想い約束


「いつ見てもこの庭は手入れが行き届いているね」
「ありがとうございます…もう庭いじりは趣味みたいなものですから」


白い雪と赤い寒椿。
その対比の美しさに見蕩れながら、と二人並んで小さな箱庭へ立つ。


「恋次には『ジジ臭ぇな』なんて良く言われるんですけど…、
 暇があれば大概庭に触れていますね」


彼女の唇が自分以外の男の名前をなぞったことに、ほんの少しだけ胸の内が苦く疼いたが、
けれど彼女が花へと、庭へと注ぐその酷く愛おし気な視線を視界の端に捉えて、
そっとそんな浅ましい思考を脳裏から閉め出した。


「花は…花だけでなく植物は皆好きです」


言って彼女は、それこそありきたりな表現で恐縮だが、
本当に華が綻ぶようにふわりと笑った。
つられて口元が緩む。


「今度は枝物を入れようと思っているんですよ」
「そうか…ならその時は一緒に手伝わせて貰えないかな?」
「え? ええ、まぁそれは構いませんけど…」


土いじりなんてそんなに楽しいものじゃないかもしれませんよ?と。
言って彼女は困ったように笑った。

その指先が優しく椿の花弁を撫でる。
力の加減というものを良く心得ているのだろう。
首落花とも呼ばれる、触れれば潔くその花額ごと落ちるはずの潔癖な椿は、
静かに彼女の愛撫を甘受していた。


「それじゃあ何を入れましょうか…」


庭には既にいくつかの見事な枝物が居を構えている。
季節柄、今はその姿を潜めてはいるが、可愛らしい桃、涼やかな白梅。
そして美しさと儚さを同時に合わせもった枝垂れ桜。
他には木蓮や雪柳に、葉物ならば紅葉。
枝物以外には牡丹や曼珠沙華、白百合などが四季折々に彩りを添える。
おそらく主の好みなのだろう。
庭を飾る植物はみな白もしくは赤を基調としたものが多い。


「…梅、なんてどうだろう?」
「梅、ですか」
「嫌かい?」
「いいえ。ただ、藍染さんは本当に梅がお好きだと思って…」
「梅は君の香りだからね」


言えばその白い両頬に僅かに熱が滲んだ。
だから、「勿論、花としてもその澄んだ気品がとても好きなんだよ」と加えて告げる。
すると隣りの彼女はまた穏やかに、綺麗に笑んだ。
それはまるで白い梅のように。

かと思えば。


「私も、梅は藍染さんを思い起こさせるから…好きです」


なんて。
不意打ちまがいにも、ふわりと嬉しそうに笑んで見上げてくる彼女に。
ぐらりと、一瞬軽い目眩を覚える。
ああ、もう。
このどうしようもなく疼く胸の内をいかにすべきか。
彼女の笑顔に触れる度に、眼前の雪のように柔らかく降り積もっては、
また甘い微熱に融けて消えゆき、独占欲とでも言うべき乾きを呼ぶこの心を。


「藍染さん?」


そんな拙い内心に、自分は先程から苦い笑みを食んでばかりだ。


「紅梅と白梅どちらが良いかな?」
「そうですね…紅梅は艶やかで綺麗だし、白梅は香りが良いし…迷い所ですね」


見目を望むか、芳香を求むか。
呟いて彼女は赤い花を甘やかしていた細い指先を形の良い唇へと添え、小さく唸る。
その流れるような仕草。
彼女はその挙動の一つ一つが丁寧でとてもなめらかだ。
日常においても戦いにおいても、無駄と隙を限り無く省いたそれはまさに流水の如く。
容姿もさることながら、それこそが彼女を、彼女の存在感を、
周囲をして"綺麗"と表現せしめる最たる要因なのだと、また認識を新たにした。


「両方、というのはどうでしょう?」


そうこう考えているうちに彼女が辿り付いた結論は。
今ある白梅の枝に加える形で、
4:1の割合になるように白梅と紅梅を添え合うというものだった。


「それはさぞかし綺麗だろうね」


綺麗だろう。
綺麗でないはずがない。

艶やかな紅梅。
高潔な白梅。
そして彼女の濡れたような漆黒の髪。

三者の構図を脳裏に描いて。
間違い無いと、どこまでも確信めいたものを感じた。


「…そうそう、知ってるかい?」


そうしてふと思い付いたように口を開けば、ゆったりと顔を向ける彼女。
その整った顔に自分の影を重ねれば、僅かに詰まる互いの鼻先までの距離。
ともすれば澄み切った黒曜の双瞳に映り込む自分の顔。
意識すればそれぐらいに近い、距離。


「紅梅と白梅どちらが好きかと意中の相手に尋ねる言い回しはね…」


だからこそ出来る限り優しく、柔らかく。
落とすように言葉を零す。





「古くから『子供ならどちらが欲しいか』という意味合いも兼ねているんだよ」





黒い瞳が一瞬、幼く見開かれた。





「───…ええと」
「紅梅が女の子で、白梅が男の子だね」
「いえ、そういうことじゃなくて…」


大抵の物事には酷く冷静な態度をもって臨んでいる、
常に傍観者として分析的な思考を巡らし、動じることの少ない彼女だが。
おそらく免疫が無いのだろう。
他人の事ならまだしも、自身の色恋沙汰となると、
そうした平静さは幾分姿を潜めてしまうようだった。


「はは、大丈夫。
 今のは別段そういう意味合いを込めて聞いたわけじゃないから」
「…安心しました」
「安心されるのもそれはそれで男としては複雑なのだけどね」
「す、すみません…」


薄らと染まった両頬を掌で押さえながら謝罪する彼女は、
普段の大人びた雰囲気や仕草を顧みれば、大分幼く見えて。


「…っ!」



そこに在る、あまりある愛しさを。
気付けばその細くしなやかな身体ごと抱え込んでいるこの両腕。


「春はこれで決まったわけだけど…夏はどうしようか?」


そして。





「───その時にまた一緒に考えましょう?」





白梅の香漂わせ微笑う、愛しい君。



梅の花、好きなんですよ私。
毎年季節になると、近場にある梅所に花見に行ってます。