鬼さんこちら


「なぁちゃん。いいかげんウチ隊に来ぃひん?」
「来ません」


今日も今日とてこの男。
三番隊隊長、市丸ギンに本気なんだか冗談なんだかいまいち量りかねる、
執拗なまでの引き抜き勧誘を受ける午後の昼下がりだった。


「なら僕んトコにお嫁に…」
「嫁ぎません」
「相変わらず冷たいなぁ」
「冷たいのではなくて呆れてるんですよ」


こんな応酬が続いてもはや十と三日。
もうそろそろ本気で勘弁して欲しい。
けれど相手は隊長格。
立場上、下手に口も手も出せないのが口惜しい。
だからといって、一種、プライベートとも言えるこの悩みを、
我が隊の隊長、朽木隊長その人に相談したところで、
返ってくるだろう反応はきっと『自身で対処しろ』。
というか相手にして貰えるかどうかすら甚だ危うい。

だからといって五番隊の、自分が敬愛してやまないというか最愛の人だったりする、
藍染隊長その人へと相談する訳にもいかず。
それは「個人の問題は出来る限り自身で解決したい」とか、
「あの人に負担を掛けたくない」とか、
ある意味女の意地とでも言い換えられる代物であったりするのだけれど。


「呆れんといてや。僕、これでも真剣なんよ?」


然る故、一人で抱え込むことに。
そんなこんなでダラダラと付きまとわれてはや二週間弱。
ここまでくると、積もりに積った精神的疲弊は予想の外に大きかった。


「ああ。待ってぇな」


「待ちません。仕事があるので」という台詞は思いっきり喉元へと飲み下す。
その理由はといえば、相手にすればしただけこの男を喜ばすだけで、加えて何よりも、
この猫のような性質の男を相手にするだけの気力をもはや持ち合わせていなかったから。
後ろで何やらヒラヒラとした声が聞こえるが、鼓膜で反射。
ぐんと足運びの速度を上げ、肩で風を切って進む。

けれど。


「無視せんといてぇな、ちゃん」


さすが腐っても隊長格。
文字通りの『目にもとまらぬ』速さ。
瞬間移動とも言うべきそれはコンマ数秒で、
先程早足で引き離した数歩分の距離を縮めた上に、
こうして眼前へと立ちはだかって、上目がちの笑顔をたたえていた。


「な?」


けれど私とて。
自惚れるつもりはないけれど、遅れを取るような器ではないから。


「別に無視なんてしてませんよ」


次のコンマ数瞬後には市丸隊長の背後、要するに六番隊隊室との距離を縮めていた。


「してるやんかー」


視界の端に、ごしごしと目を擦る職員の姿が映った。


「そんなに六番隊がエエの?」
「それはもう」


時折何もかも見透かされているようで恐怖にも似た感覚を味わうことがあったり、
少々私情を挟む余地が少な過ぎる感も否めないが、
朽木隊長は隊長としても上司としても申し分の無い人であるし、個人としても尊敬している。
上司だけでなく、同僚や部下だって皆気持ちの良い人ばかりだ。
不満と呼べるものは今の所特にないし、
むしろ自分は本当に職場に恵まれてるとさえ思っている。


「ふーん、そんなにも五番隊の隊長はんがエエんか?」
「…ええ、それはもう」


突然何を言うかと思えば。
見やればいつの間にやら隣へと並んで歩いていた相手は、大股で一歩踏み出すと、
ふわりとターンして、後ろ歩きへとその歩調を切り替え楽し気に口の端を上げた。

その態度に。
愉快で仕方無いといった表情に。
多少、イラついた。
それはあの人を会話のダシに使われたこと対する不快感。
だから不粋な事を聞くな、と。
視線で鋭く訴えれば、相手は小さく肩を竦ませてまた普段と代わり映えの無い笑顔で笑った。


「そういう頑固なトコも好きやで?」
「どうせなら一途といって下さい、一途と」


くつくつと喉を鳴らして笑う相手は、本当に猫のようだと思う。
酷く気まぐれで、妙に人懐っこくて、それでいて時に掌を返したように残酷で。
今はいい。
だがこの先は判らない。
それは生前、人を殺すことを生業としていた頃に培った集団統率者としての勘。
反意の芽は早々に摘まなければならないという、一度死んだ今でさえ尚健在の思考。

何にせよ苦手な部類の人間だ、と。
そう思った。


「くく、やっぱりエエなぁ、ちゃんは」
「嬉しくもないですが、一応の社交辞令として。『ありがとうございます』」
「あはは、最高や!」


今度は大袈裟に声で笑って歩みを止める。
このまま放置して六番隊隊室へ向かっても良かったのだけれど、
一応の上官への礼を欠くのも何だと思って、
一礼ぐらいしようと振り返って自分も歩み止めた。


「まぁ、今日のところはここらで勘弁したるわ」
「助かります」


ぺこりと一つ軽くおじぎをして顔を挙げれば。
そこにあったのは先程とほとんど変わらないようで、
けれど何処か先程よりも大分邪気の増した、幾分かの毒を含んだ笑顔。

訝しく思って、自然と眉間に皺が寄る。


「いやな、『鬼の居ぬ間に』何とやらと踏んでてんけど」


相手の長い人さし指が自分の背後にある"何か"に向けられる。


「ほぅら、"鬼さん"がめっちゃ恐い顔でこっち睨んどる」
「"鬼"…?」





そこには珍しく笑顔以外の表情以外を携えた藍染隊長が居た。



『睨んどる』とか言われてますけど別に睨み付けてるわけじゃないです。
ただ無表情なだけ(笑)