10.


「十四郎」
「何だ」
「キスしてもいい?」
「ああ…───って、はァ!?」


隣を歩く親友は、まるで辞書でも借りるかのようにそんなことを言った。


「大丈夫よ。
 勿論ほっぺたに、だから」


ちゅっ、とね。
言って自分の頬を指差しつつにこりと笑ったのその口元に、
微かに"企み笑み"を垣間見た気がしたのは、自分が穿った見方をし過ぎているせいだろうか。


「あのな…、普通、親友同士でキスなんてするか?」
「あら、前例は作るものよ」
「…尤もらしいこと言ってるようだけどな、この場に相応しい格言でないことは確かだぞ」


一見してまともそうに聞こえて、
しかしよくよくすれば実にろくでもない事を真顔で言うに、
力無く裏手でツッコミを入れる。
同時に、この場にもう一人の親友が居なかった幸運に心から感謝した。
もしこの場に春水が居たら、
「僕は大歓迎〜」などと自分をからかう魂胆でもって話に乗って、
またで「さっすが春水、話が判る」とか何とか言って、
楽しげにするのだ、春水の頬へ、キスを、絶対。


「つまんない男ねぇ」
「悪かったな…」


こうして明け透けに接されるその都度、胸を刺す細い針のような痛み。

本当に一方通行なものだと思う。
抜け出し難い、親友というその心地良い距離感。
そう、怯えているのだ。
親友である"さえも"失うことを。
一線を踏み越えて拒絶させるのが、恐い。
取り戻せなくなるぐらいならいっそ、と。
そんな臆病な心に、この想いは今も其処に留まったまま。


「お〜い! 、十四郎」
「あら、春水」


と、一瞬遠退きかけた思考を現在へと引き戻したのは低く良く通る男の声。
声のした方角を見遣れば、遠くで春水が片手を上げて笑っているのが見えた。
その手と反対の腕には斬魄刀。
しまった。
次は山本先生との特別演習だったか。
うっかりと、このままと連れ立ったままにも、
鬼道の選抜コース特化項目へと顔を出してしまうところだった。


「授業の合間に逢い引きとは、お熱いねぇ」
「あはは、妬ける?」
「妬ける妬ける。
 まぁ熱いところに水を注すようでアレだけどね、次は山ジィと手合わせなんだわ。
 十四郎は貰って行くよ」
「はいはい」


遠くから冗談混じりにひやかす春水に、これまた楽しげに冗談を返すは、
それに俺がそこはかとない胸の痛みを覚えていることなんてきっと知らない。


「それじゃまた後でな…───」


知らない、はずだというのに。





「あぁ、ダメじゃない。じっとしててくれないと」





ふっと。
唇に触れた、柔らかで温かな感触。





「下手に動くから唇にしちゃったじゃないの」





目と鼻の先にある、常と変わらず平静としたその造りの良い顔立ち。





「本当は頬にするつもりだったのに」


でもまぁ儲けたかしら?
言ってはけろりと身を翻し、自分を置いて歩き出す。


「じゃあまた後でねー…───へっ?」


その腕を無造作に引っ掴んで、強引に引き寄せる。
突然の不意打ちに重心を崩したその身体は、呆気無く背中からこの腕の中へと収まって。
その細い腰にしっかりと片腕を回す。
まるで逃がさないとでも宣言するかのように。

視界の奥に、「おや」といった風に目を見張った春水の顔が映った、ような気がした。


「十四ろ…───」


そうして後ろから抱きしめたまま。
相手が不思議そうにも見上げてくるのを待って、重ねるように奪ったそれは。


「悪いな。手が滑った」
「…随分と豪快な滑りっぷりね」


やはり柔らかく、そして甘く。


「どうしてくれるのよ。春水なんか向こうで爆笑してるじゃない…!」
「まぁ、いいんじゃないか? 立会人ってことで」
「開き直りやがったわね、コノヤロウ…」





その初めて見る見事な赤面ごと、俺だけが知るものとなった。


天の橋立

それはきっと、未だ見ぬ夕空の色

学生時代な夢。
というワケで若さ故に。(何)
振り回したり振り回されたりと、何かと忙しいカップルです。

【10】天の橋立『まだ見たことがない』 _ 配布元:やまとことばで38のお題サマ