「君は笑わぬ方がいいな」


そう告げられた今日(こんにち)はとある梅雨の日の昼下がり。
甘く湿った曇り空の下、さしもの私とて柄にも顔にもなく瞠目する。笑わない方がいいとは。これは新しい。新しいが、生憎と私には少々斬新過ぎた。いかに解釈すべきか珈琲をすすりながらとりもあえず悩みもする。


「笑うな、と」
「何故(なにゆえ)にそうなる?」
「極一般的な世間的解釈を施したつもりだが」
「そのような小難しいロジックとやらは麩菓子同様食えぬよ。
 論理様が自慢の鼻先をひけらかす余地もない。実に単純な話ではないか」
「私の知らぬ間に、世における『単純』の定義は実に難儀な代物に進化したのだな」


香ばしく香る黒い液体に口付ける。極力音を立てぬよう、大切な舌先を驚かせぬよう、またそれを眼前のそれに気取られぬよう二口目をすする。不味い。やはり茶はほうじ茶に限る。人々は一体何故にこのような苦いだけの茶を嗜好品とするのか。思いはしながら、カフェーに足を踏み入れれば毎度途端に珈琲以外の文字を見失う私だ。つまりはそういうことなのだろう。それだけのことなのだ。


「笑う君がいて、笑わぬ君がいる。
 笑うからこそ笑わぬ瞬間があり、笑わぬからこそ笑う瞬間がある」


それだけのことだというのに。これは煙草を味わうがごとく、この世の真理を嗜むような輩であるからして。


「どちらも恋しく甲乙付け難くはあるが、
 殊、私に関しては、笑わぬ君の方がより愛くるしく映るというだけさ」


いたしかたもない、などと。愚考する己こそそれこそ全くいたしかたない。





「私の前では決して笑わぬ君こそ美しい」





燻った紫色でも何でもない煙草の煙が目に染みた。





(愛しいなどと、決して)


目を
閉じてるのは
自分だけ?