「神田」


低く鼓膜を振るわす女の声。


「まだ"死んで"るの?」


波が引くように覚醒する意識。
ぬるく、甘く脳に染み渡る聞き馴染んだその声に。
心地良さなど知覚してしまった脳細胞に「クソが」と内心大きく罵倒を喰わした。


「…黙れ」
「ああ、寝たふり」
「誰が」


目を覚ます。
瞼を上げる。
ぼやけた世界。
徐々に明確になる輪郭線。
真上から薄く笑んで自分を見下ろす女。
その指先がそっと頬を輪郭をなぞり、髪を梳いて離れていった。


「……見殺しにしろと言った」
「『指図される覚えは無い』わねぇ」


台詞とは裏腹に、酷く穏やかな物言い。
クソ。
俺はまた、この女に。
頭の裏に感じる柔らかな体温。
何度目だ。
こうして女の膝の上に頭を置いて目を覚ますのは。


「起きれそう?」


そんな事は関係無い。
起きれようが起きれまいが、起きる。
弛緩していた筋肉に力を込める。
すると塞がりかけていた左肩から右脇腹までの裂傷が再度僅かに裂けて、
じわりと生ぬるい温度が外へと溢れ出した。
自分の血液。
構わず肘を付いて、女の膝から頭を持ち上げる。
白い包帯が傷口に沿って赤く染まった。


「あーあ、もう…これじゃ止血した意味ないじゃないの」
「く…ッ、うるせぇよ」
「起きれそうにないなら素直にそう言いなさいよ。
 私がお姫さま抱っこで運んであげるから」
「斬るぞ」
「凶暴なプリンセスねぇ」


まるで柳。
否、枝垂れ桜か。
…国花を貶める気か、俺。

見下ろしてくる女の表情は、酷く楽しげな代物。
クソ忌々しい。
この女と馴れ合う気は微塵も無い。
無いというのに俺は、女の指先に促されるままにもまた膝の枕になど頭を落としている。
何て腹立たしい。
不愉快な。
血さえ止まれば動けるものを。
さっさと塞がりやがれ。
見せつけるように舌打ちすれば、女はくすくすと涼やかな声を立てて笑った。


「それじゃ、もう少し休んでいくとしますか」


もう何度目だ。
この台詞を聞くのは。
この台詞をこの態勢で聞くのは。
探索部隊共の好奇の視線が煩わしい。
しかしそれらにすらも既視感など覚える自分が何よりも苛立たしい。


「神田」
「何だ」
「『俺はまだ死ねない』んでしょう」
「………」
「なら今みたいな戦い方は金輪際よしなさい」
「テメェに指図される覚えなんざ…」
「よしなさい」
「───…」


この女は時折、酷く無機質な表情をその皮膚に敷くことがある。

元より彫刻のような精巧な造作。
何者をも惹き付けてやまないその美貌。
何者をも威圧し征服するその強い眼差し。
何者にも屈することのないその誇り高さ。
感情が読み取れないというだけでそれらは"物"じみていっそ冷ややかに映る。


「今の戦い方を貫けば、近くはない未来、本当に"ガタ"がきて"尽きる"わよ」


高潔な黒。
近く、遠く。
俺を置き去りにする孤高の色。





「───…この先いつまでも私が傍に居るとは限らないんだから」





まるで遠く儚く霞む、墨染の桜。



酷く無感情な顔をする時のヒロインのイメージは、
神田にとっては墨染みたいな花弁色の枝垂れ桜なんですね。
儚く、朧げで、まるで弔ってるような気分に陥るんでしょう。

image music:【Fragile Dream】_ 久石譲.