「まるで別人ね」


言って、笑いを堪えながら茶を注ぐ目の前の姫さんは今まさに謹慎真っ最中だった。


「寝間着の似合わない男ですいませんねぇ」
「似合わないって言うかなんて言うか…」


そして謹慎の原因と言えば、他ならぬこの自分であるのだから取り繕い様が無い。


「久々に身軽になってどう?」
「どうにもねぇ…、落ち着かない」
「やっぱり?」
「やっぱり」


戦場でのそれとはまるで別人のように姫さんはくすくすと笑う。

自分が死にかけてると聞いて姫さんは、主君の、総大将の命令に抗って馳せ参じた。
終いには援軍が来るまで自分を庇い戦い抜き、
援軍の到着と同時にまたもや総大将の許可も無く三軍の指揮を取り、
あまつさえ討って返し敵方を撃退してしまった。
聞こえはいいが、根底にあるのは軍規も頂上にあるような重罪だ。
それに対してお館様が下した量刑は謹慎。
しかも怪我人の、もとい自分の看病という家内労働付きだった。
だからこそ未だ所々に包帯を巻いた姫さんはこうして縁側のひだまりで、
慣れない寝間着にむず痒がってる自分にのんびり茶なんて注いでいる。


「はい、どうぞ」
「あ、どうも」
「………」
「………」


…何じゃこりゃ。
新婚の夫婦めおとか何か。
でなきゃ孫の結婚が決まったと告げられうっかり昔を思い返しちまった老夫婦か。


「…頂きます」


本日もはや何度目かしれない気まずい雰囲気を繕うために入れられた茶を啜る。
…あ、美味い。
湯飲みから僅かに口を離して中を覗き込むと、「意外そうね」と鋭いツッコミが飛んで来た。
「あ、いや…」と口籠れば「お口に合いませんで、長殿?」とニッコリ笑顔を寄越される。
やばい。
ぶんぶんと首を左右に振り乱す。
さもすれば、痛めた右の肩が小さく悲鳴を上げた。


「あた、た…っ」
「! ごめん、冗談よ。大丈夫?」
「へ、へーきへーき…たはは」
「痛がるか笑うかどっちかにしときなさいよ…」


何やってんの、俺。
仮にも真田忍隊長がこんなひだまった縁側で涙目になんかなって。
部下達にはとてもじゃないが見せられる光景じゃない。
此処が姫さん用の離れで良かった。
いや、それもそれで心安くなかったりするんだが。
とにもかくにも腑甲斐無さにがくりと項垂れ半笑いにも打ち拉がれていれば、
ふっと頭の裏へと影が落ちてきた。
思わず、見上げる。
其処にあったのは柔らかな午後の陽射しを後光に背負った姫さんの綺麗な顔。
先程までの年頃の娘ぶりがまるで嘘か夢のように、
静か過ぎる、何処か遠く儚い表情を敷いて姫さんは立って居た。
何をか言わんとして形の良い唇が僅かに動く。
しかし、音は零れず。
代わりに綺麗な顔が少しだけ切なげに歪んだ。
初めて見るその表情。
気付けば飲み込んだ息を吐き出すのも忘れて。
ゆらり。
影が揺れる。
影が濃くなる。
姫さんが腰を落とし、傷から胡座をかくこともできず、
だらしなく放り出していたこの両足の間に両膝を付いたのだ。
そっと細い指先が躊躇いがちにも輪郭を掠めとるが如くに頬を撫でる。

ふっと。
ひだまりのにおいがした。





「───…馬鹿」





微かに震えたそのか細い声に気を取られ、あっさりと視界を奪われた。





「…姫さん」
「なに」
「思いっきし胸当たってんだけど…」


ふわり、と。
抱え込まれたこの頭。
柔らかな胸に埋もれて姫さんの鼓動が直に伝わってくる。
姫さんの唇が耳に触れる。
姫さんの長く真っ直ぐな黒髪がさらさらと流れ落ちて肩を撫でる。
だというのに何故こんなにも冷静で居られるのか。
判らない。
忍の修行の賜物か。
大した成果だ。
動揺こそしていないにしてもこの胸はざわりざわりと騒ぎ出し、
体温は微熱と称するに不足なく上昇していた。


「御不満?」
「いーえ」
「無駄に気持ちのイイ即答ね」


何もかもに現実味が無さ過ぎるんだ。

頭を抱えられたまま横目に見遣る、ひだまり色に染まった景色。
木漏れ日は穏やかに地を染め上げ。
水は静かに漣む。
空は高くゆるやかにぬくみを降り注がせて。
風は柔らかなそのにおいを運ぶ。


「好きよ、佐助」


随分と久しく遠退いていた穏やかな世界は、優しく小さな痛みをこの胸にもたらした。


「好きよ」
「姫さん…俺は」
「だからさっさとその腕を回して」
「…それは」
「言ったでしょう。佐助は私のモノだって」
「俺は姫さんのモノでもいい。
 でも姫さんは…」
「私は佐助のモノよ」


言の葉を拙く紡げば姫さんの香りが肺一杯になって息ができなくなる。
何かが背筋をくすぐり這い上がって、胸の底から何かを込み上げさせて思考を眩ませる。
願う。
このまま。
どうかこのまま。
同時に思う。
このままでは。
このままではならない、と。

なのに。


「私はもうとっくの昔に佐助のモノなのよ」


ああどうしてこうもこの姫さんは何にも代え難くして確固たる尊い代物なのか。





「好きよ、佐助…───だから早く私は佐助のモノなんだってそう認めなさい」





何もかもどうしていいか判らなくなってその細い身体を掻き抱いた。


不安を不安と 
言える勇気を持て。



この想いはこうも浅ましく何にも代え難くして確固たる罪深い代物なんだ。


image music:【四季ノ唄】_ MINMI.