アイ シンク


「お前の言葉は聞いていて心地良いものと思える」


隣を歩く、寡黙であるはずの男の口から突如発せられた、
そんな幾許か告白めいた台詞に彼女は少しばかり驚いたように目を見張った。


「……それはとても光栄に思うのですが…どうしたんです、急に」
「お前の言葉は聞いていて飽きない」
「はぁ…」


けれど軽く困惑する彼女の様子などさしてどころか全く気に止めた風も無く。
合わせるつもりなど初から皆無なのだろう、
人より幾分速いその歩調を一向に止める気配も無く、
彼は話すではなく、静かに語り始めた。
彼のその性質を知っているが故に、彼女は黙って静かに彼と彼の言葉を追う。


「お前の言葉は私から何一つとして奪おうとはせぬ」


命令という必要最低限以外にはほとんど口を開くことのない、
自ら進んで長々と言葉を紡ぐなど天文学的数値である、
けれど開けば開いたで酷く饒舌且つ達者でもある両極端なその口。
そして出し惜しみとも思える後者が紡ぎ出す内容と言えば必ず、
変化球もいいところに真意を言葉の裏の裏へと潜めた代物か、
でなければただ一言、直球を投げ寄越してくるかのどちらかであって。


「そう、でしょうか」
「そうだ」


それでも彼女は。
そんな彼の不器用とも言える生き様の多くを、人よりもずっと知っているからこそ、
一癖も二癖もある彼の言葉の全てを、一つ一つ丁寧に受け取って、
言葉の裏の裏にまであるその遠回しな感情表現を逃さずきちんと汲み取って。


「そうであるなら、とても嬉しいですね」


解した上で、微笑う。

だからこそ彼はこうして彼女を傍らに置く。
そしてそれこそが、彼がこうして彼女を傍らに置く最大の理由だった。


「仮定ではない。だが肯定でもない。
 私が口にするのは事実、ただそれのみだ」
「…はい」
「お前の言葉は私から何一つとして奪おうとはせぬ」


人という存在は、男を女をと問わず大概に貪欲で傲慢だ。
あれが気にいらない。
そこを直せ。
自分のために。
変われ、と。
当然の権利とばかりに、喚く。

何を思い上がる。
不愉快だ。

変わる気など微塵も無い。
変わってやるつもりなど毛頭無い。


「奪わぬだけではない」


だがは違った。
彼女はそうした事を一切口にはしない。
求めることはあってもそれは、決して押し付けるようなものではなかった。


「お前の言葉は私の一切を否定せず、私の一切を肯定する」


そして代わりにとでもいうように、言った。

無理に喋ったりしないで欲しい、と。
勿論、その全てをとまではいきませんが。
気配や表情で、仰りたいことや考えてらっしゃることは充分伝わってきますから。

無理に笑ったりしないで欲しい、と。
無愛想であると、無表情であると。
周囲だけでなく御自身としてもそう思われているようですけど、
実際には周囲や自身が思っている以上に貴方は、
種類も量も豊富に、しっかりと感情を顔で表していますよ、と。

実はただ単に、朽木隊長が不器用なだけだったりする節も多々見受けられますしね、と。


「私の一切を損なわず、在りのままを受け入れようとする」


無情なままでもいいんです。
もしも私の屍という足場が必要となるような時が来たら迷わず貴方の手で殺して下さい、と。


「そう、お前の言葉だけだ」


私に合わせたりなんてしないで。
無理に自身を変えたりしないで。

自ら望まずになんて変わらないで。


「お前だけ、だ」


それが貴方ならば、私はどんな貴方でも受け入れられる自信はありますが。
それでも私は。
今の貴方が好きですから。
今の貴方も好きですから。

今も今までも、そしてこれからも。
私は"貴方"のことが好きだから。





「お前の言葉だけは好ましいものであると、私にそう思わせる」





お前のためならば涙する事も厭わぬ、と。
私にそう望ませるのは唯一お前に関わる事象だけ。










「私は自らの感情を自由に扱うことができぬ」


当主という立場故に、選び取れぬ一選。
自身の不器用さ故に、踏み込み切れぬ一線。


「けれど」


この、自身にもまだ残っていたらしい心を。
かようにも揺るがすのが唯一彼女であるのは紛れも無い事実であるから。

傍らに寄せんと望むのはお前だけ、と。
望むが故に彼は試みる。

その口元を淡く、けれど確実に緩く。





「お前を想うこの心だけは何を犠牲にしても生かそうと…今そう、決めた」





そして告げる。
ただ傍に、と。



コミックスを読んでいない方には微妙に判りにくいSS。
涙=肉体に対する心の敗北。好きなんスよ、兄様のこの台詞。

そしてまた無駄な言葉遊び。
アイ シンク = I think = I sink = 私は溺れる = 愛 sink = 愛に溺れる。