言の葉
ひらひら



「はい」
「僕が死んだらどうする?」
「え…」


座ったまま後ろから抱え込むように、自分を甘く抱きしめるその人から、
突然降ってきた思いもよらぬ問い掛けには一瞬息を呑んだ。


「どうしたんです、急に…」
「僕が君の目の前で、一言すら残す事もできずに、
 実に呆気無く事切れてしまったら君はどうする?」
「───藍染さん」


咎めるというよりはむしろ戒めるかのように。
彼の名を口にした彼女は幾分温度の低い声色と表情をたたえて、
温かなその腕の中で半身振り向く。
一方の彼は、顔色一つ変えず、ゆったりとそれらの全てを静かに受け止めた。

視界に映るのは薄く雪化粧された庭と灰薄紫にくすんだ空。
冷たい冬の風が乾いた感触を残して二人の頬を撫でた。


「君のそんな顔は初めてみたな」


先程の乾いたそれとは打って変わって、今度は温みを伴った、
困ったような笑みを浮かべると彼は軽く肩を竦めて一つ息を吐く。


「どうして急にそんな事を?」
「さあ、何故だろうね…」
「…なら、どうして私を見ようとしないんです?」
「何故だと思う?」


その表情も仕草も態度も普段と何一つ変わりはしない彼自身のモノ。
何一つ変わってなどないのに。

それ故に感じる違和感。


「何かあったんですか?」
「あったように見えるかな?」


彼は促すばかり。


「答えて下さい」


ただ静かに。


「なら先に僕の問いに答えてくれないか?」


求めるばかり。





「どうもしません。貴方をむざむざ目の前で死なせたりはしませんから」
「はは、らしいね」
「───…私は答えました。だから藍染さんも答えて下さい」


笑顔で濁してばかりで、一向に自分の問いに答えようとする素振りを見せない彼に、
彼女は綺麗にその眉根を寄せた。
そして今度は半身のみでなしに身体ごと振り返ると、
らしくもなく彼の夜着の襟元を少々乱雑な所作で掴む。
答えてくれるまでは離さないとでも言うようなそれに彼はまた苦く笑った。


「君のそういう潔い所も好きだよ」
「…っ、そんな事聞いてません」


そうしてようやく視線を絡めたと思えば、今度は絡めたままでなどいられないような、
そんな告白めいた台詞を至極穏やかな笑顔と共に与えてみせる。
彼女の眉間にまた一つ皺が増えた。
それでも、その視線を反らさなかったのは彼女の意地でもありささやかな抗弁。

音も無く流れる時間。
冷えた沈黙。

そして。


「……もう、結構です」


最終手段とでも言うように。
一旦静かに目を閉じると、次の瞬間にはまさに冬の湖面の如く、
どこか感情という色彩の褪せた瞳でもってそう告げて。
掴んでいた襟元を軽く力を込めてとんっと押し返し、腰を上げようとした彼女の行動は。


「───すまない」


見事。
彼に白旗を挙げさせた。





「すまない、
「……別に貴方が謝ることじゃないでしょう」
「いや、非は僕にある。だから謝るべきはやはり僕だよ」
「………。」


見る者の背筋を冷やす、何も望んでいないような瞳の色。

普段は努めて明るく穏やかで、気さくに振舞う彼女も、
彼の前では時折そんな虚無とも言える"素"の表情を見せることがしばしばあった。
外見や性質に反して、感情を操ることに飛び抜けて長けている彼女は、
その本心を隠すことも、殺すことすらも造作無くやってのける。
それは生前の彼女の生業に起因するもので。
知っているからこそ彼は、敢えてそれについて深く掘り下げるような真似はしなかった。
時折、彼女自らがぽつりぽつりと零す以上の過去を求めようとはしなかった。

けれど。

ただ、判るのは。
『自分は誰かに愛されるだけの価値の有る人間ではない』、と。
少なからず自身の過去に負い目を感じてる彼女の心の根底には、
常にそうしたが思いが存在しているということ。


「弁明させて貰っても良いかな?」
「…どうぞ」


しばらくの間は、彼女は無言で片膝を立てたままでいたが、
彼の乾いた大きな掌がやんわりと頬を撫でると、また静かにその腕の中へと収まった。


「……何があった訳じゃないんだ。
 突然こんな事を言い出したのは、まぁ何となく、かな?
 それと君を直視することができなかったのは…、
 正直、どうしていいか判らなかったからなんだ」
「……判りません」
「それはそうだろうね」
「藍染さん」
「こればかりは仕方無い。本当に僕自身にも判らないんだよ」


判らない、と。
互いに口にする二人は、そこから先を見ることができず。
かといってそれを無かったものとして流してしまうことなどできない二人は、
しばらく互いの体温を感じられるが触れ合うには少々遠い、その曖昧な距離を保っていた。

灰薄紫色の空は未だ翳ったまま。


「…ただ、思った。
 もし今この一瞬、自分に死ぬという感覚が訪れるとしたら、
 その瞬間に僕は一体君に何を口走るんだろうかと」


今はこうして一人の男、一人の女として過ごす自分達は、
時期が変われば一死神として、現世でもって虚と一度失ったはずの命のやり取りをしている。

意識していようとも、無意識であろうとも、
これまでに多くの現実を命がけで生き抜いてきて。
目を反らしても、反らさずとも、
いつまた死んでもおかしくはないという現実をこれからも生きて行く。


「最後の一瞬に、僕は君に何を言えばいいんだろうね」


何かを堪えるかのように彼は両瞼を伏せた。
するとふいに頬へと触れた、柔らかな温もり。
彼女のしなやかな指先。
その白い手を包むように自分のそれを重ね、指を絡め、そのまま口元へと運ぶ。


「どの想いを残したらいい?」


それに淡く唇をひとつ落として、自分が選ぶべき選択を相手に迫る。





「忘れないでくれ、とは言わない。
 言ってしまえばそれは言霊となって君を永遠と縛りつけてしまうだろうからね。
 だが、忘れてくれとも言えない。
 何を犠牲にしても、君の中だけには残りたいと願う自分がいる」





この矛盾した想いの、
一体どちらを選べばいい?





「幸せになれ、とは言わない。
 君が僕以外の誰かと微笑んでいるのはやはり何処か我慢ならないからね。
 けれど、幸せになるなとも言えない。
 例えそれが僕のためでなくとも、
 やはり君にはいつでも微笑っていて欲しいと祈る自分がいる」





この交錯した想いの、
一体どちらを捨てればいい?





「どうしたらいいと思う?」


君にとってどの想いこそが真に必要なんだろうか。


「藍染さん、私は…」


溢れ返りそうになった感情を強引に瞼の奥へと押し込んで。
微かに震えた小さな手をもう一度柔らかく握り直して自分の冷えた頬へと導く。

灰薄紫色の空がまた白い粉雪を散らし始めた。
空気が熱を奪っていく。





「こんなにも僕は君に執着してしまっている」





冷たい冬の風が乾いた感触を残して指先を掠めた。





「───…何一つ残さないで下さい」
「それはつまり何も言わずに逝け…と、そういう事かな」
「はい」
「…………」
「ただ、その時は私も連れて逝って下さい」


ぽつりぽつりと、けれど一つ一つはっきりと言い切る彼女の言葉に、
彼は僅かに眉根を寄せて、言葉を詰まらせる。


「想いも言葉も何一つ残さず、その代わりに私を…それごと私を連れて逝って下さい」


揺らぎの無い漆黒の双眼に、気付けば呼吸することを忘れていた。


「私への想いも言葉も全部、残すのなら私の中だけに残して私ごと連れて逝って」
「僕は君を連れて逝く気は毛頭無い」
「ふふ、藍染さんならそう言うと思ってました」
「───
「でも、本当に私は貴方に死んでなんて欲しくなんてないし、
 最初に言ったように絶対に貴方をみすみす死なせたりしませんから。
 だって貴方がいない世界じゃ、私の存在は何一つ意味を成さないんですもの」
「……一応念のため聞いておきたいんだが、
 どうやって死に逝く僕をこの世に引き留めるつもりなんだい?」


そう問えば、彼女はにこりと一つ柔らかな微笑を浮かべて。





「『貴方が死ぬのなら私も死ぬ』。
 そう言ったら貴方は、きっと意地でも死んだりできないでしょう?」










「確かに……僕は君を連れてまで逝く気など皆無だからね」



本館からのリサイクルとしてupした藍染さん夢。
自分で書いておいてあれですが、
藍染さんが黒幕って判ってから読むとまた色々と違う解釈ができますね。