頬に叩き付けられた男の拳を、どこか他人事のように知覚した。


「お前達が…ッ!!
 お前達がリナリーを奪ったんだろうッ!!」


固く冷たい衝撃が脳幹を揺らがす。
彼に胸倉を掴み上げられそのまま大理石の壁へと叩き付けられたからだ。
火事場のクソ力というやつだろうか。
通常時の彼にこれだけの腕力はおそらく無い。
団服に立てた爪ごと指が固く震えている。
ああ、それ以上力を加えると彼の指の方が折れてしまう。
どうしたものかと考えて、爪の白くなった冷たい指に手を添える。
案の定、目論み叶って手痛く振払われた。
彼の長い爪に赤みが戻った。


「そうね。私達が貴方から妹を奪った」


事実を告げられた彼の変転は、概ね予想の枠内にあった。

先程までの誠実で人の良い好青年は一体何処へ行ったのか。
打ち捨て踏み躙りたくもなるか。
連れ去られた妹が、元気かどうかは知れないが、
少なくとも不自由無く過ごしているだろうと思っていた妹が、
今は気を違えてベッドにベルトで括り付けられているなどと聞いたら、
冷静さもかなぐり捨てたくもなるだろう。
切れた口中の肉から血が滲み、鉄の味が広がる。
ああ、今の彼の黒い瞳を満たす色を味に例えるとしたらこんなか。
そんなどうでも良いことを思った。


「僕はお前達を許さない…ッ!!」


それでも。
憎悪の塗り込められた瞳を目蓋の奥へと押し込め。
奥歯を食いしばって。
堰を切って溢れ出した憤怒を必死に理性で抑え込み彼は押し殺そうとする。
何て痛々しい。
そう思った自分の何と傲慢なことか。
今、彼を押しとどめるものは一体何なのだろうか。
妹の存在だろう。
アジア支部の一研究員がエクソシストに楯突くことが何をもたらすか。
まず間違いなく妹へと辿り着く道は文字通り露と消える。
彼が妹のために教団に科学者として入信したことは既に調べがついてる。

そう、だからこそ私は彼を選んだのだから。


「許さなくていいわ」
「ああ、許さないさッ!!」
「元より許されようなんて思って此処に来たわけじゃない」
「そうか、なら僕らを哀れみに来たのか!?」
「それも違う」


私は、貴方を選んだ。


「貴方を妹の元へ連れて行くための算段を仕込みに来たのよ」


貴方を彼女の元へ。





「───貴方は新しい室長になるのよ」





貴方を次なる黒の教団・室長の座へ。


憎いほど
愛しすぎた絆

愛は憎悪に、憎悪は私に。そうして貴方を私に繋ぐ。

title20 変わり種 No.08 ー 憎いほど愛しすぎた絆