「ジェイドの眼って綺麗ねぇ」


言ってその目許を指先でなぞれば、ジェイドは物珍しくもきょとりと停止した。


「発言の意図がいまいち掴めませんが、とりあえずありがとうございます」
「綺麗。真っ赤で、艶やかで…」
「貴女のその黒曜の瞳には劣ると思いますよ?」
「自分の眼が綺麗ってところは否定しないのね」
「貴女がそうして手放しになんて告げて寄越すのだから事実なのでしょう」
「良く言うわよ」


努めて呆れた風を装い鼻で溜め息を吐けば、
当の溜め息を吐かれたはずのジェイドは心地良さげに笑みを深めた。

容姿と言動を裏切って、思いの外しっかりと出来ている胸板。
その上に、素肌の上半身を重ねて身を預けるベッドの上。
甘やかな倦怠感。
四肢の熱が引くまでの、こうして意味も無く戯れ合う時間が好きだった。
眼鏡のレンズを越さない素の瞳を楽しめるのは、独り占めできるのはこんな時ぐらいだから。
存分に愛でない理由なんて無い。
どうしてか隈とは無縁であるらしいその白い下瞼を今度は親指の腹でなぞる。
間近にある、嫌味なまでに整った顔立ち。
眼鏡を取っても美形、眼鏡を取らなくても美形、なんて。
天才であるだけでは足りないのか。
雪国の為せる技か、はたまた生まれつきの色素の薄さ故か、
女の敗北感を刺激してやまない白い肌に、瞼に口付けを落とす。
『色の白いは七難隠す』と言うけれど、
この色白さで一体どれだけの難を隠して躱してきたのだろう。
面白くない。
どんな難癖なのか。
ジェイドの左目を覗き込みながらそんなどうでも良いことをつらつらと思った。


「ほら、美人が台無しですよ」


顔から筒抜けたらしい。
ジェイドは無防備にも喉を鳴らして笑った。


「口ばっかり」
「恐縮です」


間近にある紅い水面に映り込む自分の黒い眼。
その中にまた更に映り込むジェイドの紅い瞳。
まるで合わせ鏡。
私の瞳はどこまでジェイドの瞳に映り込み、
ジェイドの瞳はどこまで私の瞳に映り込んでいるのだろう。
原理的にはどこまでも映り込んでいるのだろうが。
映り込むよりもそのずっと奥に焼き付きたい、と。
焼き付けてやりたいと、願うが願うのみに留めて口には決して出さない。
出せばきっとこの男は満足げになんて笑うだろうから。


「…真っ紅で、鮮やかで…そう、まるで紅玉ルビーみたい」


綺麗な紅。
血のような深く重苦しい赤とは違うその色。
金色を溶かし込んだ鮮やかな紅。
どこまでも光に透いた、芯に闇をも内包する艶やかな鮮色。





「───煌めく宝石なんて、抉り出したくなる」





ああ、今この指先にほんの少し力を込めればこの煌めく紅玉を手に入れられるのに。





「それは困りましたねぇ」
「相変わらず表情と言動が一致しない男ね。
 まったくもって困ったなんて顔してないわよ」
「これは失礼」


八つ当たりまがいにも添えた指先で下瞼を引っ張ってやる。
何て間抜け面。
しかしそんな間抜け面に、可笑しさが込み上げてくるよりも先に、
愛しさなんてものを覚えてしまうのだから我が事ながら己の手遅れ具合に呆れもする。
目の前にはしたり顔の男。
こうも拙い内心など「お見通しです」と言わんばかりのそれ。
どうすれば私が1番喜ぶかを知り尽くしている乾いた大きな掌が、
ゆったりとこの頬を包んで撫でた。


「貴女の望むことなら何なりと叶えて差し上げたいところですが、
 こんな両目でも、無くなってしまえば貴女に関して色々と不便しょう?」
「……ジェイドなら目なんて無くても不自由なさそうだけど…」
「お誉めに預かり至極光栄」
「誉めてない誉めてない」


手首から先をわざと力無く左右に振る。
掻き回されて、丸め込まれて、抱き込められて、
ああどうして私はこの男に関して常に後手後手に回らざるを得ないのだろう。
生きてきた年月の違いか。
年の数にして16年という時間と空間の差。
遠い。
一回り近くも違う。
数字にして把握すればそれは予想外にも冷えた感触をもって胃の底へと落ちてきた。
否、年齢云々ではなくこういう思考の性質にこそ差が出ているのだろう。
掻き回して、丸め込んで、抱き込ませて。
拙い私と同じ想いをさせてやりたいのに。
持て余したそんな端的で幼稚な癇癪は、
その拙さに相応しくも強引で子供じみた口付けを落とすことでもって揉み消した。

ジェイドは、言外にも「おやおや」と言わんばかりに笑みを深めた。


「今日はまた積極的ですね」
「そっちこそ今日はまた随分と受動的じゃない」
「不満でも?」
「いーえ。…ねぇ、これって地の色?」
「? いいえ」
「じゃあ、譜眼の影響?」
「そうなりますね」
「んー…、どこにどうやってどんな譜陣が刻み込んであるのかしら…」
「本当に抉り出さないで下さいよ」
「出さないわよ。失敬な……ん? これかしら…」
「おや、見えますか」
「見えるというか…これは、…え? 二重?
 いや三重に…ああ、譜陣を重ねて刻み込むことで弁にして音素の通りを制御してるのね」
「御名答」
「でもこれ…うーん、案外細かい芸を施してあるのね。
 制御はまぁ何とかなりそうだけど、施術自体は私じゃ無理そうだわ」
「でしょうね」
「ですよねー♥」
「…はい?」


そう、その一言を待っていたの。
努めてアニス口調を披露すればジェイドはきょとり一つ瞬きする。
紅い瞳一杯に映り込むのは、私の満面の笑み。


「だ・か・ら♥」


何をか言わんと動きかけた薄い唇に人さし指を押し当てて封じる。
そのまま身を乗り出し、端正な作りのそれにそっと自分の唇を落として重ねる。





「───私の眼もジェイドとお揃いにして?」





唇を触れ合わせたまま囁きねだってみせれば、ジェイドはたまらず可笑しげに笑い出した。





「ふ、はは…っ、これはこれは。
 また随分と可愛らしいおねだりだ」
「ねだるのは得意なの。
 殊、ジェイドに対しては特に」
「"ゆする"の間違いじゃありませんか?」
「ご希望なら"強請って"あげるけど?」
「"揺すられる"のはわりと嫌いじゃありませんが、"強請られる"のは勘弁願いたいですね。
 殊、貴女に関しては特に」


それでは、第一と第三、第六、あと第七音素の譜陣でよろしいですか?
意外にもあっさりと承諾して寄越したジェイドを見下ろし、
「これは前金」、「料金は身体で支払わせて頂きます」と上半身を起こせば、
「分割も喜んで承りますよ」と実に女冥利に尽きる言葉を寄越して、
乾いたジェイドの両掌がぐっとこの腰を掴んだ。

女の冥利が 
尽きるまで。


メールフォーム

| |