その芝生は
極上の青


───とんとん。


ああこのクソ忙しい時に。
つか、この化学式もイイところなのによ。

誰かに後ろから指先で肩口を突つかれ、内心そう毒吐いた。


「今、この化学式に手が離せないから用件ならそのまま喋ってくれー」


続行だこの野郎。
握りしめた羽ペンで、まるで書類を抉りつけでもするかのように化学式を綴る。
こういう時、鼓膜に開閉弁があればと思う。
科学な思考を中断させぬよう、また余計な事柄が耳に入らないよう、
俺に構うなとばかりに背後の人間へと一種ぞんざいな対応で返してやった。

しかし。


「あら、折角コーヒーいれてきてあげたのに…残念だわ」


返ってきたのは、そんな溜め息まじりの女の声。


「───!?」
「そうよね。リーバーはノットアルコールで、カフェインよりも炭酸派だものね。
 それじゃあこのコーヒーはコムイに…」
「ちょ、ちょっと待った、タンマ、ストップッ!!」


待て。
待ってくれ。
相手を確認しなかった俺が悪かった。

思っても、そんな文章にすれば数行の謝罪を一気に口にすることができるはずもなく。
すうっと遠退いたコーヒーの香りを追って形振り構わず勢い良く振り返れば。


「…まったく、手が離せなかったんじゃなかったの?」


見事に椅子ごと背後に倒れた俺と、床に落ちて散らばった書類を見下ろし、
は可笑しそうに声を立てて笑った。


「あーあ、もう」
「わ、悪い」
「ほら、コレ持ってて」


差し伸べられた手。
しなやかなそれを辿々しく掴み、無様な態勢を回復させる。
ともすればそっと押しつけられたマグカップ。
中には入れたての香しいコーヒー。
飲んでなさい。と。
つまりはそういうことなのだろう。
「はい、邪魔」。
言ってしっしと指先で床の上から追い払われる。
巧いものだと思う。
本当に何気ない、時間にすれば数秒の些細過ぎるようなやりとり。
しかしそれは俺を極自然にコーヒーへとありつけさせようというの気遣いだ。
そう、こうした相手が気付くか気付かないかの些細な心遣いを、
常日頃から何気なく、また惜し気もなく披露しているからこそ、
はこの黒の教団にいて多くの人間から慕われるのだろうとそう思う。


「ホント、わりィ…」


散らばった書類を拾うためにしゃがみ込んだを見遣る。
零れた横髪を耳へかけつつ、その長い指先で一枚ずつ丁寧に拾い上げていく。
今し方書き上げたばかりの数枚は、床にこすれてインクが滲んでしまっていた。
書き直しかチクショウ。
思っても、非は明らかに自分にある。
格好悪ィな、オイ。
肩で吐く、盛大な溜め息。
そうしてがっくりと肩を落とした俺を見上げては、綺麗な苦笑を浮かべた。


「いいのよ。
 はい、お疲れ様」
「…サンキュ」


こういう時俺は、どうしては俺なんかを選んだのだろうと考える。

エクソシストと一研究員。
大した身分差だ。
しかもエクソシストもとなれば格別だろう。


「リーバー」
「何だ?」


けれど。





「私はリーバーのそういう要らない所まで生真面目なところが好きよ」





この艶やかで穏やかな笑みを前にすると、
惚れた弱みにも俺は、結局理由なんてどうでも良くなってしまうのだ。



背後で「イチャつかないでよねー」とかコムイや科学班メンツはブーイング飛ばしてるんですよ。
リーバー班長は気付いてないだけで(笑)
いちいち何事につけても理由を欲しがる生真面目な男、リーバー班長でした。

image music:【Marmalade Reverie】_ Orange Lounge.