「なぁ、ジェイド」
「何ですか陛下」
「お前、のどこに惚れたんだ?」
お忍びと称するには横柄過ぎる態度でもってソファに反っくり返って、
脈絡も無く徐にもそう投げ付ければ部屋の主、
もとい執務に勤しんでいたジェイドはひたりと、そしてきょとりと停止した。
「何です、薮から棒に」
「いや、三十も中盤に差し掛かってようやっと訪れたお前の春だからな。
親友としてはこりゃ根掘り葉掘りほじってイジっておいてやらんとと思ってな」
「親友ならもっと他に祝福のしようがあるでしょうに」
「イイ親友ダチ持って幸せだろ?」
「ええ。涙がちょちょ切れそうです」
「で、のどこに惚れて腫れちまったんだ?」
「そうですねぇ…」
「お、真面目に答える気があるのか」
「おや。答える必要が無いのであれば私はこのまま貴方の尻拭い、
もとい職権乱用にも押し付けられた執務を再開しますが」
「いいや、言え」
「相変わらず横暴な方ですね」
いちいち皮肉を言わないと気が済まないのがこの男だ。
ただしこの男にとって皮肉の量は親しさを測るバロメーターでもある。
皮肉の量が親しさに比例しているのだ。
皮肉の量で親しさが測れるというのも実に捻たこの男らしい話だが、
時にこの通説が通用しない事態も生じてくる。
「───『一緒に居ると楽しい』から、ですかね」
そう、例えばそれはこんな時だ。
「………」
「何ですか、その反応は」
「いや。久々にお前の口から"生の言葉"を聞いたと思ってな」
「おかしいですねぇ。
私はいつだって心からの言葉を正直に、誠実に口にしているつもりですが」
「良く言うぜ」
この男の口から、脳の検閲を経ない"生の言葉"が出てくるのは実に珍しい。
どの程度『実に』珍しいかと言えば、
この男の親友なんぞやっている自分も数カ月ぶりに聞いたぐらいのものだ。
元来の性質として感情が表に出にくいタイプではあるが、
それ以前に感情を表立てることは恥ずべきことと捉えているきらいがこの男にはあるのだ。
「ふぅん…じゃあ、どんな時が『楽しい』んだ?」
「と居ると退屈とは無縁で居られますから」
「まぁ確かに退屈しないな、というよりは"できない"と言うべきか。
無条件に他者を惹き付けるっつーか、無視できない存在感っつーか…、
とにかく影響力という意味では他に類を見ない人間ではあるな」
という女は実に興味深い。
美人とする程ではないにしろ見目が整っているという点も十分考慮するに価するが、
しかしそれを差し引いてあまりあるのはその独特の言動だ。
時にとにかく感覚的であったり、かと思えばこの上無く論理的であったり。
年齢相応かと思いきや、酷く年齢不相応に達観していたりと、
思考、態度、言動、そのどれをとっても周囲とは一味も二味も三味以上も違う。
何しろこのジェイドという果てしなく難解な男を、
『不器用ですよね』と実にけろりと解体してしまうような女なのだ。
「あの『節』は、生きてきた長さとか、
生まれや育ちがどうこうってもんじゃねぇよなぁ…」
「ええ。そもそも人間としての種類からして違うのではないかと、
いつも考えさせられてしまいますよ」
もういっそのこと人間の種類の中に、
『』というカテゴリーを作ってしまってもいいぐらいです。
言って男は着々と書類を捲る手を進めながら喉を鳴らして笑う。
これまたこの方とんと久しく拝むことの無かった笑い方だ。
ケテルブルクに居た頃は、それがこの先、
『久しい』などと感じられるような代物になるとは思っていなかったが。
否、『久しい』と感じるのは今の自分からすればの話であって、
からすれば珍しくも何ともない極日常的な代物であるかもしれない。
ケテルブルクに居た頃の幼い自分にとってそうであったように。
「…正直、私はまだ『人の死』について上手く実感できない」
男は言う。
時折だが自分にだけ見せる憂いを含んだその口調で。
「ですが…」
そして続ける。
云十年の付き合いになる自分が初めて拝むような声色でもって。
「───『が死ぬのは嫌だ』と、素直にそう思います」
そうしてジェイドは、僅かにだが困ったような、
しかしそれもまた満更ではないと言わんばかりの笑み浮かべた。
「ベタ惚れだな」
「ええ、ベタ惚れですよ」
「も不憫なことだ。
19の若い身空でお前みたいな賞味期限切れの中年男に惚れられちまうんだから。
同情するぜ」
「賞味期限はあくまで目安ですからねぇ」
それにたとえが16も離れた初老の女性であったとしても、
私はやはり彼女を口説いていたと思いますよ?
いけしゃあしゃあと言い放って男は今は此処に居ない女を思い浮かべて微笑った。
image music:【おだいじに】 _ 椎名林檎 .
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