『ねぇ、ジェイド。聞いてんの?』





"あれ"はもう(この世には)居ないというのに。
(この世には)"あれ"が居たという痕跡ばかりが散りばめられている。


「まったく、無様な去り様ですね」


巧妙な去り様も、不可能では決してなかったろうに。
けれどそうはならなかった。
しなかった。
否、できなかったのか。
それは曲がりなりにも"あれ"が最期の最後まで迷い倦ねていた証なのかもしれない。
揺るぎない意志を堅く保ち続け、実行しながらも、
一縷の望み求めて足掻き苦しんでいたのかもしれない。


「今では知る由もありませんが」


そう、この執務卓も。
軍服も、指輪も。
(この世に)散り残った痕跡の全ては、声にならなかった"あれ"の悲鳴の残骸。


「…良い天気だ」


窓の外を、午後の陽射しを浴びて柔らかに輝く中庭を見遣る。
そう、中庭の緑を。
少し前までは視界に入らなかったそれら。
少し前までは窓越しに注ぐ午後の陽射しを背に浴び、
柔らかに輪郭を溶かす"あれ"がそこにあったのだ。


『なに? 見惚れてるの?』


"あれ"は(この世の)風となり、土となった。
"あれ"は(この世の)水となり、火となった。
"あれ"は(この世の)光となり、闇となった。


「本当に、腹の立つ程に」


第七音素へと分解され、還元され、
ローレライと共に音符帯へ流れ込みこの空へと融けた"あれ"。
"あれ"は(この世の)何処にも存在し、また(この世の)の何処にも存在しない。
今こうして肺へと取り込んだ酸素の一欠片にも"あれ"は存在しながら、
今こうして歪に上下する肺の中に"あれ"が存在することはないのだ。


「何て、腹立たしい…ッ」





"あれ"が居ない(こんな世では)まともに息もできない。










『───…ジェイドは私が死んだ後のこと、考えたことある?』


仮令ば、などと。
不毛な仮定だ。


『おや差し迫って死ぬ予定がおありなのですか?』
『馬鹿。仮令ばの話よ』


己のが深き業が(この世へと)産み落としたあの哀れな二つの焔を見殺しにして、
根深く預言スコアに毒されたこの大地を(この世を)見捨てて、
ただただ(この世と)自分を愛おしみ心の底から微笑んで消えて逝った、
愛しむ他なかったあの女をどこか陽の当たらぬ場所へと閉じ込めれば、
今こうして耳が痛む程に晴れ渡った蒼天を睨み上げることもなかったろうに。
否、"あれ"の消滅はこの世界の存続に必要不可欠な事象だった。
"あれの"消滅があって今のこの世界が在る。
この世界が在り、彼等が在り、そして己が在る。
間違ってなどいない。
間違ってなどいないのだ。
なぜならそれが"あれ"の唯一つにして最大の望みであったのだから。
あの時、己のが深き業が(この世へと)産み落としたあの哀れな二つの焔を見殺しにせず、
根深く預言スコアの根付いたこの大地を(この世を)見捨てず、
ただただ(この世と)自分を愛おしみ心の底から微笑んで消えて逝った、
愛しむ他なかったあの女を伴い最後の戦場へと赴いたからこそ、
今こうして耳が痛む程に晴れ渡った蒼天を睨み上げているのは決して間違いなどでは。


『私が死んだら、ジェイドは泣いてくれる?』


ならば、どうしたら良かったというのか。


『泣いてくれたら嬉しい』


どうして否定することができよう。





『───…泣いて、その度に少しだけ私を思い出してくれたらいい』





他でもない、""がこの世界を護ろうとしたというのに。
image music:【 sky and tears 】 _ ろんこん .

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