…バレンタインチョコを作ってしまった。





「さて、どうしたもんか…」


今日が元の世界でいう2月14日だと気付いたのが今からちょうど1週間前。
ふっと湧いた郷愁やら何やらにと駆られて、
往生際悪くも「自分へのご褒美」と銘打ってチョコを買い込んだのが3日前。
そうこうしてB型凝り性が災いしてか、何ともはや凝りに凝った、
職人に張り合わんばかりのチョコ菓子なんて作り上げてしまったのが13日の夜。
そしてそのチョコを見下ろし溜め息を吐く現在は、当日14日の朝である。


「そう、お菓子を作るのは好きなのよ。作るのは。
 でも食べるのはそれほどでもないっていうか、
 チョコは全く食べられないことはないけどでもぶっちゃけ好きじゃなかったりして…」


何を一人劇場を催しているのか。
しかしそうして内心では言い訳を捏ね繰り回し練り上げながらも、
手の方はせっせとラッピングに勤しんでいるのだから我が事ながら笑える。
陛下からの特例で自宅通いの認められてる自分。
出掛けるまであと20分。
そう20分も時間が余ってたからいけないのだ。
20分も余ってなかったらこんなラッピングする暇なんて無かった。
そうすればこのチョコは今も皿の上で、一日中太陽を眺めて皿の上で、
そうして一人寂しく夜まで私の帰りを待ち、
帰宅を待ってこの胃袋に収まるという悲壮な運命を辿ったろうに。


「アホらし…」


何て言い訳がましい。
これじゃまるで恋する乙女か何かだ。
思ってすぐに首を左右に振る。
こんなものを乙女としてしまったら世界中の恋する乙女の皆さんから、
盛大な顰蹙を頂戴するに違いない、間違いない。
さあ、大人しく認めよう。
そして腹を括ろう。
私はこのチョコを自分以外の誰かに贈りたいのだ。
それもどこぞの陰険ロン毛ウッカリ鬼畜サド眼鏡に。
よし、喉が渇いた。
手近にあった、「チョコのお供にでも」と一緒に買って来た赤ワインのボトルを掴む。
それを寝酒用ウィスキーの小さなグラスに注ぎ、朝からくっと飲み干した。
腹を決めてしまえば何てことはない。
先程までも悶々とした気分は何処へやら、実に晴れやかな青空を仰いで家を出た。
(人はこれを開き直りと言う)


「…にしても。
 ジェイドってあんまり甘い物好きって顔してないわよね。
 でも【フルーツミックス】に【卵】加えて【クリームパフェ】にするような男だし…」


まあ最悪突き返されたら陛下に差し上げればいい。(大好きです陛下)
陛下なら二つ返事にも大喜びで受け取ってくれるだろう。
最悪の事態における処分方法はそれでいいとして、
ではこの突発的な贈り物の由縁、バレンタインの風習云々をジェイドにどう説明しようか。
『元の世界では〜』なんて説明は勿論だができない。
ならば『私の生まれたところでは〜』の下りでいけるかといえば、
「おや、貴女は何処の出身でしたか?」と根掘り葉掘りされるのが関の山だ。


「『気まぐれ』っていうのが1番無難かしら…」


少し寂しい気もするが。
思って、実は自分はジェイドにチョコをあげたいのではなく、
(勿論ジェイドにチョコをあげたいという気持ちはあるけれど、けれどそれ以上に、)
ジェイドに自分のこの"禁忌"とも言える"秘密"をただ打ち明けたいだけなんじゃないか、
そんな節に思い当たる。
思い当たって背筋を冷やす。
それはとても危ういことだ。
この世界を安易に崩壊させかねないこの上無い愚行だ。


「……やっぱりピオニー陛下のブウサギ行きかな、このチョコ」


愛らしい面々を目蓋の裏に思い浮かべて、沈んでいた軍本部への足運びを早めた。







「おはようございまーす、カーティス大佐」
「おはようございます。
「えー? そこは『大尉』で返してくれるところじゃない?
 折角、敬語プラス『カーティス大佐』なんて畏まって挨拶してみたのに」
「これは失礼」


ジェイド付きの副官である私の最初の仕事は当たり前だがジェイドへの挨拶だ。
というか、自分の執務卓がどういうわけか職権乱用にも、
ジェイドの執務卓の右斜め前に備えられているのだから、
どうしたってこの包みはジェイドの目に付いてしまうわけで。
だからこそ何気なさを装って朝一で軽くおどけてなんて見せたのだけれど。


「おや」


ああ、己の誘導の拙さに涙が出る。
あっさりと小さくそう呟いて、興味深げに包みへと視線を止めたジェイド。
この男に嘘という嘘が通用した試しがない。
だから言いたくないことは『嘘を吐く』のではなく『言わないでおく』しかないのだが。
言わされないでいる自信は正直あまり無い。
こういう時ばかりこの男は35年分の手管手練を存分に駆使してみせるから。
16年分の壁は思いの外、厚く、高くそびえ立っていた。


「何やら随分と気合いの入った…」
「ストップ」
「ふむ」
「この包みに関してはノーコメを貫きたい所存。
 然らばこれ以上の言及は差し控えて頂きたく…」
「とても美味しそうな包みですねぇ」
「………。」


なに、何なのこの男は。
あの音機関眼鏡は透視機能まで搭載しているのか。
でなきゃこの男自体が透視能力持ちだったのか。
包みの中身が食べ物であるという判断材料はおそらくいくつもあったのだろうが、
それが一体どこから漏れたものでどんな内容なのかは予測も付かない。
もしかしたら単なる勘かもしれない。(むしろそうであって欲しい)
とりあえずこれ以上不用意に情報を漏洩してなるものかと、
幼い子供がするように、包みをさっと背後へと隠す。
案の定、ジェイドの楽しげな笑みがぐっと深まった。


「紳士の嗜みはどうしたのよ。
 無闇に詮索しないのも紳士の嗜みの一つでしょうが」
「中身は甘いものか何かですか?」
「うわ、あっさり紳士を捨てたし。
 っていうか相変わらず部下の話を聞かない上司ね…」
「そういえばここしばらく甘いものを口にしていませんでした」
「ねぇ部下と会話を成り立てようとかそういう努力は無いの? ねえ?」
「いや、嬉しいですねぇ。
 貴女からこうしてプレゼントを貰える日が来るなんて」


にっこりと小綺麗に整えられた笑みに思わず言葉が詰まる。
どうせなら思いっきり作り上げた笑みを貼り付けてくれれば良かったものを。
そんなささやかにも期待の込められた笑みを浮かべられてしまったら、
「これはピオニー陛下のブウサギ達へのスペシャルなオヤツ」なんて、
道中即席で用意した言い回しも口にできなくなる。
そしてジェイドがそんな隙を見逃してくれるような男かと言えば答えは否。
ふっと世界に降りた沈黙。
音の無い数秒の経過。
会話を継ぎ損ねた自分を見て一瞬きょとりと目を見張ったとジェイドは、
ひたりと書類をさばく手を止めると、ゆったりと自分が継ぎ損ねた会話を続行させた。


「おや、本当に私への贈り物だったのですか?」
「……うん。そう、そういうことね。
 慣れないことはするものではないという神の啓示なのね、これは。
 そうと判ればこの失敗を無駄にせず、今まさにこの瞬間からも活かしていかないと」
「貴女も大概上司の話を聞かない部下ですね」
「部下は上司に似るの。
 雄弁は銀、沈黙は金。
 これ以上の墓穴を掘るつもりは無いのでこの件については以後黙秘権を行使します」
「ふむ…」


利き手を口元に添えると、わざとらしくも少し考え込むような素振りで小さく唸る。
ジェイドがこういう仕草を見せた後はろくな事が無い。
早々にも撤退するのが吉だろう。
「じゃ、陛下の所へ行ってきまーす…」。
そろそろと執務室の扉へと移動を開始する。
しかし。
「待ちなさい大尉」。
低く良く通る、威厳に満ちたその余所行きの声に呆気無く停止させられた。
恐る恐る振り返れば其処には、にっこりと、
今度こそ思いっきり作り上げられた完璧な笑みを貼り付け微笑むジェイド。
ああ振り向くべきではなかったのに。
判っていてがどうにもならなかった。
だってジェイドの声よ。
あのジェイドの声なのよ。
しかもそれがマルクト軍第三師団師団長モードな大佐声とくれば、
眼鏡、手に次いで声フェチである自分に一体何ができたっていうの。


「こちらへ来なさい」
「…はい」
「自分の執務卓は経由しない」
「(ちっ)」
「上官に向かって内心舌打ちしない」
「無闇矢鱈に人の心の声を盗聴しないで下さい」


先手どころか後手まで尽く鮮やかに握り潰されていく。
これといった打開策は今のところ、無い。
反撃の機会を窺うためにも今は大人しく従っておくべきか。
包みを後ろ手にしたまま精一杯の反抗の意を示しつつ、
不承不承ジェイドの机を挟んで正面へと移動する。
気分はアレだ。
担任の先生にではなく学年主任に呼び出された生徒のそれだ。
眼鏡美形の学年主任がすっと腰を上げる。
ゆったりと歩み寄って、真横に立たれる。
と、瞬間。
暗転した世界。
唇に触れる、感じ知った感触、温度。
さらりと頬を撫でたのは間違えるはずもない、ジェイドのクセの無い髪。
これは。
これはつまり。
脳が状況を整理し終えるよりも先に感覚が全てを悟る。
しかし感覚が悟るよりも先にジェイドが事を成した。
気付けば手の中から取り上げられている包み。
間近にある男のしたり顔。
しくじった。
思っても後の祭り。
おそらくまんまと思い描いた通りに事を運んだのだろうジェイドは、
自分の勝利を告げるように、わざとらしくちゅっと小さく音を立てて顔を挙げた。


「ありがとうございます」
「このセクハラ上司は…っ」
「やはり甘いものか何かのようですね」
「…───って、ええ!?
 ちょっ、そんな躊躇いも無く開ける普通!?」
「開けますね、私は」
「いいから離しなさいよ、包みも、私も」
「お断りします♥
 …おや、チョコレートですか。
 これはまた凝った物を作りましたねぇ。
 ああ、それで昨日は薄情にも上司を残してとっとと帰宅したわけですか」


毎度の事ながら、人の批難など何処吹く風。
私を抱き締めたまま開封することでこちらの抵抗をほぼ封じたジェイドは、
この背の後ろで器用にも着々と包みを開いていった。
「いただきます」。
鼓膜を直に震わすジェイドの声。
わざと耳朶を掠めるジェイドの薄い唇。
私がその声に弱いと、抗えないことを承知でセクハラ上司は、
こんないちいち手の込んだ策で即席にもこしらえて鮮やかに攻め寄越すのだ。


「これは…甘さも控えめ。
 ビターでブランデーの深みも利いていて、実に私好みの味ですね」
「……そりゃそうでしょうよ」
「おや、ようやく観念しましたか」
「何かもう色々と悩んで奮闘してた自分がバカらしくなって…」
「私にしてみればどうしてそこまでらしくもなく抵抗する必要があったのか、
 いたく計りかねますが」
「それはこっちの台詞よ。
 何で私はここまでらくしもなく追い立てられなきゃならなかったのよ」


両手で白旗を挙げる代わりに、
ジェイドの背に腕を、手を、指を回してこれみよがしに重心ごと全体重を預けてやる。
すると預けられるままにもジェイドは背後へと自身の重心を滑らせ、
書きかけの書類の広がる執務卓へと腰を据えた。
…わりと骨格的に苦しい体勢だ。(勿論私だけが)
仕方無しにも身を離す。
否、身を離そうとして阻まれた。


「おやおや…知らなかったんですか?」


まるで幼子をあやすような手付きで梳かれた後ろ髪。





「来る貴女なら拒まむどころか無理矢理にでも引き入れ、
 去る貴女だって何処までも追い立て楽しむような男なんですよ、私は」





穏やかに物騒な台詞を囁くその声は、ビターチョコの味がした。

来るものは拒まず
去るものも追え


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