「───たい、さ…ッ!!」
「あらあら…あれっていつぞやのカシム氏じゃない?」
「そのようですね」
「大佐! 彼は…音素の乖離現象を起こしています! まさか…」
「ええ、譜眼でしょう。
 しかも制御できずに暴走しかけている。
 まったく…暴走するならせめて他人に迷惑のかからない場所でやればいいのものを」
「本当、傍迷惑よねぇ」
「そのようなことを言ってる場合ですか! 彼を助けないと!」
「えー、このまま放置プレイで良くない?」
!?」
「だってわざわざプチ漫才まで織りまぜて止めてやったんだし、
 上官としての善管注意義務は十分果たしてると思うけど」
「確かにその辺りは同感ですがね。
 しかしカシムはどうでもよくても、民間人が犠牲になるのは頂けません」
「あら、いつになくお優しいことで」
「まぁそれほどでもありますが」
「はいはい。それで、お優しい大佐殿はどうされるおつもりで?」
「俺達は何をすればいい?」
「そうですねぇ…では、始末しましょうか。一番簡単な処理方法です」
「は、はぁ!?」
「おいジェイド!」
「りょうかーい。
 それじゃあ善は急げ、サクッとカシム氏を…」
まで何を言い出すのですか! カシムも民も助けるのです!」
「そうだよ! 殺さなくていい時は殺したくない!」
「やれやれ…、
 譜術封印アンチスペルでカシムの音素暴走を抑え込んで下さい。
 その間に私が譜眼の処置を取り除きます」
「えー。私が?
 面倒ー。気が進まなーい」
「「!」」
「はいはい。判ったわよ」


キムラスカきっての正義の使者2人のブーイングに背を押され、
音素の乖離から周囲に高圧の音素域を発生させるカシムへと歩み寄る。
暴走とは良くいったもので、大した素養の無い人間の音素とはいえ、
小型第五音素爆弾程度の暴威振動を発していた。
面倒な。
これが最後と愚痴まじりな溜め息を盛大に吐き出す。
そして入れ替えるように譜を歌うための酸素を肺に吸い込む。
レイ、ラ。
喉で音素を鳴らす。
譜を紡ぐ。
術を詠う。
鳴じた音素を歌声で爪弾き奏で、いくつもの封印の譜陣を宙に描く。
背後でルークとアニスが驚いたように声を挙げるのが聞こえた。
そういえばこの面子の前で歌うのはこれが初めてか。
まぁ元より陛下にねだられでもしなければ人前で披露などしないのだけれど。
そんなどうでもいい雑念を紡ぎつつも、
淡々と戒律に従い配置した譜陣を旋律に乗せ、一気にカシムの身体へと注ぎ込む。
注ぎ込んだ譜陣が暴走する音素に干渉し、介入し、音素をその肉体の内側へと押し返す。
多少の反発はあったが何てことはなく意識を飛ばして地に伏したカシム。
「これでいかがです、大佐殿?」。
ああ面倒だったと言外にも不服を込めてやるのを忘れない。
「上出来です」。
カシムを仰向かせその横に片膝をついてジェイドは、
満足げに笑んで解術処置を開始した。


「おい、大丈夫なのかそいつ?」
「あんまり見ない方がいいわよ。色々と生々しいから」
「うえぇー、マジっで〜?」
「マジで。譜眼を施した眼球ごと取り出すから」
「そんな…」
「譜眼は入墨と同じよ。
 一度焼き付けたら二度と消すことはできない。
 無理に消そうと思ったら下地ごと剥ぎ取るか、更にその上から新しく焼き付けるしかない」
「でも人の眼球は複数回の施術には耐えられない…」
「そ。だから取り出すってわけ」

「何?」
「後処理をお願いします」
「はいはい」


私が周囲の注意を引いている間に速やかに眼球を摘出し、
仲間には見えない位置で音素分解したジェイド。
そうしてゆったりと腰を上げたジェイドと入れ替わるように膝を付き、
数分前までは確かにそこに眼球の据えられていた窪みへと両手を翳す。
肉、神経、血管と丁寧に血の流れを留め切断面の組織を繋ぎ合わせて塞いでいく。
血の一滴も零れ落ちなかったのは純粋にジェイドの腕か。
はたまた私のサポートの手際故か。
明らかに前者か。
治癒を終え、徐にパチンと指を鳴らす。
譜歌の解けたカシムが弾かれたように身体を跳ねさせ意識を取り戻した。


「……たい、さ、…───え?
 あ…、あぁ………目が…僕の目が…ッ!!」
「どこぞの天空の城の大佐みたい」
「? 誰ですかそれは」
「秘密」
「ふむ。まぁいいでしょう」
「大佐、僕のっ、僕の目がぁ…ッ」
「貴方は聞きかじりの知識で禁じられた譜眼を施そうとした。
 あれは入念な準備と、何よりも素養が必要なのです。
 視力を失ったのは言うまでもなく自業自得ですよ」
「そんな…っ、どうして、どうして!!
 こんなことになるならどうして大佐はもっと強く止めて下さらなかったんですか!?」
「……あーあ、"コレ"だから助けるの嫌だったのよ」


判る?
敢えて口には出さずに言外にも肩を竦めて見せてやれば、
見せられた背後のルークとナタリアはぐっと言葉を飲み下し顔を顰めた。


「大尉、あんたもだ!
 あんたが、あんた達がちゃんと止めてくればこ、こんな…こんなことには…ッ」
「あらあら…ジェイドでは足りず、私にまで八つ当たり?」
「止めましたよ? 私も、彼女も。
 貴方が死ななかったのはただの偶然です」
「うるさい! あんた達がもっとちゃんと止めてくれれば…」


一気に場の不快指数が膨れ上がる。
隣からは「はぁ?」と、猫を脱ぎ捨てたアニスの悪態が湧いた。
凶悪だ、もの凄く凶悪だ。
アニスの音素につられてかトクナガまで爪を剥いている。(可愛いー)
何だかんだ言っても天才の部類なのよねディストって、などと、
つらつらと今この状況には関係の無い事象を思い浮かべながらも、
自分の目線より幾分低い位置にあるその可愛いらしい頭を「どうどう」と撫でる。
さもすれば「ぶーぶー」と、可愛い膨れっ面が返ってきた。


「そうだ、全部あんた達のせいだ!!」


さて、どうしたものか。
終いには抱え切れず責任転嫁、一行全員へと向けられた憎悪。
こうなることは始めから了解していたわけだけれど、
実際にこうしてお門違いな責任転嫁を叫び散らし倒されると、正直白けるというもの。
しかし軍人という身である以上「あっそう。じゃ」で済ますわけにもいかない。
まぁ、放っとけばルークがカシムを殴り飛ばすのだ。
面倒臭いからもういいや。
早々にも匙を投げ捨てる。
一方カシムは、もはや無い両目でこちらを睨め付け恨み言を並べ続けていた。
ジェイドを見遣る。
相も変わらない涼しげなその横顔。
それはアクゼリュスの時のルークを思い起こしているのか。
でなければ幼い日の自分を重ねているのか。
端正なそれを眺めていれば、やはりルークがカシムの頬目掛けて拳を振り抜いた。


「てめぇは生きてるだろうがっ!
 死ななかっただけありがたいと思え!」


ルークはカシムに昔の自分を重ねているのだろうと、そう思った。


「ルーク、ナイス暴力。 ───衛兵!」
「はッ」
「お呼びでありますか、大尉」
「この男、王立図書館から禁書を盗み出しています。連行なさい」
「了解しました」
「ああ、身元引受人には私がなります。
 取り調べが終わったらカーティスの屋敷へ連れて行って下さい」
「! 大佐…」
「大佐が身元引受人になるならあまり厳しい取り調べはできないな…」
「しっ。大佐に聞こえるぞ。
 大佐、了解しました。それでは」
「……今日はまた随分と慈悲深いのね」
「おかしいですねぇ。私はいつだって慈悲慈愛に溢れていると思いますが」
「どういう風の吹き回し?」
「おや、嫉妬ですか?」
「はいはい、もういいわよ」


赤ら様な溜め息で軽く拗ねてみせれば、
「お疲れ様です」とグローブ越しにも大きな掌がよしよしとこの頭を撫でて寄越す。
あまつさえ「久々に貴女の譜歌が聴きたかったんですよ」などとぬかし、
くつくつと喉を鳴らして笑った。
「つまり私に恥をかかせたかったわけね」。
譜歌はティアの専売特許だ。
甘言に憎まれ口を返せばジェイドは「私は貴女の譜歌の方が好きですよ」と、
「貴女の譜歌は私への愛情で出来ていますから」と機嫌良さげに笑って場を括った。


「さあ、行きましょうか」
「意外だな。あんたがそんな優しさを見せるとは」
「我が身を省みて恥じているだけですよ
 アクゼリュスの時といい今度といい、
 丁寧に説明する手間を惜しまなければ別の結果が訪れていたかもしれませんから」


あの日の自分をカシムに重ねてルークは、ジェイドの言葉にそっと目を閉じる。
いつかのあの日の自分をカシムとルークに重ねてジェイドは、
常と変わらぬ調子を装い淡々と反省を述べる。
けれどこんな風にその胸の内を自分以外の他人に、しかも特定とはいえ多数に、
打ち明けてみせることなんて一昔前のジェイドからは考えられなかったから。

ルーク達がジェイドを変え、ジェイドが変わることを良しとした。
それを嬉しく思う反面、少しだけ寂しくも思う。


「で、その後ちゃんと自分の責任を思い知ったルークだから
 ジェイドもこうやって色々面倒見るようになったんだよな?」


ひたり、と。
不意を突かれて口を噤み存分に目を見張る、
そんなジェイドを今この瞬間より独り占めできなくなってしまったのだから。


「……さ、こんなところで無駄話していないで、行きますよ」
「はぅあ! 大佐が照れた! めっずらしー」


ジェイドの照れ顔は何度か拝んでいるけれど。
このメンツの中では自分だけが知っていたその表情を、
自分以外の誰かと共有することになったことを少なからず惜しく思っている自分が居る。
まったく、拙い。
もしかして私は結局カシム云々に腹の内を燻らせていたのではなく、
ただ単に皆の知らないジェイドの表情を惜しんでいただけなのかもしれない。
しかしそんな幼稚な独占欲を我が事ながら微笑ましいものと感じてしまうのだから、
どうしたって禁じ得ないのは口元を歪ませる苦い笑み。

ああ、もしかしたら陛下も私に対してこんな感情を覚えたのだろうか。


「ほら皆、この機会によっく拝んどきなさーい。
 ジェイドの照れ顔なんてもはや陛下指定の国定天然記念物モノだから」
「おや、私はユニセロスか何かですか?」
「そんな清廉なものなわけないでしょうが」
「おかしいですねぇ。
 私は常日頃から品行方正、清廉潔白を心掛けているつもりなのですが」
「品行方正、清廉潔白の2つの四字熟語を辞書でひいてくるといいわよ」
「品行方正。
 行いがきちんとして正しいこと、またその様。
 清廉潔白。
 心が清らかで私欲がなく、不正などをすることがまったくないこと。またその様」
「何、その『辞書なんて糞食らえ』な爽やかな笑顔」


嬉しい反面、少しだけ寂しい。
そんなわりと複雑にないまざった感情を敢えて持て余しぎみに笑ってみせる。

すると。





「───変わることを良しとするようになど私を変えたのは貴女なんですよ」





責任はしっかりと取らせますよ。
当のジェイドは微かにだけれど素のまじった穏やかな笑みを浮かべた。

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