「───…ん」


柔らかな乳白の光に撫でられ、薄く瞼を開く。
視界一杯に広がるのは白。
否、白く波打つ布。
ベッドのシーツ。
白を照らし出す光の色に、今が朝も遅めの時間帯であることを悟る。
ああ、寝坊だ。
天辺へと登る途中の太陽が降り注がせる光の、甘やかすようなぬくみとにおいが、
理性を呼び出そうとする頭の芯をやんわりと鈍くするが、
このベッドの本来の持ち主の香りが、どうにか徐々に意識を覚醒させていった。


(……ああ、昨日はジェイドのトコに押し掛けたんだっけ)


そう、昨晩は日付けも変わって大分経った遅くに押し掛けたジェイドの執務室。
大佐クラスにもなると執務室の奥に仮眠室を用意されるのだ。
毎度のことながら、それを目当てにノックもせずに部屋へと入ると、
扉と壁越しにも気配を拾っていたらしいジェイドは驚いた様子もなく、
「今日の手土産は何です?」と開口一番書類から視線も上げずに言って寄越した。
「どうぞお納め下さいませ」。
自室から引っ掴んで持って来た葡萄酒とビターチョコを横を通り抜けるままにも押し付けて、
仮眠室のノブに手を掛け、押し開き、足を踏み入れ、勢いもそのままにベッドへダイブした。
何故か。
限界だったからだ。


(…ジェイドの、香水のにおい…)


月が白く細くなると、身体に直に刻み込んだ譜陣が疼く。


(いい、におい……好き…)


肌に染み付いた、入れ墨のようなそれが、
肉から温度を失なわせ、疼いて痛みを生み出す。
まるで細く冷たい針の束に貫かれるようなそれ。
もはや慣れの領域にある今、叫ぶことこそもうないがしかし呻かずにはおられない。
痛みに脳髄を犯されて夜を越し、疲弊しきったまま朝を迎える。
言うなれば後遺症。
他の誰でもない、自分が望んで手に入れた力とその結果。
まだ見ぬ仲間と出会うために、唯一人の男の傍らに在りたいがための代償が、
この程度なら安いものだと強がりでも何でもなくそう思う。
思うがやはり痛いものは痛い。
辛いものは辛いのだ。
だからこそ、鎮痛剤代わりのジェイドの残り香を求めて押し掛ける。
本当なら弱みなど見せないに越したことはないのだけれど、
私から行かなければ、どうしてか向こうから来てしまうものだから、
結局同じことならと足を運んでしまうのだった。


「ジェイ、ド…」


微睡みに浸ったまま部屋の扉へと視線を巡らせる。
ジェイドの姿は見当たらない。
扉一枚向こうの気配を探ってみてもよかったが、億劫なのでやめた。
今この微睡みを手放すのは惜しい。
シーツへ頬を擦り寄せる。
鼻孔をくすぐる涼やかで、けれど微かに甘やかな香り。
ジェイドの残り香。
無条件に神経の隅々までくすぐって解きほぐすそれは、
まるでジェイドが傍らに居るような錯覚をもたらす。


「……ありがとうね、ジェイド」


こうして私が執務室へ押し掛け仮眠室のベッドを占領すると、
決まってジェイドは仕事で、執務卓と椅子をベッドに夜を明かしてくれる。
昨日もきっとそう。
私はジェイドに甘えてる。
自覚はある。
重荷にはなりたくない。
言えばジェイドはいつも『貴女の場合、少し重いぐらいが可愛げがありますよ』と、
底の読み切れない揶揄を寄越すのだけど。


「ねぇ、ジェイド…」


私はその度に『こんな可愛い女を捕まえといて何言ってるのよ』と肩を竦めて。





「───…好きよ、どうしようもないぐらい心底」





こんな可愛げの無い女だけど本当に好きだから、どうか、許して。





「いいえ、どういたしまして」
「───!?」





血の気が引く、とは。
きっとこういう脳裏と背筋の寒さのことを言うのだろうと、そう思った。





「ジェ、ジェイド…!?」


鼓膜に馴染んだ低い声に弾かれ、反射的に身を起こす。
高級なベッドのスプリングが軋んで身体が数度弾む。
もはや確信にも近い予感に嫌な汗を抑え込みつつ恐る恐る上半身で振り返れば、
やはりそこには実ににこやかな笑みを浮かべるジェイドが立っていた。
既にしっかりと蒼い軍服を着込んで身支度は整っている。
窓を背にし、穏やかな陽射しに輪郭を融かして笑うその男は、
不器用に硬直する私を余所に「寝癖がついてますよ」とこの髪を梳いて寄越した。


「………気配を消して人の寝言を鑑賞なんて、またイイ趣味を増やしたみたいね」
「いやですねぇ。
 カーテンを開けたら目を覚ますなり独り言を喋り出したのは貴女なんですから。
 不可抗力ですよ」
「綺麗さっぱり気配消しといてよく言うわよ」
「不用意に貴女を起こさないようにとの真心です」


どうやら私が目を覚ました直接の要因は、遅めの朝陽のせいではなく、
寝坊した私の様子を見に部屋へ入って来たジェイドの気配のせいらしい。
我ながら大した惚れっぷりだ。
というか穴があったら入りたい、もとい穴を掘って埋まりたい。
むしろ自分で掘るからどうか埋まらせて。
このネタでしばらくイジられることはまず確実。
ともすれば、最近何かと暇を持て余している陛下も、
一枚どころか数枚噛んで食い付いてくること受け合いだ。
皇帝と懐刀コンビのタッグ攻撃。
想像したくもない。
上掛けを乱暴に引っ掴んで頭の天辺まで隠す。
まるで拗ねた子供のそれ。
くつくつと喉を鳴らして笑うジェイドの笑い声が、
上掛け越しにも陽射しと一緒に心地良くこの身体に降り注いで染み渡った。


「おや、不貞寝ですか」
「二度寝よ」
「なら私も御一緒させて頂きましょうか」
「………は?」
「このところ陛下が景気良くばっくれて下さるおかげで私も睡眠不足で…」
「ちょ、ちょっと」
「やー、これだから年をとるのは嫌ですね」
「どさくさに紛れてどこ触ってんのよ!」
「そんな遠慮なさらず」
「いや、これは遠慮じゃなく拒否だから。気付いて。お願い」
「貴女のお願いには弱いんですよねぇ」
「言ってることとやってることが違う!」





結局、問答無用にもジェイドに後ろから抱きかかえられる形で抱き枕にされ、
マルクト軍第三師団師団長と師団長補佐官行方不明のまま午前中一杯を過ごした。
(そして当然の帰結の如く、陛下にとことんまでイジリ倒された)

遠慮ではなく 
拒否ですから。


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