心渡して


「…それで、定刻に遅れたと」


本日、六番隊隊内会議にて。
遅刻の"ち"の字とも更々無縁と思われていた六番隊第三席が姿を現さなかった。
しかも途中入室もなければ、会議終了後も詰所へすら戻って来ることもなく、
彼女にはあるまじくも何の音沙汰も無いままに更に小一時間が経過。
同僚の死神達は勿論のこと、特に赤毛の副隊長の狼狽ぶりはといえば相当なものだった。


「面目ありません」


そして帰って来れば来たで即、心配した同僚達にぐるりと周囲を取り囲まれたは、
その不在の理由を問れても、困ったように曖昧に笑って濁すだけ。
彼女がこういった表情をする時は決まって何事かあったのだと、
長年の付き合いから知り得ている恋次が、
今まさに詰め寄ろうとしたところで、呼び出しが掛かりは隊長室へ。
しかし隊長直々に問いただされてもやはり自らの非を簡潔に延べるだけに留まり、
遅刻の理由については『私事』と銘打って、一切口を割ろうとはしなかった。

最後通告と言わんばかりに、
朽木白哉その人から除籍処分付きの隊長権限を行使されるまでは。


「何故最初からそう報告しない」


吐かせれば、事情は至って単純且つ至極非の置き場の明白な理由だった。

会議に間に合うよう多少の時間的余裕をもって現世から戻って来た彼女は、
名門貴族・朽木白哉を心より慕っているとしてどうしてか誇らし気に胸を張る、
過激派の女性死神貴族達から待ち伏せを受けたとのこと。
何ゆえにかと言えば、それは勿論この六番隊隊長と第三席の関係故。
そして下手に刺激して更なる面倒事を起こしては厄介と、
そう判断した彼女は、その独自の性質である冷静さと穏やかな物腰に任せて、
しばらくは完全に受身でもって一方的に罵倒を賜わっていたのだが、
しかし、いよいよ会議に間に合わなくなると判断して、
『隊内の定例会議があるからそろそろ失礼したいのだけど…』との丁寧な申し出が、
見事に女性陣の神経を逆撫でしてしまったらしく。
逆上もいいところに、殺気立って力任せに向かってきた女性死神達を、
仕方無しに、正当防衛の要件にと一つ浅い傷を負ってから、
その全員を手刀のみでもっていなし、また四番隊詰所へと運び込んだ上に、
律儀というか几帳面というか、御丁寧にも全員分の短期拘置手続を済ませてから、
ようやく詰所への帰路に着いたらしい。


「個人的な諍いですから。
 それに…まるで告げ口でもしているようです」


言うのも聞くのも、そう気分のいいものじゃないでしょう?、と。
言って彼女はまたほろ苦く笑った。


「くだらぬ」


まさに一蹴。
彼女は更に苦笑を深めた。


「隊務に支障をきたしました。処罰は慎んでお受けします」
「その必要は無い」


処分を下さないという相手らしからぬ言葉と態度に、
生真面目な彼女は綺麗にその眉根を寄せる。


「御処断、理解致しかねますが」
「処分を下す事由が無い」
「朽木隊長」
「お前が自らの保守のための言葉を口にしないことは知っている」
「それは…ありがとう、ございます」


しかしそんな顰め面も数瞬のこと。
飾り気の無い、否、飾り気が無いからこそ真意であることを知らしめるような白哉の口調に。
表情は変えず、けれど僅かに色味を変えたその眼差しと瞳の奥に。
は少しだけ照れたように笑った。


「───ただし、次は無いと思え」


一見突き放したような物言い。
しかしその実それは、白哉なりの彼女限定な思いやりだったりする。
もしまた同じ事が起こったら必ず自分に報告しろ、と。
さもなければ除籍も覚悟せよ、と。

お前が心配なのだ、と。
つまりはそういう事で。


「でも、こんな事にいちいち耳を傾けていたら隊長もお疲れになるでしょう?
 私としても疲れますし、それに全てを逐一報告していたら口が足りな…───あ」
「…ほう。過去に一度や二度ではないわけだな、こうした件は」
「………墓穴でした。どうぞ聞き流してやって下さい」


先ほどの定例会議で配られた資料を手渡された彼女は、一瞬しまったといった顔をしたが、
次の瞬間には面目無さそうに眉尻を下げ、諦めたような声色で小さく謝罪した。


「……何故言わない」


対して低く唸るように男は簡潔に問う。
そこに滲むのは明らかな不満。


「何故私を頼らぬ」
「それは…本当に大したことじゃありませんから」


それにその手の対応には慣れてますから大丈夫ですよ、と。
彼女はまた見る者を安堵させる笑みで柔らかく笑う。
ともすれば、彼は表情と声色に含ませた不快感を更に色濃く露にした。


「規律を乱し、抜刀沙汰まで引き起こした事実を大事ではないと。
 お前はそう言うのだな?」


死神が死神を相手としての斬魄刀を抜刀することは重罰をもって禁じられている。
彼女に絡んだ死神達は良ければ斬魄刀の処分、
最悪除籍処分をもって瀞霊からの追放も有り得るだろう。

だから。
事を大きくしたくない。
相手のためにも、自分のためにも。
そして何よりも愛しい人のために。

白哉の立つ足場はとても複雑で不安定なもの。
何が幸いして何が不幸となるか、その全てが紙一重で成り立っている。
だからこそいつだって彼女は事を穏便に済ませようと、彼に何も言わないのだった。

そしてその程度のことは、互いに十分理解し合っているから。


「そうして心配して下さるのはとても嬉しく思います。
 でも、いちいち取り合っていたらキリがありません」
「私の力は不要と?」
「いえ、決してそういうわけでは…」


理解して、受け入れて。
相手の気持ちを否定できないからこそ生じる、そのジレンマ。


「…怒ってらっしゃいます、よね」
「………」
「でも私は貴方の足枷にだけはなりたくない。
 けれど、貴方に納得して貰えないのはやはり悲しい…」


互いに想い合うからこそ妥協できないその一線。
譲れない、確かな感情。


「ならば話せ」


その、想い。


「話すだけで良い…そうして、私を頼れ」


だからこそ。





「お前がそうであるように。
 私とて、お前のためならば何をも惜しむつもりはない」





二人、心分かち合うことができるのだろう。





「朽木隊長、それは…」
「何だ」
「それは…卑怯ですよ」


形の良い眉が片方だけつっと上がる。


「───そんな殺し文句、卑怯です」


その視線の先には。
口元に利き手をあて、見事に頬を紅色に染めた


「…そうか」
「そうです」


本当に僅かな間をもって返ってきたのは実に色の無い返事。
そして不惑不動の鉄扉面。

けれど。


「私はお前に関して何をも惜しむつもりは無いのでな」
「…っ、またそうやって」


紡がれる台詞、言葉は酷く彼の人らしからぬ、
というよりも彼の人の性質からは顧みれぬほどに甘ったるい代物で。
それらに絡め捕られて、上手くの思考の紡げない彼女は軽い目眩さえ覚えて。


「絶対確信犯でしょう、それ…!」


対して確信的犯行を指摘された彼は。
何事も無かったかのように手元の書類へと視線を落とすに見せかけ静かに両瞼を伏せ。





「愚問だな」





そしてどこか満足そうに淡く口元を緩め、笑んだ。



うっかり乗じて確信犯な兄様。
こうして微かにも楽しむような表情を見せるのは彼女の前だけ。