03.


「白岐」
「葉佩さん」


保健室の扉を開いた彼は、ベッドに腰掛ける私を見るなり目を見張った。


「具合悪いのか」
「ええ、少し…」


その語尾は決して疑問系ではない。
そう、彼は「どうした?」だとか「大丈夫か?」とは決して言わない。
おそらくそれは、私がこうして調子を崩す理由が既に彼の推論上にあるからで、
実際大丈夫であったら此処に居たりなどしないのだから、
余計な事柄として、そうしたそれら口に出すことがないのだろう。
とても些細ではあるけれど故意であるそれは、私にとって酷く心地良いものと思えた。


「ルイ先生は?」
「すぐに戻ると…職員室に」
「そっか。何か要るもんとかあるか?」
「え…」
「ほら、喉渇いてるとかだったら何か作るよ」
「作るって…」


一体、何を作るのというだろう。

此処は學園の保健室。
瑞麗先生私用の冷蔵庫こそあるが、
勿論瑞麗先生私用の冷蔵庫の中身なんて自分には想像しようもないのだけれど、
それでもその中に一般的な調理素材があるとは考え難い。


「有り合わせの漢方で薬湯とか」


声には出さず、沈黙で問えば彼は、
きょとんと頭上に一つ疑問符を浮かべてけろりとそんな事を言った。

漢方はちょっと其処らにあるような物ではないし、
薬湯も片手間に作れるような物ではないように思う。
けれどそれも所詮、常識という自分に都合の良いものさしで私が彼を測ったから、
違和感を伴ってこの目に映っただけの話であって、
彼の常識からすればそれはさしてどうということもない事象なのだろう。

何にせよ、薬湯を作って貰わなければならないほど具合は悪くない。
「いいえ結構よ」と答えれば、「そっか」と彼は苦笑した。
もう少し言い方があったかもしれない。
これではまるで拒絶でもしたようにもとれる。
そんなつもりは無い。
無かったけれど。
しかし今から訂正するのもおかしな気がする。


「そうだ、白岐」


言葉を選び倦ねていれば、何てことはなく彼が先に口を開いた。


「隣いいか?」


彼の意図が掴めず黙ったままでいれば、
「嫌だったら嫌って言ってくれていいぞ?」と彼はからからと笑う。
嫌ではない。
だからそのままを口にすれば彼は「ありがとう」と笑って、
彼は静かに私の隣へと腰を降ろした。
ギシリともベッドが鳴かなかったのはやはり彼がプロの《宝探し屋》だからなのだろうかと、
ぼんやりとそんなどうでも良いことを思う。


「本当は俺じゃなく、八千穂が一番いいんだろうけどな」
「…?」


少なくとも私にとっては脈絡の無い人物名の登場に、いよいよ首を傾げる。
彼は私と話す時、必ずと言って良いほど会話をリードしてくれる。
言葉の足りない私の話からも、その多くを拾い上げてくれる。
だから私も、出来る限り彼の声から多くのものを拾い上げようなんて、
こうして非常用的で能動的なことを思うのだ。
今もそう。
私は『俺』『八千穂』『一番』という単語とその繋がりに推論を働かす。


「だって具合が悪い時って誰かに傍に居て欲しくならないか?」


けれど彼はいつだって、私の予測を鮮やかに裏切ってみせるから。


「突然ふいに体調が悪くなるなんて恐いし不安だろうからさ。
 俺でも傍に居れば、少しは安心できるんじゃないかと思って」
「安心…?」
「そう。もし白岐が倒れたら俺がきっちりベッドに運ぶし、
 気分が悪くなったらルイ先生が何処に居ても學園内一走りして連れて来る。
 不安だったら雛川先生説得して、八千穂を此処に呼んで来るからさ」


そこまではしてくれなくても良いと、正直思う。
けれど不思議と煩わしいとは思わない。
むしろ、そう。
嬉しい、と。
常人ならばそう表現するのだろう気分になる。


「悪い、鬱陶しかったか?」
「…いいえ」


嬉しかった、と。
そのままを言えればいいのに。
拙いこの口は、その6文字が繋げられない。

けれど。


「そっか、良かった」


そう、彼はいつだって。
他の人間など拾い上げようとも思わない私の、
その多くをこうして拾い上げて、やはり嬉しそうになんて笑うのだ。


「辛いなら横になってた方がいいぞ」
「いいえ…」
「もしかして夢見が悪いのか?」
「…ええ」


どうして判ったのだろう。
彼が普段から陽気に振舞って隠そうとする、その抜きん出た洞察力と分析力は、
本当に場所を選ばず発揮されているものだと改めて再認識する。
私の、自分にすらも把握し得ない変化を、彼は一体どうやって取り上げているのだろうか。
思うが結局、この口がその疑問を言葉にすることはなく。
また彼も私の思うところを感じ取っていて敢えてそれに答えることなかった。
すっとベッドから腰を上げると彼がしゃっとカーテンを閉じる。
頂上近い太陽のその肌を刺す光が、ふっと撫でるような柔らかなものになった。
ついで彼は丁寧な手付きでベッドの掛け布団をめくる。
ぽんぽん、と。
まるであやすかのように枕を叩いて彼は言った。


「じゃあ、尚更だ。
 今の内にゆっくり寝とけよ」


そういえばさっき、瑞麗先生が保健室を後にする時、
『顔色が良くない。私が戻って来るまで横になっていなさい』と言っていたのを思い出す。
もしかしたら自分で思っているよりもずっと体調は良くないのかもしれない。
何と言っても、彼がこうしてお節介を承知で世話を焼いてくれる程なのだから。
こくりと一つ頷いて、彼に促されるまま白いシーツへと身を横たえる。
枕に頭を置いて天井を見上げれば、彼がそっと掛け布団を肩辺りまで被せてくれた。
優しい手付きだと思う。
そんなことをぼんやりと考えていると、彼が再びベッドへと腰を降ろした。
ふわり、と。
見上げれば、午後のひだまりにも劣らない穏やかさで彼は微笑う。

そして。


「お節介とは思うけど、こうして俺が傍に居るからさ」


そっと。
握られ、繋がれた片手。


「おやすみ、白岐」


その乾いた掌とても暖かく。
まるでひだまりのようなそのぬくもりに、まどろみを覚えた瞼は心地良く重くなって。





「───…ありがとう」





今この暖かさは永遠だった。