今もこの目に焼き付いて離れない、あの日の劫火。
禍根の輪廻
「指輪をオロドルインの火の中へ、イシルドゥア!」
「エルロンドの言う通りだ。
さすればサウロンの力は完全に消滅する」
彼の選択など聞くまでもない。
「───…嫌だ」
そう、"拒否"だ。
「…これは我が父の、我が弟の命の贖いの代としてゴンドールへと収める」
「イシルドゥア…血迷ったか!」
「黙れッ!! 我らが敵に命取りの一撃を与えたのはこの私だッ」
滅びの罅の炎とはまた別の、冥い炎を映したイシルドゥアの瞳。
「そうだ、これは私のものだ…!」
それは身も凍る、絶望の色。
「…指輪が齎すのは禍根のみ」
「殿…」
「いづれその指輪は確実に貴方を滅ぼす」
先の展開を知っているからこそ、「捨てろ」とは言い切れない自分。
物語の進行の円滑化のために、一部を"見捨てる"覚悟はもう大分前に決めたはずなのに、
ここに来て迷いを生じているこの心。
何て、虚弱な。
何と、脆弱な。
「…貴女がそう仰るのならば考えてもいい」
イシルドゥアの瞳が、ようやく指輪以外のものへと向けられる。
溶岩色に染まる視線が私へと注がれる。
何度も目の当たりにしてきた、指輪に魅入られた者達のそれは、
欲望を舐め上げる舌の如く存在そのものを絡め取るかのようにこの身の輪郭をなぞって。
言い様のない不快感を誘い、不必要な嫌悪感を肥大させる。
「貴女がこの指輪を葬りたいというのならば」
それらは皆、ひとえにこの一つの指輪故に。
歪められた彼らの変容や言動を憎んでも仕方の無いこと。
「───これより先、我が伴侶として今生私の傍に居ると誓って下さるのならば」
仕方無いのだと、頭では判っているのに。
「何をふざけたことを…っ!」
「…イシルドゥアよ、お前も知っておろう。
彼女は既に裂け谷のエルフを最愛の夫としている」
ギーアダンの声など全く耳にも届いていないようにイシルドゥアは、
常態から鑑みれない程に目を見開き、驚愕に言葉を失った私を見つめていた。
ただ、私の瞳だけを。
「、愛しい人よ…」
うっとりと。
まるで私の心を見透かし、掌握しようとでもいうように。
「これより貴女が私のみを愛して下さるというのなら、
この指輪を愛の証として貴女へと捧げましょう。
後は指に飾るなり火の中へ捨てるなりと、貴女の好きにするといい」
「───イシルドゥア…貴様ッ!!」
エルロンドがイシルドゥアの胸倉に掴み掛かる。
咄嗟にキーアダンがエルロンドの名を叫んで嗜めるが、
イシルドゥアの自嘲とも勝ち誇ったともとれる笑みに再びエルロンドが声を荒げた。
「たとえ指輪を見逃すことはできても、それだけは見過ごすことなどできん…ッ!!」
判ってる。
これすらもサウロンの奸計によるものだということを。
「…やめて、エルロンド」
「、こんな愚言に耳を貸す必要など無い!」
「エルロンド、お願い…やめて」
「っ、…しかしッ」
判ってる。
ここで指輪を消滅させれば、"彼ら"を災う禍根を断ち切れるということを。
「私は愛しい貴女に従いましょう…───さあ殿、選択を」
判ってる。
誰も、私をこの場から逃がしてはくれないことを。
「私は…」
判ってる。
そんなこと判りきっているのに。
「私、は…」
それでも、私の"選択"は。
「───私が心分け合い愛したのはただ一人、後にも先にも彼だけ…」
最後に見たイシルドゥアの瞳は。
酷く寂しげな、けれど何処か安堵したような、そんな感情を綯い交ぜた色を宿していた。
「それで良い…これで良かったのだ、」
キーアダンはこれで良かったという。
エルロンドも無言だけれど両瞼を伏せて頷いた。
私はただ心を空にして、立ち尽くす。
「お前が自分を責めるというのなら、儂とエルロンドが許そう。
お前がそれを罪とし罰として背負おうというのなら儂とエルロンドが共に分かち合おう」
"彼ら"の未来。
禍根の永続。
サウロンの再来。
一体、私は何を選び取ったのだろうか。
「だから、自らその幸せを捨てようなどと考えるな」
判らない。
もう、何も。
「───グロールフィンデル…」
ああ、あの黄金髪に縁取られた笑顔に触れたい。
「…さあ戻ろう、愛する者達の元へ」
それだけが、その時の私の中で唯一確かなものだった。
イメージ曲は久石譲の『HANA-BI』。
北野たけし監督の映画に使われてるアレです。
image music:【HANA-BI】 _ 久石譲.