「久しぶりね、コムイ・リー」


初対面から8日経った秋の朝、女は再度自分の元を訪れた。

研究員としての仕事を終えて与えられた私室へと戻ると、
自分が開けるつい数秒前までは確かに鍵の掛かっていた扉の内側には、
スリットから白い太腿と黒いガーターベルトを覗かせ足を組み、
悠然と机の上へと腰を降ろした女が居た。
ふざけてる。
内心、そう吐き捨てた。
「お邪魔してるわ」。
人の気も知りながら。
相も変わらず万人が見惚れるだろう優雅な笑みを浮かべて女はそう言った。


「…何のお構いもせず」
「つれないのね」


後ろ手にも扉を閉めれば、くすくすと涼やかな笑い声が鼓膜をくすぐる。
どうしてか満足げなそれに思わず顔が不愉快に顰まりかけたが、何とか堪えて平静を装った。


「たかが一研究員如きがエクソシストと逢瀬なんて、バレたらことでしょう?
 だから失礼を承知で勝手に入って待たせて貰ったわ」


密会か。
大した趣向だ。
そういえば、前日に自分宛へと送り付けた大荷物の送り主の名も、
ドイツ語を更に反転してローマ字読みという手の込んだアナグラムになっていたように思う。
自分が気付かなければどうするつもりだったのか。
その程度、それまでということか。
それとも自分が絶対に気付くとの確信があったとでもいうのか。
当の女はこちらの警戒の色にも素知らぬふりを決め込んで、
マイペースにも荷物の中から迷い無く何冊かの本を取り出すと、
先程から扉の前へと立ち尽くす自分を招き寄せ、それを机の上へと積み上げた。


「これは何です?」
「敬語はいらないわ」
「これは何の真似かな」
「あら、色めいた趣向はお気に召さなくて?」
「…こんな大荷物で一研究員の狭い私室を更に狭める理由が知りたい」
「短気は損気。
 気の短い男はモテないわよ?」
「………」
「そう急かさなくても、すぐに説明するわ」


自分の言動にいちいち温度の低い薄い笑みを敷いて寄越すその美貌。
苛つく。
ざわりざわりと逆撫でされる神経。
しかしおそらくこれらは全てこの女の思惑の内。
8日前に女の右頬を殴りつけた利き手が疼いたが、
死角の袖内で拳を握り込むことでどうにかやり過ごした。


「この荷物は9割が私の私物、
 残り1割は知人から無理言って借りた貴重品だから大切に使って頂戴」
「…何に使うかによるだろう」
「決まってるじゃない。
 これは全部、貴方の『お勉強』道具よ」


『お勉強』と、女は言った。
その小馬鹿にしたような物言いに、思い起こすのは8日前の女の言葉。

『貴方を妹の元へ連れて行くための算段を仕込みに来たのよ』

何故、この女が自分達兄妹に手を貸そうとするのか。
女の真意は定かではない。
もしかしなくとも妹を利用して、自分を利用して、
別にある真なる目的を達しようとしていると考えるのが妥当だろう。
何せアジア支部のたかだか一研究員である自分を、
黒の教団もサポート派の指揮を全面的に執る室長へと仕立て上げるというのだから。
裏が無いと思う方がどうかしている。
けれど。
たとえ自分が利用されているのだとしても。
妹の元へ辿り着けるのなら。
リナリーを取り戻す手立てになるというのならば。

どんな道具にもなってみせる。





『───貴方は新しい室長になるのよ』





利用されてやる、どこまでも。





「今から3ヶ月で、貴方には現室長の数倍の知識を会得して貰うわ。
 講師はこの私。
 内容はイノセンスについて。
 ふふ、現室長が今一番煮詰まって御上のジジィ共にせっつかれてる分野ね」


女のしなやかな指先が、ゆったりとこの唇の輪郭をなぞる。





「さあ早速『お勉強』を始めましょうか、───次期室長殿?」





そうして僕らの"関係"は始まった。


無能の才能

能無きこの身に惜しむものなど何も無い

title20 変わり種 No.16 ー 無能の才能

「自分は無能だ」と捨て身になれるのが無能の強みですかね。
リナリーのためなら、相手が女だろうが男だろうが、
身体の一つや二つ矜持と一緒に躊躇いなく投げ売りそうですよね、コムイ兄さん。