感傷にひたってはいけない。


「感傷にひたるな…」


声を上げてはいけない。
痛みを覚えてはいけない。
感情を震わせてはいけない。

僕は。


「考えるんだ、勝つことだけを…」





僕は、耐えられる。


僕の全てと
帰結する君は


「───っ!」


突然ふわり、と。
背に触れた柔らかな感触。
感じ知った、柔らかなその体温。


…」


鼻腔をくすぐる、愛しい薔薇の香り。


「…ありがとう、


そっと、背後から抱き締められたこの身体。
優しく添えられた白い手に、自分のそれを重ねる。
答えるようにぐっと深まった抱擁。
温かい。
じわりと染み入るように伝わってくる彼女のぬくもり。
そうして彼女のぬくもりを奪っていく自分の冷えた指先。
彼女は何も言わない。
だから僕もそれ以上何も言わない。
世界を支配する静寂。
ただただ彼女の体温を、鼓動を、そこにある存在を感じるだけ。
それ以外の機能を完全に放棄するこの脳、この身体。


「もう、大丈夫」


彼女のしなやかな指が、咎めるように爪を立てた。


「…嘘吐き」
「嘘じゃないよ」


こうしてファインダーを、エクソシストを弔う度に"白い映像"が冷たく脳裏を過る。


「だって、君が居る」


音の無い風。
熱の無い陽射し。
影のように虚ろな人々。

そして白い棺に納められ、白い花に飾られた彼女の静かな死に顔。


「君は生きてる」


回された両腕を解いて振り返る。
彼女と真正面から向かい合う。
その頬へと掌を添える。
すると彼女は静かに目を閉じ、この手に白い肌を擦り寄せた。
長い睫毛が揺れる。
頬を伝い、この指を伝ってこぼれ落ちたその雫の何と温かなことか。





「だから、大丈夫」





ああ君が居る限り、僕が壊れることなど絶対に無い。





「───さぁ、仕事をしないとね」


声を上げてはいけない。
痛みを覚えてはいけない。
感情を震わせてはいけない。


「考えなきゃ、伯爵に勝つための方法を」


僕は、耐えられる。
耐えられるのだから。


「君と僕の幸せな新婚生活のためにもね」


けれど。


「…そう思うのなら、そんな風に無理に笑ったりしないで」


君がそんな風に手放しに僕のためになんて泣いてくれるから。

声を上げてはいけないのに。
痛みを覚えてはいけないのに。
感情を震わせてはいけないというのに。
折角必死で塞き止め堪え続けてきたものを溢れ返らせそうになる。
けれどそれを踏み止まらせるのもやはり彼女で。

ああ君が居なくなったら僕は、きっと跡形も無く壊れてしまうのだろう。


「コムイが壊れてしまったら私は…───」


でも、そう。
僕は大丈夫。


「ありがとう、
 でも本当に僕は大丈夫だから」





とりあえず"君が生きている内"は、僕が壊れることは絶対に無いから。



僕の背負うものは誰とも分かち合えるものではない。
それは君が背負うものを僕が分かち合えないように。
だから僕らは二人、向かい合って寄り掛かるんだ。

壊れる時は二人諸共。
さりげなく『来たるべき其の帰納法』とリンク。

image music【枯葉が踊る秋の秋の夕暮れ】_ patricia.