去過来未


「恋次」


『馬鹿は風邪をひかない』などとは、良く言ったものだと思う。


「…んだよ」
「その後部頚椎に私の手刀を受けたくなかったら今すぐ大人しく部屋へ戻りなさい」
「あ?」
「だから、風邪をひいてるのなら部屋で休んでなさいと言ってるの」
「………風邪? 俺が、か…?」
「やっぱり自覚が無かったのね…」


この表現は酷く的を射ている。
しかしそれは馬鹿だから風邪をひかないという文字通りの意味ではなく。
『馬鹿は風邪をひいていることに気付かない』。
然るが故に、『馬鹿は風邪をひかない』のだ。


「あるわよ、熱が。病人と称するに申し分無いぐらいに」
「…そうか」


そしてその決まり文句は。
眼前のこの男子が、紛れも無い"馬鹿"であることの証明に他ならない。


「…つかお前、どうせ労るんだったらもっと色付けて喋れよ」
「あら…それはつまりこの場で、この公衆の面前で、
 爽快に気を失って見事なまでの赤っ恥をかきたいと、そう捉えて良いのかしら?」


恋次はこうした時、酷く不器用な態度をみせる。
思い遣られるというくすぐったさを、こんな風に仏頂面や憎まれ口で噛み殺そうとするのだ。
流魂街から変わらぬその野良犬ぶり。
だからこそこちらもあの頃と変わらぬ仕草でもって、
親犬としてにこりと有無を言わせぬ笑みを貼り付けてみせた。


「………俺が悪かった」
「まったく…本当に昔から手間の掛かる子だったわね、恋次は」


ともすれば。
強情っぱりで致命的に素直じゃない、けれどひたすらに真っ直ぐで文句無しの漢前な、
この幼なじみ兼、家族兼、親友兼、恋仲の頭に"大"が付くお馬鹿さんは。
謝罪の言葉を口にすると、ばつが悪そうに後ろ手でもってその緋色の髪を掻き回した。
どうやら自覚したせいか僅かに熱を持ち始めたらしいその両頬。
今度は私が苦笑を噛み殺して、利き手を差し出す。


「それじゃ、行きましょ」
「あ?」
「もう熱が脳まで回ってるの?
 部屋まで連れて行ってあげるって言ってるのよ」


どうせ四番隊詰所に行くつもりは無いんでしょう?と。
諦めた口調で告げれば恋次は、視線を外したまま小さくこくりと頷いた。


「膝ぐらい貸してあげるから」


いまだ宙を掻く利き手を、恋次の視線の高さまで持ち上げる。


「…ふん」


対して恋次は、相変わらずの仏頂面で。
しかも差し出した掌ではなく、その下の手首辺りを乱暴に引っ掴んで寄越した。


「いちいち可愛気の無い…」
「放っとけ」
「まぁ確かに可愛い恋次なんて想像しただけで砂でも吐きそうではあるけれど」
「うるせぇよ」


二人並んで五番隊詰所の廊下を歩く。
どうしたってコンパスの差から一歩先を歩くはずの恋次と足並みが揃う。
私にしたら普段通りの、恋次にしたら鈍いその足運び。
「大丈夫?」と小さく声を掛ければ、「…だりィ」と掠れた声が返って来る。


「…膝だけかよ」
「は?」
「だから膝だけと言わず、身体ごと貸せっつってんだよ」


歩みを止めはしなかったけれど、ついに熱で脳細胞が死滅したかと正直思った。


「…埋められたい?」
「いちいち可愛げが無ぇな」
「その台詞、そっくりそのまま恋次に返すわ」


いつの間にやら気付けば互いにしっかりと絡めていた指先を視界の端に収めて、
その骨張った男の手の感触を確かめて、わざとらしく盛大な溜め息を吐いて見せた。


「まったく…、病人と寝る趣味はないわよ」


そうこうしている内に到着した恋次の部屋。
恋次は自分と違って詰所からほとんど距離の無い、隊の寮的な建物で寝食を得ている。
だからこそ、これだけの短い時間で到着したわけだけれど、
ここへ来るまでの間に、両手で数えると指が少し足りないぐらいの数の同僚とすれ違った。
気付いているのか気付いていないのか、はたまた確信犯か。
恋次は私と手を繋いでいることなど気にもとめた様子も無く、
こうしてここまで歩いて来てしまったのだけれど。


「今布団敷くから。とりあえず其処座ってて」
「…おう」


きちんと三つ折りに畳まれていた敷き布団だけを引き摺って所定の位置へと広げる。
その端に枕も添え置く。
掛け布団は恋次が横になってから掛けてやることになるのだろうから今はいいわよね、と。
薬を貰うついでに水枕や額に乗せる布も花太郎から借りて来ないと、と。
つらつら考えながら、壁に背を預けて沈み込むかの如く座り込んだ恋次の傍へと歩み寄った。


「今お前、俺以外の男の事考えたろ…」
「良く判ったわね。ほら立てる?」
「テメェ…」


しっかりとしたその腕を引き上げて、脇から自分の肩を滑り込ませて立たせる。
そして数歩離れた布団の上まで歩かせて、なるたけ静かにその身体を横たえさせた。
さて、次は四番隊へ、と。
思って、恋次を布団へ寝かせるために一緒に倒した身を起こす。

訂正。
起こそうとした。


「え…?」


しかしそれも、重量分の重力と僅かな腕力によって阻まれた。


「…ちょっと?」


背中と腰へとしっかりと回されているこの男の両腕は一体どいういう了見なのだろうか。
柔らかいとは言えない鈍い衝撃を伴って、
仰向けに寝転がる恋次の肩口へと口元が押し付けられる形で引き寄せられたこの身体。
腕に籠る力に緩む気配は無い。
仕方無しにも恋次の肩上の敷き布団へと肘を立てて間隔を稼ぐ。

至近距離にある恋次の端正な顔。
呼吸さえも感触を持つようなそ距離。


「何のつもり?」


全くもって意図が掴めない。
仕方無く、心持ち困ったように眉根を寄せてみせる。
なるべく早く状況を打開したい。
これではまるで私が熱で弱っている恋次を襲ってるかのよう。


「言ったろ、身体貸せって」
「貸すなんて言ってないわ」
「関係ねぇよ」
「あるわよ」


気怠げな所作でこの身体を抱え直す恋次。
ともすれば、抱え込まれて腕から先はほとんど使い物にならず。
結局消去法でもって、またもや仕方無しに相手の首筋へと顔を埋める。
そしてその収まりの悪い髪を必死にまとめている白い紐へと噛み付いて、
引き解いて鮮やかな緋色の毛を散らした。
それは寝辛いだろうからなんていう、心砕いた配慮。

しかしこの病人は、そうした恩を丸っきり仇で返すつもりらしかった。


「全身運動で汗でもかきゃ、一気に熱も下がるってもんだろ?」
「馬鹿言わないで頂戴。
 粘膜やら唾液やらを通じて私に感染るじゃない」


何とか肘から掌へと重心を移して上半身を起こす。
すると背中へと回されていた恋次の片腕は抵抗無く外れた。
けれど、一方の逞しい腕はいまだこの腰へと緩く絡みついたまま。


「もう…駄々っ子」
「黙れ」
「お子様」
「黙れよ」


ああ、まるで時間だけがあの頃に戻ったよう。


「甘えんぼ」
「黙れっつてんだろ」


ねぇ、覚えてる?


「まったく、本当に馬鹿なんだから…」


昔もこうして熱を出した恋次に、触れるだけの口付けを落として寝かし付けてあげたこと。





「───…ほら、病人は病人らしく大人しく寝てなさい」





ただあの頃は額に、であって。
今みたいに唇にではなかったけれど。





「───…お前こそ馬鹿か?」
「失礼ね。私のは確信犯よ」


それに風邪なんて空気感染なのだから既に手遅れだわ、と。
言い捨ててもう一つ、片瞼へと唇を落とした。
そうして触れた唇をゆったりと引き戻す反動のままに、今度こそ両足裏をついて立ち上がる。
腰にはもう、甘いしがらみは感じられなかった。

怠さも極みらしい火照った身体に、ふわりと布団を被せてやる。


「花太郎から薬と看病用品一揃え借りて来るから。着替えは後で」
「ああ…」
「あと藍染隊長の処にも寄って来るわね」
「……頼む」
「───大丈夫よ。
 このまま居なくなったりなんてしないから」
「…っ! もうガキじゃねぇんだからさっさと行けよ!」


恋次のやや荒げた声に背中を押されて、部屋の戸口へ向かう。
戸を開く。
部屋から出る。
戸を閉じる。





再度訂正。
戸を閉じかける。





「…さっさと、戻って来いよ」





肩越しに返り見た恋次の横顔は。
あの頃とは違って、心細さの影は無かった。



タイトルは『去り過ぎては来りて未だ<サリスギテキハタリテイマダ>』と(無理に)読む。
過去と未来の逆さ文字的(無駄な)言葉遊び。

子供の頃の恋次は、まるで一人置いてきぼりをくったようなその感覚が嫌いで、
もしかしたら目が覚めた時に周りに誰も居ないんじゃないかと思うと恐くて、
とにかく『人よりも先に寝る』ことを嫌ったんですね。寂しんぼめ。
そして成長した今も、最初から一人で寝るなら何の問題無くなったけれど、
寝る時に誰かが傍に居るとやっぱりちょっと不安になってしまうんでしょう。

…って、やはり妄想し過ぎですかコレは。


image music【くるみ】_ Mr.Children.