08.


「すいません、登校初日から遅刻しましたー」


教壇で熱く語っていた一年第一組担任のその暑苦しい勢いを遮って、
のほほんと教室へと入って来たのは、
良く通る、けれどしっとりとした独特の声色を持つ女子生徒だった。


「…入学初日から遅刻し且つ教室前扉から堂々と入って来るとは、
 なかなかの逸材、随分と良い胆を持っているようだな」
「お誉めに預かりましてどうも。
 一応、間に合う形で学校へは着いたんですが校内で"迷よわされて"しまいまして」
「この学級でそんな言い訳が通じると思っているのか?」
「まぁ言い訳といえば言い訳なんでしょうが。
 私としても言い分はあるので、これは弁明のつもりです」


担任の皮肉も何のその。
こめかみと口の端を大仰に引き攣らせたそれを前にしても、
女子生徒の口調、表情、ペースはどれも全く崩れない。
特に、今は真面目臭く固定されているその顔は美人と評するに申し分の無い造りで、
まとう深沈と静まった夜の森を思わせるその雰囲気と相まり、偉才さを放っていた。

「それで、ですね。
 学校に着いてから教室へ向かうに際して、
 確実性を重視して事務室の方に教室の位置を尋ねたんです。
 そうしたらこんな素敵な地図…というか説明を頂いてしまいまして」


今や会話の主導権は完全に彼女に移ったらしい。
口を真一文字に結んでしまった担任に対し諂うでもなく、やはりのほほんとして彼女は、
どこからかゴソゴソと四つ折りにされた一枚の紙切れを取り出し、すっと差し出した。
教室中の視線が彼女の指先へと集中する。
差し出されたそれを受け取って担任が視線を落としたのを確認すると女子生徒は、
「素敵でしょう?」と、やはり真顔で同意を求めた。


「……事務の松原か」
「はい。松原サンでした」


片手で顔を覆った担任の、盛大な溜め息が教室を満たす。
そうして視界から紙切れを追い出すように、
担任が紙切れを摘んだ手を力無く教卓の上へと投げ出してくれたおかげで、
教室中の新入生全員にも、彼女曰くの『素敵な地図』の内容を拝むことができた。





『右、右、左、ちょっと真っ直ぐ、左、右、かなり真っ直ぐ、階段降りる、左、左、到着』。





見事な文字の羅列。
もはや地図じゃねぇよ、と。
内心ツッコんだのは担任だけでなく教室中の新入生全員だった。





「こんな地図もアリかと、もう目から鱗でしたね」
「………だろうな」
「というわけでして。
 むしろコレでここまで辿り着いた私の努力を誉めて頂きたいぐらいの所存です」
「…判った。良い。席につけ」
「はーい」


勝旗は見事女子生徒に挙がった。
先程までの熱弁は何処へやら。
今や完全に毒気を抜かれてしまった教師のどこか投げやりなその対応に、
女子生徒がにこりと綺麗な笑みを浮かべた。


だな。
 お前の席は窓際から二列目の一番後ろだ。浮竹!」
「はい」
「彼の隣だ」
「了解しました」


指示に従って、実になめらかな動作でもって歩き出した女子生徒。
入室してからこの方、教室中の視線を一身に集めながらも、
まるで気負った様子も無く、実にマイペースな姿勢を貫き続けている彼女は、
やはりゆったりとした動作で一人の男子生徒の、その隣の席へと静かに腰を降ろす。
白く、少々毛先に癖のあるその髪。
午前の幾分涼やかな陽射しを浴びたそれを見て、
物腰の方も髪同様柔らかそうだと女子生徒が判じたことを、
この男子生徒が知ることになるのはこれから約三月程後の話。





「よろしくね、浮竹君」
「ああ、よろしく。





そう、この笑顔のやりとりが。
これから数百年と続く二人の"振り回し合い"の始まり。


梓弓

心の弦を、先んじて爪弾いたのは一体どちらであったか

書きたくて仕方なかった浮竹・学生夢。
この後、「僕も仲間に入れてくれないかい?」と京楽登場で山ジィの弟子三人組が完成。
ちなみに地図の元ネタはオフ友。
マジで目から鱗でした(笑)

【08】梓弓『心を惹く』 _ 配布元:やまとことばで38のお題サマ