『蛍』と『焔』。
それが俺達姉弟の名。
俺達に名前を付けたのは母さんだった。
産み落とした双子にそれぞれ『ホタル』『ホムラ』と付けて『ホタルビ』と読ませるぐらいだから、それなりに情緒を解せる人間だったんだろう。いかにも、懐古主義をこよなく信奉してやまない親父の好みそうな趣向だ。歳の差なんて関係無かったらしい。16も離れた中年の男と年若い女が結び合って、俺達がこの世へと産まれ落とされた。
(しっかし、『焔』なんて名前付けたら、
本当に物燃やせる力が備わるなんて思わなかったんだろうな…)
『古来から名を付けるという行為には儀式的な過程と呪術的な意味合いがある』。いつだったかツグミが俺とホタルに絵本をまじえて話し聞かせた知識。ツグミの家庭教師ぶり、もとい子守りぶりを穏やかに眺めながら親父も『言霊の力かもしれないね』と笑っていたのを思い出す。
(二人は母さんじゃなかったから)
そんなもの、母さんにとって何の慰めにもならなかった。
(だから死んだ)
自分で自分を殺した。
人の定義の外にある赤子を2つもその腹に宿し、あまつさえ同時にこの世へと産み落とした。それだけが母さんにとっての事実、全てだった。
(いや、違うか…)
母さんにとっては親父が全てだった。勿論、俺達を愛してくれなかったかと言えばそれは違う。ちゃんと愛してくれた。(優しい陽溜まり色の記憶は4歳と7ヶ月までだけれど) しかしそれは親父を介して初めて生じ得る愛情であり、もっと言えば親父への愛情が根底にあってそれを砕けば跡形も無く崩れさるようなそんな諸い刃の上の愛情だった。
『化け物を産んでしまってごめんなさい』
だから最期に遺して逝った言葉は一欠片の濁りも無い謝罪の言葉。
『化け物でごめんなさい』
母さんにとって俺達は、親父への裏切り以外の何物でもなかった。
(…塾の時間だ)
親父は俺達を怨んでるだろうか。母さんを、最愛の妻を、女を奪った俺達を。時折考える。親父の過保護は憎悪の裏返しなんじゃないかと。今も煮え続けるそれを塞き止めるための堰。代償行為。でなければ贖罪か。何にせよ、所謂世間一般の親が子に注ぐ純粋なそれとは異なる類いのものなんだろう。何かしらがごとりと抜け落ちて、入り混じって、捻じ曲がって、歪み撓んでいるんだ。
俺の親父に対する感情がそうであるように。
「ホタル、起きて」
「ん…」
「塾の時間」
「…ホムラちゃん…、あれ、もう?」
「もう。すぐにシュウのオッサンが向かえに来る」
「あ…、本当。愁おにいちゃんの車の音」
あの時、俺はどうすれば良かったんだろう。
『お前達が居るから…ッ
お前達が居るから私はあの人に正しく愛されない…!!』
誰を守れば良かったんだろう。
『あれは、正当防衛だったのだよ』
誰を責めれば良かったんだろう。
『やめて、母さん!!
ホタルをぶたないで母さんお願いだからもうやめてやめてよホタルが死んじゃうッ!!』
何を嘆けば良かったんだろう。
『いやぁ、ママ…ッ、ママぁあぁァアぁぁ───ッ!!』
あの時、俺が燃したのは何だったんだろう。
「あのデコトラ、何で近所から苦情がこないんだろ…」
「でも愁おにいちゃんの車、おっきくてホタルは好きだよ?」
「…別に嫌いだなんて言ってないじゃん」
「うん、ホムラちゃんも愁おにいちゃんの車好きだもんね」
「別に好きだなんて」
「ふふ、ホムラちゃんの『嫌いじゃない』は『好き』だってホタル知ってるよ?」
「───…」
今も判らない。誰を赦して、誰を赦さずにおけば良いのか。曖昧なそれをやはり曖昧にしたまま俺は、今日もまた親父の大きな手を振り払うんだ。
自分の心を
知るなど
不快なだけ。