回る想い
「その鎖は?」
ようやく小康状態にまで落ち着いたフロドの、やや静か過ぎる寝息を背景に、
揃って小難しい顔を並べているのは、私とエルロンド、そしてミスランディアの3人だった。
「多少の光の加護を与えた、私お手製の特注品よ。
そのまま直に持つよりも鎖に通した方がずっと安全でしょう…色々な意味で、ね」
「そうじゃの…」
一つの指輪。
彼がそれこそ命懸けでこの谷へと運んできたそれは、
現在、私が前もって用意しておいたミスリルのチェーンに通され、
今まさに私の手でもって彼の胸元へと戻された。
「ミスランディアよ、指輪はここには置いておけない」
「しかし…!」
「かの目の軍勢は既に動き出している…我等の時代は終わったのだ」
フロドを思ってのガンダルフの嘆言。
ガンダルフの思いを理解していてしかし、
その先見故に首を横に振らざるを得ないエルロンドの苦言。
それらを鼓膜で受け止めつつ、少しでも早く痛みが引くようにと握った傷だらけの小さな手。
小さい。
中つ国の命運を握るにはあまりにも小さ過ぎるその手。
「───…ごめんね、フロド」
ぽつり、と。
落とすような私の懺悔に、二人が弾かれたように視線を向けて寄越す。
急激に世界へと流れ込んだ沈黙。
彼らは何も言わない。
否、何かを言おうとして口を噤んだのだ。
「ごめんね…」
イシルドゥア。
唇だけでその名をなぞった。
「儂はおぬしを責めておるのではない、」
「判ってる」
「同様におぬしが己自身を責めるのはそれこそ筋違いというものじゃ」
「ならそれは、ミスランディアにも言えることよ」
「───…」
「フロドが傷を負ったのは決してミスランディアのせいじゃないわ」
窓から入ってくる涼やかな秋風に散って、
瞼へとかかってしまったフロドの深い焦茶色の前髪を指先で払ってやる。
すると肩に、ごつごつと骨張った老人特有の大きな手がぽんと置かれた。
「…おぬしは変わらぬの」
「そう?」
「そうじゃ。おぬしは時に相手の傷を癒すために、自身の傷を晒し出してみせる。
傷は傷、と目を逸らさず自負した上で、前を向き、誇り高く笑うような。
エルフでも人間でもない、またエルフでもあり人間でもあるその思考と生き様。
ふふ、良い意味で何ともマイアらしくない在り方じゃな」
「昔、キーアダンにも似たようなことを言われたわ」
その優しい手に、その指先に嵌まる火の指輪の気配に、
もう久しく会ってない自分の後見人的存在のエルフを思い出す。
こんなことだったら指輪戦争前に一度顔を出しておくべきだったか。
そこまで考えが回らなかった。
思ってた以上に、ここ数十年余裕が無かったらしい。
ふと、そんなことを思った。
「儂としたことがどうにも気弱になっとったようじゃ…すまんかった」
「謝られるような覚えが無いわよ」
「…だそうだ、ミスランディア。
ここは一つその言葉に甘えて、貸しは無しとしておいたらどうだ?」
「ほっほ、ではそうさせて貰うとしようかのぅ」
「何よソレ。」
部屋に入ってからようやく、初めて三人揃って笑顔を交わす。
それからしばらくは差し当たっての当面の話をし、一段落着いた辺りで、
フロドの容態を知らせついでにホビット達の様子を見てくるというミランディアが、
一足先に部屋を後にした。
「───」
「何?」
ともすれば向けられる、厳しい面指しに堅い口調。
数千年来の、この不器用なのか器用なのかいまいち計りかねる友人は、
エレンディルの息子に関する話をする時、決まってこういう顔をする。
だから私も、彼の言いたいことは何となく判ってしまう。
「あの時のお前の選択は間違っていなかった」
判っていて、傾けてしまうこの耳は。
やはり自分が彼に甘えてしまっている何よりの証拠なのだろう。
「少なくともその場に居合わせた私とキーアダンはそう思っている」
「いい加減、頭では判ってるんだけど…いつまで経っても心の方が、ね」
「あの選択で世界がお前を敵とするのであれば、
私とキーアダンは迷わず共に世界の敵となろう」
「───…ったく、酷い殺し文句ね…」
ケレブリアンに言い付けるわよ。
言ってベットから腰を上げ、無二たる友人の整った鼻筋を軽く摘む。
対してぐっと眉間に深い皺を刻んで、無言で様々な不服を訴えてきたエルロンドに、
「フィンデルほどじゃないけど、相変わらずいい男ね」と、笑ってみせた。
「…ありがとう、親友」
「今更だな」
もう大丈夫、と。
ちなみにガンダルフの呼び名がミスランディアとなってるのは、
人間その他よりも周囲のエルフ率が高いからです。
これで人間の方が数が多かったら彼女はガンダルフって呼んでます。