大動前の
リトルダント
エルロンドも部屋を後にして。
未だ覚めぬフロドのために、声と調べに陽光の加護と癒しの魔力を乗せて、
普段はあまり披露することのない古の歌をとうとうと紡ぐ。
ベットへと腰掛け、彼の小さな手を優しく握り、
まるで彼の夢へと語りかけるように。
「───…遠慮する必要なんて無いわ、入ってらっしゃい」
そして、区切りの良いところでひたりと止める。
それは先程から扉を叩こうともせず、ただただその前と立ち尽くし続ける訪問者へと、
いい加減部屋へと入るように促すためだ。
オロオロと揺らぐ扉の向こうの気配に「どうぞ」ともう一度声を掛ける。
それでも戸は鳴らない。
良いと言うのに入ってこないその訪問者は、気配から察するにフロドの忠実なる従者。
「大丈夫よ、"蛙に変えたり"なんてしないから」
仕方無く、心なし『蛙に』のくだりを強調してそう言えば、
控えめな従者はそこからきちんとガンダルフとの繋がりを読み取ってくれたらしく、
実に申し訳無さそうに、恐る恐るといったように部屋の扉を開けその顔を覗かせた。
「あ、あの…その、決して立ち聞きするつもりは無くて…!」
顔を真っ赤にして、必死に弁解する彼。
けれど扉の敷居を決して踏み越えようとはしないその様子に思わず苦笑が零れた。
「そんな恐怖に身を竦めるような歌を歌ってたかしら、私?」
「! そ、そんなことあるわけねえですだっ!
むしろ聞いてるだけでこう日溜まりで木漏れ日を傘にうたた寝しているような、
身体の中に春の陽射しが満ちていくような…とにかく素敵なお声と歌でしただ!」
「上手な感想をありがとう。
でも、どうせなら部屋の中でゆっくりと話したいのだけど…いかが?」
「へ、へぇ…!」
ホビットには少しばかり足の高い、自分の眼前にある椅子を勧めると彼は、
「滅相も無い…!」と振り切れんばかりに首を横に振る。
そんな純朴な彼に意地悪くも「私の傍じゃ御不満?」と返せば、
彼は一旦驚いたように固まって、わたわたとくだんの椅子へとその腰を落ち着けた。
「それでは改めて。
初めまして、年若いホビット殿。
私の名は。
裂け谷の主からの好意でこの地へと長らく身を寄せている者よ」
「は、初めまして。
おらぁ庭師のサムと言いまして、フロド様のお伴をさせて頂いておりますだ」
「そう、ガンダルフからは指輪所持者には頼もしい従者ついてると聞いていたの。
願わくは貴方とはこれからも友として付き合っていきたいと思う。
だから敬語も尊称もいらないわ。どうぞ気軽によろしくね、サム」
「よ、よろしくですだ」
それからしばらくはフロドの容態について、続いて彼らが遭遇した数々の危難について、
そして故郷であるホビット庄についてと、それはもう色々と楽しく歓談を交わした。
最初こそ緊張したように一つ一つ丁寧に言葉を選んで話していたサムだったけれど、
次第に強張った身体と口調をゆったりと寛げて、
終わりには笑顔さえ交えて気楽に語ってくれるようになった。
「しかし、よもやエルフの御夫人と友好を結べる日が来るとは思わなんだ…」
「お世辞は嬉しいけれど何も出ないわよ?」
「そんな、世辞だなんて…!」
「ふふ、それにほら見て?
私はエルフじゃないわ、…人間、よ」
一応ね、という少なからずの憂いを帯びた言葉は深い所へと飲み下して、
言ってこめかみの辺りから耳の後ろへと髪を掻き揚げて見せる。
するとサムはその目を零れんばかりに真ん丸く言葉を失った。(いちいち反応が可愛いわねぇ)
「いや、おら、てっきりエルフの女御方だとばかり…」
「…まぁ限りなくエルフに近い人間ではあるのだけどね」
「?」
不思議そうに小首を傾げたサムの、草臥れた藁色の髪を撫でてやる。
それが誤魔化しに近いものであることに気付き、内心で苦笑した。
「ガンダルフから私のことは聞かなかった?」
「お名前と、賢人と謳われる方でフロド様の命を救って下すったことはお伺いしましたが…。
他にはフロド様と一足先に行かれたブルイネンの渡しで、
グロールフィンデルの殿から『私の妻だ』とぐらいしか聞き及ばなかったもんで」
グロールフィンデルなる名前と、彼が言ったという台詞に思わず赤面しかけて何とか堪えた。
こちらにきてまぁ随分とポーカーフェイスに磨きがかかったものだと思う。
それは決して悪い意味ではなくて。
使うべき場合や場所、相手を確実に分別できるようになったというか、
照れ隠しが上手くなったと言えばそれまでなのだろうが。
というか何をノロケてるんだ、と思わず内心自ら裏手ツッコミを入れた。
「それで私のことをエルフだと思ったのね」
「いいえ!
それだけでなしに、見目だってこんなにも美しいお方だったもんだから、おらぁつい…」
後ろ手に頭を掻きながら語尾を小さくしていくサム。
フロドはなんて素晴らしい従者をもったことだろう。
ホビットとはかくも強さと優しさ、そして可愛らしさを兼ね備えた種族であることか。
改めてそんな認識を新たにする。
「確か他にも2人居たわね、小さな人が」
「メリアドクの旦那とペレグリンの旦那ですだ!」
「そう、今度是非紹介してね?」
「勿論ですだ! お二人も様にお会いしたがってましたから!」
「楽しみにしてるわ…でも」
「でも?」
それにしても、と。
横目に部屋の扉を見る。
そして、先程までのサムとは違い酷く楽しげに揺らぐ、
扉の向こうの気配へと皮肉たっぷりに呼びかけた。
「───ホビットという種族はどうにも立ち聞きか覗き癖があるようね…ねぇ、ビルボ?」
部屋の外でもって、ずっと聞き耳を立てて笑いを噛み殺していた友人へと。
「いやぁバレとったか」
「ビルボ!」
「そんなの忍び笑いでバレバレよ」
相変わらず悪びることのを知らない老人だ。
彼にしても甥が重傷を負って裂け谷へと運ばれて来た時には、
まぁ随分と血の気を引かせていたものだったが。
サムよりも先にガンダルフからフロドの無事を聞き及んだのだろう、
今やその顔色は陽気に振る舞えるほどまで回復していた。
「本当はひょっとしたらあんたの貴重な歌声を聴けるんじゃないかとやって来たんだがね。
いやしかしな、あんたも少し休んだらどうだ?
うちの甥っ子のためにここ数日と詰めっきりだろうに」
「体力的な面では全然問題無いんだけど…、
そうね、それじゃあお言葉に甘えさせて貰おうかしら」
「おうおう、そうするといい」
そう言ってぱしぱしと自分の膝を叩くビルボ。
これがこの老人なりの感謝の表し方であることは知っているから、
こちらも敢えて言葉にはせず、笑顔でもって「どういたしまして」と応えた。
「それじゃあ後はよろしくね、サム。
傷が塞がったとはいえ、まだ多少痛みは残ってるだろうから、
少しばかりフロドが苦しむかもしれないけれど、
その時はこうやって手を握り摩って、声を掛けてやってね。
そうすれば苦痛も大分和らぐだろうし、何よりも彼の目覚めが早くなるだろうから」
「判りました、このサムにお任せくだせぇ!」
「ふふ、頼もしい限りだわ」
「甥っ子の治療代かわりに今度歌でも進呈しようか。
まぁ私なんかの歌で良ければの話だがね」
「何謙遜してるのよ、らしくもない。とても楽しみにしてるわ」
そうして親愛なる老ホビットと純朴な庭師へと後事を託して、
あわよくばフィンデルの膝を枕にと、久々の眠りに就くことにした。
サムと初対面。
また『無駄に長ったらしい文章』という悪い癖が…。
しかも本当はこの回にメリピピも出すはずだったのに…駄目だ推敲力が足りん。