「ガイか私の後ろを歩きなさい」


それは背後の私にではなく、隣を歩くナタリアへ向けられた言葉だった。


(いや、別にいいけど)


こんな紳士的且つ裏の無い気遣いなど私には見せてくれたことがない。
小さく不満が湧いて出たが、すぐに首を左右に振り打ち消した。
そんなもの、見せられてもどうせ複雑な気分になるだけだ。
(普段から極力気遣われないよう必要なら隠し誤魔化し強がって振る舞ってるし、
 それに何より、裏の無いジェイドなんて気味も気色も悪過ぎる)
ジェイドの低く良く通る声がいつになく誠実な文章を紡ぐ。
汗で肌に張り付いた黄色い砂の感触が不快だった。


(…やだこれって嫉妬? あたしってば結構若い?)


我ながら年齢不相応にも老生している自覚はある。
10代もラストの数字を飾るに至って、
よもや嫉妬なんて一人相撲的感情を腹の内に抱えるハメになるとは思わなかった。
これは驚きだ。
新発見だ。
おぉ。
おかしな方向に新鮮味を噛み締めつつ、前方へと意識を取り戻す。
どうやら素直に好意に甘えることにしたらしい。
顔色を翳らせたナタリアはジェイドの影の中で歩みを進め始めた。
一方の日傘となったジェイドはナタリアの歩調を汲み取りながらゆったりと足を運ぶ。
何がどうして絵になる構図。
当たり前といえば当たり前の話だ。
方やキムラスカ・ランバルディア王国の王女、
方や養子ながらもマルクト帝国指折りの名門貴族の御曹子だ。
絵にならない方がどうかしている。


「…ま、でも。
 いくらジェイドでもナタリアをアッシュ以外の男にくれてやるつもりはないけどね」


我ながら『ジェイドをナタリアに』ではなく、
『ナタリアをジェイドに』の方がナチュラルに先に出てくるのだから可笑しい。


(……無いものねだりしてもしょうがないしね)


生まれの違い、育ちの差。
人間諦めが肝心とは言わないが、固執しても益の無い事もある。
幸いになことに自分も、相手も、
元より身分といったそんな概念にとらわれ立ち往生するような思考は持ち合わせていない。
気を取り直し、砂にヒールをとられないよう気を付けながら歩みを早める。

そう、"歩みを早めて"ようやくその事実に気付いた。


(………これだから嫌なのよね、…暑いのって、苦手…)


気付かぬ間に幾分遅れていた歩み。
幸い仲間達に、ジェイドにも気取られぬ程度の遅れ。
さりげなく取り戻せばいい。
しんがりを任されている以上、その信用分の働きはする。
これは責任感からではなく、純粋な私の意志。
(というか生きてきてこの方責任感から行動を起こしたことなんて数える程だし)
嫉妬はいつでもできるのだから、今は後回し。
顎の汗を拭い、小憎らしい陽射しを撥ね付けるように背筋を伸ばす。


「っ!」


と、突如真白な太陽が視界に入り込んだ衝撃に脳がぐらりと傾いだ。
さぁっと音を立てて白む世界。
ああ脳の裏側で血が引いていく音が聞こえる。
そんなどうでもいいことを思う。
何とか遠退きかけた意識の尾を引っ掴み、引き戻す。
しかし不覚にも踵に重心を預け過ぎ、ブーツのヒールが砂に沈んでよろけてしまった。
最小限に動きを押さえ込み、重心を引き戻して平衡感覚を確保する。
即座に前方の様子も窺うことも忘れない。
このところ日課ならぬ時課となっている痴話喧嘩中のルークとティアは問題無い。
2人を囃し立てるアニスも同じく問題無し。
ジェイドとナタリアの2人も、前方の夫婦漫才に気を取られていたようだから大丈夫だろう。
あとは。


「おい、大丈夫か!」


しくじった。

自分の左斜め前を歩いてたガイ。
気付かないでいて欲しかった。
ガイの声に真っ先にジェイドがこちらを振り向く。
つられてナタリア、アニス、そしてティア、
最後の最後にようやっとミュウをぶん回していたルークと続き、
結局、全員の視線を集めてしまった。(何てこったい)
さて、どう誤魔化すか。
2秒程思案して、当たり障り無くすっとぼけておくことに決定した。


「何が?」
「何がって…足元がふらついてるだろ」
「ああ。ちょっとヒールが砂にとられちゃって」
「…何だか心無しか顔色も悪くないか?」
「え、そう?
 まぁ元が色白美人なもんだから、確かに太陽はちょっと苦手だったりするんだけどね」


ポーカーフェイスには自信がある。
感情だけでなく、体調だって皮膚の下に抑え込めるのが私の7つの特技の1つだ。
ピオニー陛下やゼーゼマン参謀総長からも高く買われ、自分でもウリにしているその顔面技。
さもあればガイがいかに気配りの利く色男でも見抜けない。
見抜かせない。
これは自惚れではなく、積み重ねた結果に保証された確信。
はぐらかせば押し通せる。
算段は迅速だった。


「それにこれでも職業軍人だからね。
 この程度でヘバってるようじゃ採用して貰えないわよ」
「けどな…」
「あ、でもガイがお姫さま抱っこしてくれって言うなら、
 ちょっと儚げになんて熱射病ぶって倒れてみてもいいかしら♥」
「す、すまない…それは、ちょっと…!」
「はいはい、冗談よ。
 心配してくれてありがとう、ガイ」
「いや。無理はするなよ?」
「判ってる。
 しかしガイったら本当イイ男よねー、お礼にこうしてやる♥」
「ぎいゃぁあぁぁあぁあぁ!!」
「そんなに喜んで貰えるとセクハラのしがいがあるってもんだわー」
「喜んでないぃいぃぃ!!」
「まったくったら…」
「ふふ、いいじゃないですのティア。
 2人共元気そうで何よりですわ」
「だね〜」
「うるせぇだけだっつーの。
 早く行こーぜ、これ以上師匠を待たせるわけにはいかねぇんだからな」
「………」
「大佐? どうしましたの?」
「いいえ。少し待っていて貰えますか?」
「え、ええ」


灼熱からのそれとはまた違う汗をかくガイの首筋へと頬を擦り寄せていれば、
ナタリアに短く断りを入れてこちらへと向かって来たジェイド。
まずい、バレたか。
しかしジェイドなら気付かぬフリを決め込んでくれても良そうな場面だったと思うのだけど。
内心首を捻って、そろりと思い当たる。
心配、してくれたのだろうか。
否、こういう妄想が期待じみていて危ないのだ。
甘えを生む。
それではいけない。
とりあえずは平然を装って頭上に疑問符を浮かべてみせる。
さもあればジェイドにはニコリと綺麗に作り上げられた笑みで一蹴された。
(え、機嫌損ねた?)


「? 何、ジェイド?
 言われなくてもガイいじりならこれぐらいにしておくけど…」
「是非そうしてあげて下さい。ガーイ♪」
「な、何だ?」
「ナタリアの日除けになって差し上げなさい」
「……俺にできないって判ってて言ってるんだよな、それ」
「まぁっ、やってみる前から無理とは何ですか!
 こっちにいらっしゃい、ガイ!」
「だ、そうです」
「かか、勘弁してくれよ…!」
「何をしていますのガイ、早くなさい!」


がっしりと腕を組み、仁王立ちするナタリア。
何て男前な。(どうしよう、アッシュ)
名残惜しさを覚えながらもガイの首へと回していた腕をほどき身を離せば、
「いってらっしゃい」とジェイドが実に優雅な紳士の動作でもって、
有無を言わせず引き攣り笑みを浮かべるガイをナタリアの元へと送り出した。
哀れな。
結果的に私なんかよりガイの方がよっぽど顔色が悪くなってしまった。
力無い足取りで一応ナタリアの元へと向かったけれど、大丈夫だろうか。
遠退いていくそのいつになく小さな背中へとじっと視線を注いでいれば、
ふっと蒼い壁に視界ごと遮られた。
同時に落ちてきた影。
その蒼がマルクトの軍服で、影がジェイドのものだと理解するのに数秒を要した。
自分で思っている以上に余裕は消耗されているらしい。
炎天下でも氷点下でも常に涼やかなその顔を見上げる。
すると鼓膜に良く馴染んだ男の声が心地良く頭上から降り注ぎ、脳に染み渡る。
すっとこの肌に触れる空気の色味が変わり、周囲の温度がぐっと数度下がった。
こっそりと、施されたのは譜術。
まるで潮がひくように熱が音を立てて肌から引いていく。
「どうです?」。
ジェイドは笑んで言う。
「私なら平気だけど」。
憮然と返して、即後悔した。
何をベタなことをしてるのか。
言い訳をする子供と同レベルで自ら体調の不良を暴露してしまった。
「悪い子ですね。我慢を美徳と履き違えてはいけませんよ」。
ルークに対するそれとまるで同じ口調。
この上無くばつが悪くなって素直に反論は引っ込めることにした。


「ごめん」
「まぁ謝罪も悪くはないですがね」
「…ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
「……ジェイド?」
「何です」
「何か…まだ怒って、る?」
「おや、そんな風に見えますか?」
「ま、まぁ…」


それは失礼。
そう答えただけで、否定も肯定もせずジェイドは歩き出す。
こういうところが16年分の差なのかとつらつら考えながらその後を追う。


「はぁ…私の判断って自分で思ってるよりも結構間違ってたりするのかしら?」


遠慮がちにも斜め前を歩くジェイドを傘に、落とされた影を一歩一歩踏み締める。


「いいえ、間違っていたのは私の判断の方ですよ」


そうして根っからの貧乏性からジェイドの影を惜しみ下を向いていたせいで、
その時のジェイドの表情こそ上手く窺えなかったけれど。





「───貴女に関してガイに先を越されてしまうなんて、私もまだまだですね」





鼓膜を掠めたその語調はどこか少しだけ苦いものを食んだような代物だった。

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