自分の心を知るなんて不快なだけ。


つたわって


「桜、綺麗やね」


瀞霊廷も隅の隅。
枝垂桜佇む浅川の土手。
人気の無い其処にふらりと姿を現したのは嫌という程に見知った人物。


「…市丸隊長」


決して嫌いではないが、自分がとにかく苦手とする死神。
三番隊隊長、市丸ギン。


「桜、綺麗やね」


先程と一語一句違わぬ台詞。
当然あるのであろうに、普段から全くもって瞳を覗かせることのない糸目を、
更に細めて笑うその表情はどうしてか芯から優し気な代物だった。


「僕、桜って好きやねん」
「そうですか」
「つれへんなぁ」
「そうですね」


元より会話を連ねようという意志が無いのだから仕方無い。
それどころかあわよくば途絶えさせようとすら思って返事をしているのだから決定的だ。
そんな私の思考など口調からも態度からも赤ら様であろうに、
相手はさして気にした様子も無く、ゆったりとした歩みで距離を縮めてくる。
その視界に桜と私をきちんと納めながら。


チャンを思い起こさせるから好きやねん、桜」


どうしてそんなにも嬉しそうに笑うのか。
本当に、この人に関しては判らないことばかりだ。


「私が桜に似てると…つまりはそう仰る訳ですか?」
「まぁ有り体に言えばそやな」


綺麗なトコとか、涼やかなトコとか、艶やかなトコとか。
あとそう、散りざまの潔さや儚さなんかよう似てるわ、と。
その達者な口先でつらつらと自分とは無縁とも思える美辞麗句を見事に並べ立てる。
ああ、今頃イヅルは一人必死に書類にその身を窶しているのだろうか。
相手の饒舌を鼓膜で受け止めつつ、そんなことをぼんやりと考えた。
ああ、綺麗。
心の中で呟いて、舞い散る桜へと手を伸ばす。


「…って、聞いとる?」
「ええ、一応聞くだけは聞いていますよ」
「一応て何や、一応て。しかも聞くだけて」
「そのままの意味ですよ。
 私が桜……そうですね、確かに一理ありますね」


桜。
風に輝くその花弁。
素直に綺麗だと、そう思う。


「私はまるで桜のよう」


それは身に宿す全ての力でもって蕾を綻ばせ、咲き誇り、そして静かにその花弁を散らす。
一瞬、また一瞬と、交互に入れ代わるその生と死。
それは人々に様々な幻想を垣間見せる。
そしてその美しくも儚い幻に、古来から多くの人々が惹き付けられてきた。
かく言う私もその一人。

けれど。


「私はまるで、こうして足下に醜くうず積もる、泥に躙られ薄汚れた花弁のよう」


私のそれは、とても残酷な幻想。

蕾として生まれ、花として咲き誇り、そして花弁として散り往き大地へと落ち立つ。
そうして地へ降り、泥を纏い、雨という喜びを知る間も無く汚れた姿で土へと還る。
望めど空に戻ることはできず、迫り来るそれから逃れることも能わず。
緩やかにけれど確実にやって来る死をただ待ち、朽ちていく。

まるで生前の私。
ああ、『桜の木の下には死体が埋まっている』などとは良く言ったものだ。


「私は多くの死者の上にあって初めて存在できる、血染めの華」


永遠に乾くことのない傷口が僅かに開き、そこから濁った感情がしとどと流れ出る。





「───こんなにも私に相応しい比喩をどうも、市丸隊長」





言って、皮肉と拒絶を全面に貼付けた完璧な笑顔でもって笑んで見せた。






「ほんまに嫌われとるなぁ、自分」


"自分"とはこの男自身のことか、それとも私自身のことか。
はたまた両者か。
どうにも糠に釘、暖簾に腕押しであるらしい相手は、
方言特有の文法でもって独特に真意の濁された相槌を打った。


「まるで自分がまともなモンやと認めたないような口振りやな。
 なぁ、チャン。
 僕んコトもそやけど、自分んコトかてもっと好きになったってもええんやないの?
 好きになったかて誰も文句は言わへんよ」
「───…余計なお世話ですよ」


顔には全く出さなかったけれど、声に出してはっとする。
自分でも驚く程に無感情なその声。
同時に納得もする。
ああ、生前の自分は確かこんなものだっだと


「あのな、ボクはチャンのこと好きやで」
「それはどうも」
「何や、その曖昧な返事」


そう。
そうだ。
この声色だ。
この目線だ。

少しづつ、けれど確実に戻ってくる生前の感覚。


「ほんまに好きやねんで」
「なら…『私も好きです』と、そう頬を染めてなんて返したのなら、
 貴方は自身で、その減らない口を叩き潰してくれますか?」


そう、これが私の本性。


「せぇへんなぁ」
「でしょう?」


ああ、表情を作らずに済むということはこんなにも楽なものだったか。
相手を気遣わない会話とはこんなにも簡潔で好ましいものだったのか。
久方ぶりに取り戻した、あらゆるものがどこかしら麻痺したその感覚は、
酷くしっくりときて、またどうしてか新鮮に感じられた。


「でもな、さすがにこの口を潰すことはでけへんけど」


新鮮になんて感じられてしまったのはきっと。
死んでからこの方、生前では考えられなかったような、
柔らかなぬくもりに満ちた子供達と共に穏やかな時を過ごしてきたせいなのだろう。


「そんでも僕はチャンのこと、好きやで?」


その声に。
波が引くように、すうっと遠退いていく古い感覚。
代わりに取り戻されていく桜咲き乱れる視界。
光に満ちた、鮮やかな世界。


「なぁ、どないしたら信じてくれる?」


桜と共に、私を蝕むその澄音。


「君が綺麗なもんが好き言うんなら、いくらだって望み通り綺麗なもんになったるよ。
 今までの汚いもん全部洗い浚い流して、それでも落ちんかったらそこだけ挿げ替えて。
 いらんもん全部捨てて、これ以上無い言うくらいの綺麗なもんになったるよ」


どうか、そんな無条件に受け入れようなんてしないで。


「けど君んとって汚れとった方が都合がええんやったら、何べんでも汚れたるよ。
 それでもまだ汚れたりん言うんやったら、もっともっと何処までだって汚れて見せたる」


信じたりなんてできないから。
有るものも、無いものも。
区別無く、その全てを私は疑ってしまうから。


「君が僕んコト綺麗だとか、自分に比べたらまだマシやとか言うんならな、
 自分が触ったら僕が汚れるとか、汚すのが恐くて僕に触れられん言うなら、
 君の知らんところで、窺い知れんところで勝手に自分で汚れて来たるわ」


信じたりなんてできないんです。
疑わずになんていられないんです。


「君が僕んコト好きになれんかて、そないな理由付けて拒みよるんやったらな、
 君が殻厚くするようなそんな理由なんぞ、
 そうやって端からしらみ潰しに消してったるさかい」


私には誰かを愛するなんてことできやしない。
できるわけがないんです。
だから。


「せやから、なぁ」


だから、そんな事。
お願いだから言わないで。


「僕んコト好きになって?」


好きだ、なんて。
どうかこれ以上口にしないで。

困ったようになんて優しく微笑わないで。





「そんでもって自分んコトも、もっともっと好きになったって?」





ああ、自分の心を知るなんて不快なだけなのに。










「ごめんな。ほんま、泣かせるつもりはなかったんよ」
「…私だって泣くつもりなんてありませんでした」


『涙が溢れる』という言い回しも、あながちに技巧のみの表現ではないことを、
今初めて、十二分にこの身を以て味わった。

あれから私は泣き続けていた。
否、ただ"涙を流し"続けていた。
声も上げず、表情一つ変えず、涙を拭うこともなく。
ひたすらに際限無く溢れ出ていく涙をそのままに、ただ眼前の男を見つめていた。


「ほら、笑ってや」


そんな私の代わりにとでも言うように。
この人はずっと私と向かい合って、
溢れ出ては流れ落ちていく涙をただ静かに、けれど優しく拭ってくれていた。

その長い指先で。
その大きな掌で。
その柔らかな唇で。


「無理、言わないで下さい」
「無理? 何で? 今やて涙目にも笑っとるやん」
「……笑って、る?」


指先で目元を拭われ、掌で頬を撫でられ、唇で掬い取られ。
そうして最後にそっと触れるだけの口付けを唇に落とされて、ようやく止まったこの涙。


「私、が…?」
「うん」
「笑って…?」
「そう」


自分でもどうにもできなかった涙がどうして止まった?
何があって私は自分でも気付かぬ内に笑ってなんていた?

───ねぇ、どうして私は泣いたりした?


「どうして…」


自分の心を知るなんて不快なだけ。
そう、思っていたのに。


「そら簡単やろ」
「…?」


知る必要なんてないと。
必死に、目を背けてきたのに。


「僕が居るからや」


知ってしまえば、そう。
この心に満たすのは貴方で。
この胸を占めるのは貴方で。

目の前に居る、貴方で。





「せやからほら、もう一回。
 僕んために可愛く笑って見せてや」





涙ごと何もかもを流し出した、この心の水面に浮かび上がったのは貴方。
風光る桜にまみれて優しく微笑う優しい銀色の笑みだった。



リクエストで『ギンのシリアス夢』。
最近、長ったらしいSSを書くのがブームです。(いや、ブームて…)
…単に推敲力が無いだけという説もありますが。