内なる空
「あらルキア、お友達?」
初めてと出会ったのは、ルキアに助けられたそのすぐ後だった。
「私の名前は。貴方達は?」
その時点で既に、は今とほぼ変わらない背格好に外見年齢だった。
だから初対面の印象は優しそうな『姉ちゃん』。
実際には俺らにとても優しかったし、
ルキア以外の仲間は皆のことを『姉ちゃん』とそう呼んでいた。
勿論、俺も。
呼べば笑顔で答えてくれた。
穏やかな物腰。
まとう整然とした雰囲気。
柔和で淑やか容姿。
そして何よりも印象深かったのは、流水を思わせるその独特の声色と口調。
普段は女らしい立ち振るまいであるのに、時折酷く漢前な態度を見せたり。
ボケかツッコミかと聞かれたら確信犯なボケ込みのツッコミであったり。
外見年齢相応であったり、けれど時に歳不相応な深い哀愁を帯びた表情を見せたり。
そんな良い意味でも悪い意味でも掴み所は無いが、確かな存在感。
肉体的にも自分達より一段も二段も高く、そして精神的にも広い視野を持つは、
叱る時は本気で叱るからこそ厳しかったが、
俺らに向けるその眼差しはいつも柔らかな温もりを帯びていた。
仲間であり、ダチであり、姉であり。
は俺らが唯一嫌いでない大人になった。
──────
「『私みたいに強くなりたい』?」
俺らの育った戌吊は本当どこまでもゴミ溜めまがいの街だった。
クソみてぇな連中が、クソみてぇな生き方をしている、クソみてぇな街。
大嫌いだった。
街の連中も、街自体も。
「…やめておきなさい。
私は別に強いわけでも何でもないもの。
ただそういうものに対する経験と術が人より長けているだけ…でも、そうね。
確かに、選択権が無かったとはいえこの街で生きていくには、
この街に合わせた"やり方"を覚える必要はあるものね…」
だから俺らも拒み返してやった。
俺らなりのやり方で。
仲間を求め寄り集まって。
家族になって。
お前らクズとは違うんだ、と。
「───ただ、誰かを護って生きていくにはそれ相応の覚悟が必要よ」
そんな弱っちい俺らに、は生き抜く術を教えてくれた。
本当にたくさんのことを教えてくれた。
普段の生活の知識に加えて、護身術としての基本的な体術、身を潜める時の気配の消し方。
ガキにも覚えられる程度の交渉術、連携の取り方、盗みの段取りと策法、逃げの鉄則と禁則。
そのほとんどが自分と仲間の『身を守る』ための手段だったが、
霊力の素養があった俺とルキアには、
どうして知っていたのか初歩的な鬼道の扱い方に加えて、
ある程度『相手を倒す』、『敵との戦い方』も教えてくれた。
ただその度に。
「何時も逃げが最上策。攻撃はあくまで死を回避するための究極的な防衛手段」だと、
不用意に戦ったりは決してするなと、口を酸っぱくして言ってたっけな。
「『百戦百勝、善の善なるものに非ず』ってね。
最上の兵法は『戦わずして目的を達成し、勝つ』ことよ。
相手が何であれ、争うような事態は徹底的に回避しなさい」
とにもかくにも、暖かく時に厳しく見守ってくれるは、
俺らにとって唯一絶対の頼み処とできる親代わりの存在でもあった。
──────
「どうして自分達を鍛えてくれるのかって?」
ルキアも変わった奴だったが、も相当に変わった奴だった。
いや、むしろ不思議と、そう表現するべきか。
話を聞けば、ルキアと出会うまではずっと一人で戌吊に暮らしていたらしい。
あのクソみてぇな街に、たった一人で。
最初、正直信じ難かった。
は、とてもじゃないが戌吊に暮らす人間であるとは想像もつかない程に、
むしろ場違いとも言えるぐらい尽くこの街と相反する性質の持ち主だったからだ。
けれどその一方で確かに汚いことを知り尽くしまた見尽くしていたし、
その対処法も死角無く心得ていた。
子供ながらに不思議だった。
少なからず違和感を感じていた。
「決まってるじゃない。
それは恋次達が可愛くて仕方無いからよ」
は強かった。
力や知恵だけでなく、心だって俺らの誰よりも強かった。
何故そんな人並み外れた身のこなしやら知識やら精神力やらを持っているのかと聞けば、
いつだって苦く、というよりもむしろ苦し気に笑って濁すだけで、
答えてはくれることは決してなかったが。
二人目の仲間が死んだその日まで。
「それに…もう家族でしょう、私達?」
それでも。
が俺らを大切に思ってくれていることは確かだったから。
がならどうでもイイことか、と。
思ってその時の俺は、大人しく髪を撫でられることにした。
──────
一度盗みで、欲を出したが故のヘマで本気で死にかけた事があった。
けれど先に他の仲間を逃がしておいたおかげだろうか。
結局、俺は助かった。
まるで瞬間移動でもしたんじゃねぇかと思うぐらい、
真っ先に助けに来てくれたのはの手によって。
「ぁ、あ…」
は強かった。
息の根を止めるつもりで遅い掛かってきた汚ねぇ大人連中をほんの数瞬で、
俺を守りながらも一片の危うさも晒すこと無く、誰一人として殺すことなく、
けれど容赦無く実に鮮やかに沈めて、その場を静り返らせた。
「恋次」
は強かった。
そして厳しかった。
誰のものであるかを問わず、命に関わる事柄に関しては殊更に。
「普段から言ってるはずよね。
即物的に求めるな。
必要最低限を不足と思うな、と」
「…っ」
「もしこのままこの連中に捕まって、拷問にでも何でも掛けられて、
私達の居場所を吐かない自信が恋次にはあったとでも言うの?」
「それ、は」
「拷問尋問の耐え方なんて、私はまだ教えていない」
これが最初で最後だった。
「───ッ!!」
の冷たい掌に、頬をはたかれたのは。
「恋次。お前は今、出過ぎた欲で私達家族の命まで危険に晒した」
絶息させるような殺気を浴びせられたのは。
「ごめ…っ! ごめ…、ごめ、ん…ッ!!」
そして。
「───…なら、もうこんな想いはさせないで」
少しだけ震えた両腕に抱かれて、そんな涙声を聞いたのも。
──────
俺らが家族になって数年経ったころ。
街へ盗みに行った仲間が一人、一晩経っても帰って来なかったことがあった。
「大人しく待ってなさい」
何かの用事でその日一日出払っていたため、
日もどっぷり暮れた頃になってようやく帰って来たにそのことを告げれば、
アイツは滅多に見せないような険しい表情ですぐにそのまま身を返し、探しに出た。
当然俺らは、一緒に行くと駄々を捏ねた。
連れて行ってくれとせがんだ。
だが、は決してそれを聞き入れることはしなかった。
「駄目よ。私について来るのは勿論のこと、決してここを動いては駄目」
帰りを待つこと以外には何も、許してくれなかった。
「判り辛いかもしれないけれど、
それは最悪の場合、全員の命を失いかねない危険に繋がるのよ」
言われた時は意味が判らなくてとにかく叫び散らした。
罵倒まがいの言葉すら発した。
けれど今になって考えてみれば、いや、今となってはあくまで想像でしかないが。
おそらくその時既に、仲間は死んでいたんだろう。
そしてその身体は連中の手の内にあって、しかもそれを餌に罠を敷いて、
アイツらは手薬煉引いて待ち構えていやがったはずだ。
だからこそ見越しては一人で出向いていった。
仲間の、あまりにむごいその死に様を見せないように。
「私はあの子を此処へと連れて帰って来たいと思ってるし、
皆のことを護りたいとも思ってる。
だからもし、私の言い付けを破って後をつけて来ようものなら…」
クソみてぇな奴らの、無惨で凄惨なむごい肉塊が転がる、
目も覆うようなその光景を俺らに見せないために。
「短慮にも自身の感情のために仲間の安全を犠牲にするような輩は、
私に殺されても仕方無いものと思いなさい…───」
躊躇いなく的確に人を殺めることができる、自身の姿を見せないために。
──────
翌日。
それこそ目も当てられないような肉の塊となったそいつの身体を、
優しく横抱きにかかえて住処に戻って来たのは、
僅かな返り血と、濃い血の臭いをまとわせただった。
「そういえば、ここには死を悼むための花も無いのだったわね…」
皆が仲間の死に涙する中、は沈痛な面持ちを保つのみで決して涙を流すことはなかった。
「おやすみ…」
ただ一言そう墓前に囁いて。
皆で被せたいまだ柔らかな土を撫でて、静かに目を閉じた。
──────
初めて仲間を一人弔った頃からだろうか。
俺は周りに誰か居ると、そいつよりも先に眠ることができなくなった。
理由は自分でも判ってた。
朝目が覚めたら周りには誰も居なくなっているんじゃないかと考えると、
恐くて眠れなかったんだ。
一人置いてきぼりをくったようなその感覚を味わうのが嫌で、
俺は全員が寝静まったのを確認してから眠りにつくようになった。
「ほら、おいで恋次」
けれどには。
拙い寝たふりも、不眠症もすぐに気付かれた。
当然といえば当然のことだった。
もしかしたら本当は寝てなんていないんじゃないかと思わせるほどに、
常に誰よりも早く起きて、誰よりも遅く眠るのは昔からずっとだったからだ。
は特に何を言うわけでもなかったから、自分らで気付くしかなかったが、
それは俺らが安心して眠れるようにという配慮だったんだろう。
「寝付けないのなら少し話をしようか」
そうしては毎晩、俺に暖かい膝の枕を提供してくれた。
色々話した。
いや、違う。
ただ俺が思ってることを洗い浚いそのまま口にして、
そしてそれらを、適度に相槌を打ちながらは丁寧に受け止めてくれていた。
「恋次が野良犬?
ふふ、何だか言い得て妙ね」
その夜もそうだった。
俺が頭に浮かんだことをつらつらと口にして、
それを聞きながらは俺の髪を撫でていた。
「でもどうしてまた野良犬なの?」
俺らは所詮汚らしい野良犬で。
空に向かって、星に向かって、月に向かって。
遠く喚き散らすことしかできないんだろう。
そうして喚き疲れ力尽きて、野垂れ死んでいくのが関の山なんだ。
いつもそう思っていた。
認めたくないとは思いつつも、心のどこかで諦めていた。
けれどは。
「いいじゃない、それでも。
星に向かって吠える野良犬なんて気高くて…私は好きよ、そういうの」
そう笑って俺らを肯定した。
「ああ、おはよう。恋次」
気遣いか、朝起きてみれば俺の身体はいつも、しっかりと自分の寝床へと戻されていた。
それがどことなく気恥ずかしかったり、それでいて寂しく感じられたりしたのも事実。
「ほら早く顔洗って来なさい、寝坊助な野良犬さん」
家族への親愛の情に、新たな恋慕の情が加わったのはあの頃だったろうか。
──────
「そうね…そろそろ頃合いなのかもしれない」
流魂街に来て十年。
仲間が一人二人といなくなって、とうとう三人だけになった頃。
死神になると言い出した俺とルキアに、どこかで予見していたのか
それとも最初から当然にこうなることを見越していたのかは特に動じた様子も無く、
少しだけ寂しそうに両瞼を伏せて笑って、そんな事を言った。
「恋次とルキアなら必ずなれるわ、死神に」
だから頑張って、と。
自分は戌吊に残るから、と。
そう告げられた俺とルキアはそれはもう見事に狼狽し、驚愕したものだった。
「だって二人共、もう一人でも十分生きていけるでしょう」
いつも俺らを見守ってくれていた。
常に誰よりも俺らの意志を尊重してくれてきただからこそ、
俺らが死神になると言えば、当然のようについて来てくれると思っていた。
けれど違った。
そんなことわざわざ考えてみずとも至極当たり前のことだってのに。
この時ほど、自分がどれほどに甘えていたのかを痛感したことは無かった。
後に聞けばルキアも、あの時ほど強く唇を噛み締めたことはなかったとそう言ってたか。
「もう…、何て顔してるのよ」
そんな綺麗な苦笑に、はっと我に返った俺とルキアはそれから二人掛かりで必死に説得した。
純粋に家族であると離れるのが嫌だった。
これからも一緒に居たかった。
だから本当に必死に。
馬鹿みてぇに必死に。
後でに聞けば『二人があんまりにも泣き出しそうな顔をしていたから』と笑っていたが、
何とか半月近くかけての説得で、ようやくサユリも一緒に真央霊術院に入るとの承諾を得た。
その時の俺とルキアは『無い尻尾を千切れんばかりに振ってた』らしい。
「子の成長を見届ける親の心境ってこんな感じなのかしらね…」
野良犬の俺らの親だってんなら、お前は相当な凶犬だなと。
言えば手痛く小突かれたのを今も覚えてる。
──────
「本当に仕様がないわね、恋次もルキアも…」
ルキアに家族ができるんだ、邪魔しちゃいけない。
そう言い聞かせてルキアを傷付け朽木家へと送り出したその直後、
ルキアと擦れ違ったのだろう、入れ違いに部屋へと入って来たは苦く笑って、
今はもう見上げなければ届かない俺の髪をやんわりと撫でた。
「これが永遠の別れというわけじゃない。
胸につかえる物があるのなら考えなさい。
そして答えが出たらその時は、今の気持ちも含めてきちんとルキアに告げればいい」
そこにあったのは、戌吊に居た時と何ら変わりの無い穏やかな笑顔。
「大丈夫よ。
私はルキアの傍にも、恋次の傍にも居るから」
ダチとしての。
仲間としての。
家族としての。
「ずっと傍に居るから」
今も昔も、俺が唯一涙を見せることのできるのはだけ。
──────
「…恋次?」
そして現在に至る。
俺もルキアもも死神となって、同じ瀞霊廷内に住んでる。
ただあの頃のように三人揃って顔を合わせて笑うことはほとんど無くなったが、
それでも三人、同じ時の流れの中で過ごしている。
「こら、どうしたのよ急に。
そんな甘えてなんて見せて」
「るっせェな…いいだろ、別に」
自分の部屋の、一枚の布団の上。
後ろから抱き締めるの身体は、どこにそんな強さがあるのかと、
何がどうして俺は手合わせにも一度だって白星を上げることができないんだろうかと、
とても思わずにはいられないほどに細くしなやかな女のもので。
羽織っただけの着物の襟から除く首筋の白い肌に唇を落とす。
くすぐったそうには軽く首を竦めて、くすくすと笑いながら身を捩った。
「随分と態度と図体の大きいお子様ねぇ」
出会ったばかりの頃はどんなに手を伸ばしても、腰の辺りに引っ付くのがやっとだった。
けれど今は背も伸び、腕力もついて、
腕さえ伸ばせば容易にこの両腕の中へと閉じ込められる。
多少我侭にでものことを抱き寄せられる。
断り無く抱き締められる位置にある。
「ガキ扱いしてんじゃねぇよ」
「あら、いくつになったって私にとっては子供よ。恋次もルキアも」
「あァ?」
「よもや子を生まずして親の心情を会得できるとは思わなかったけれど」
「へぇ、じゃあ何か?
テメェは自分のガキに掻き抱かれる趣味があんのかよ?」
「………育て方を間違えたかしら…」
恩人であり、親友であり、家族であり。
恩人でもなく、けれど親友でもなく、家族でもないその位置。
恋人という、互いにたった一つだけのその距離間。
「」
「何?」
野良犬だった俺らを拾って育ててくれたは、
親にはなれども、飼主には決してならなかった。
「お前ってさ」
「私って?」
「変なところで偉大だよな」
「…それは喧嘩売ってるのかしら?買うけど?」
「馬鹿、ちげーよ」
ただ傍にいて、共に生きてくれた。
「じゃあ何なの」
「…昔、俺が俺自身のことを野良犬つったの覚えてるか?」
「? それは勿論覚えてるけど…」
「ならお前は何なんだろうかって考えた」
「そう…、なら私は恋次にとってどんな存在なの?」
その在り方はまるで、空気のように。
「───…空、だな」
野良犬の俺が見上げても、いつだってそこに在る広い空のように。
恋次(+ルキア)との過去捏造話。
どうにも恋次に関しては妄想し過ぎる感が否めない自分。
というかルキアをもっと登場させたかったー!(悔)