『三万年寝太郎です』って書き足してやるんだから」


そっぽ向いて、拗ねたように言う。
すると返ってきたのは、予想外にもいつもの不機嫌そうなツッコミではなくぬるい沈黙。
不思議に思って皆守の顔を見遣れば、そこにあったのはじっと自分へと注がれる視線だった。


「…皆守?」
「名前」
「は?」
「名前で呼べよ」
「呼べって…」


訳が判らない。
口を噤んで言外にも問えば、一変、相手はにやりと楽しげな笑みを浮かべて。





「呼びたいんだろ? 俺を、名前で」





満足げな表情でそんな事を言い放った。





「誰が…」
「お前が」
「…皆守ってそんな自信過剰な男だった?」
「さあな」


真横にあるしたり顔に、一つふむと考え込んでみせる。
勿論、思い浮かんだ妙案に上がりかけた口の端はしっかりと利き手で覆い隠して。
だってしてやられてばかりではつまらない。
だから。


「甲太郎」
「───…何だ」


呼ぶ。
平然と。
けれど堂々と。

そして。





「呼んで欲しかったんでしょ?」





言えば彼は、ぽろりと口からアロマパイプを落としそうになった。





「…言ってくれるな」


そうして目を見張った彼は、そのあと後ろ手に髪を掻き回すと盛大な溜め息を吐いた。
今回は返り討ち、要するに私の逆転勝利であるらしい。
嬉しくなってつい堪えきれず声を立てて笑えば、
隣の彼はさっきまでの私のように、むっつりと不機嫌そうに顔を歪めた。





「だって私も甲太郎に呼んで欲しいから、名前で」





そんな更なる私の追い打ちに彼は、今度ばかりは完全にアロマパイプを取り落とした。


親友以上恋人未満。
ついでに嫉妬魔人な皆守に愛。

image music 【 月と負け犬 】 _ 椎名林檎.