混迷の
フォルテ
プレスト


また一段と小汚くなって帰ってきた未来の王を労い、
庭師を始めとするホビットの面々とも自己紹介を済ませ、
十数年ぶりの顔合わせとなる緑葉の王子と、かの宴会王に関する愚痴を肴にワインを楽しみ、
こちらは更に数十年ぶりの対面となるグローインとその息子であるギムリと親好を交わした。
ガンドールからも後見人たるキーアダンの壮健ぶりを耳に入れることができたりと、
まさに嬉しいこと尽くめ、てんこ盛りとなった連日。
目紛しくも、久方ぶりに年甲斐にも無くはしゃいでしまった。

ついでフロドも無事目を覚まし、祝いの宴も開かれた昨日。


「友人方よ、これなるホビットはフロド。
 彼以上に大きな危険を潜り抜け、任務を携え、
 この地へと来たものはいまだかってほとんどなかった」


そうして迎えた今日という日。
エルロンドの御前会議当日。
今現在私は、アラゴルンの隣へと用意された椅子をやんわりと却下し、
黒猫の姿でもって、裂け谷主の隣へと座るグロールフィンデルの膝の上に居座っている。


(相変わらず堅っ苦しいわねー)


裂け谷の主催者ズを除いて一番乗り、と。
猫の姿で会議場に来れば早々に「何故そのような姿なのか」と詰問されたので、
「ちょっとした遊び心だ」と答えた。(鷹の姿も捨て難かったんだけどねー)
すると親友はぐっと眉間に皺を寄せ、顧問長官には無言の圧力でもって不服を訴えられ、
旦那には綺麗に苦笑されてしまったけれど。(まぁ当然の反応か)


(もう…あんな小難しい紹介をするからフロドが強張ってるじゃないの)


後少し言えば、"偏見"による一悶着を避けるためだったりもする。
女=役に立たない=場違いとの、短絡的な思考の持ち主も誰とは言わないが居るわけだし。
会議開会早々、波風など立たないに越したことはない。
航海も晴れの日の船出こそが順風満帆の秘訣だ。
旅路もまた然り。
何事も出足が肝心なのだ。
キーアダンも言うのだから間違い無い。
そんなこんなで、そういう殊勝な配慮があったりもするこの姿。
勿論、愉快犯的な心持ちが全く無いとは言い切らないけれど。

とりあえずは会議出席者各自からの近況・状況報告。
事情はどれも、既にきちんと把握してる(本の虫の記憶力はあなどっちゃいけない)ので、
ゆったりと優しく頭から背にかけて撫でてくれるグロールフィンデルの、
その乾いた大きな掌の感触を存分に楽しんでいた。
心地良さに思わず欠伸が零れる。
二つ隣の席の顧問官長から手痛い視線を感じたが、すっとぼけて流しておいた。


「フロド、指輪をここへ」


フロドが私お手製の鎖に通された指輪を取り出すと、
ぎゅっとその小さな手に握りしめ立ち上がった。
周囲からどこか疎うような負の感情の入り交じった視線を受けて、
所在無く台座へと進み寄るその姿はとても痛々しい。
フロドとて望んで譲り受けたわけはあるまいに。
譲り受けたそれがいかなる指輪であるかを知っていたら受け取りなどしなかったろうに。

鎖の拘束から解放される金の輪。
指輪がフロドの手から離れる。
石の台座へと置かれる。


───チリン…


と同時に、その涼やかな金属音とは裏腹な瑕瑾にまみれた轟音の不協和音が弾ける。
指輪から放たれたサウロンの不快な調べが直に頭へと、
まるで叩き込まれるかの如くに流れ込んできたのだ。
割れんばかりに頭蓋が軋む。
一瞬、目の前が完全に白んだ。
じわりと視界が戻ってくれば、今度はぐらりと脳が傾ぐ。
吐き気がする。
せり上がってきた胃酸が喉を焼いた。
戻すまいと、堪える。
硬質な耳鳴りに鼓膜が砕けそうだ。
痛い。
苦しい。
けれど口にはしない。
言葉にしたら負けだ。
心の敗北は、即に肉体に対する敗北に繋がる。
そう自分に言い聞かせて、それらの苦痛の全てを内側へと押し込める。
この程度の苦痛などとうに慣れてる。
と、喘ぎまがいな声が漏れそうになって咄嗟に歯を喰いしばった。
口の中に微かに鉄の味が広がる。

なめた真似を。
内心で悪態を吐いた。

サウロンは私に対して並々ならぬ悪意を抱いている。
憎悪と言ってもいい。
ノルドを憎み、ヌーメノールを憎み、それと同等かそれ以上に私の事を激しく憎んでいる。
まぁあれだけ目論みという目論みをことごとく阻んでやったのだから仕方無い話とも思うが。

これが人の子の姿のままだったら内臓の一つも捻り潰されていたかもしれない。
臓器の一つや二つを捻り潰されたころで特に問題は無いが(放っとけば再生するし)、
一同の前で豪快に吐血なんてのは真っ平御免だ。
念のためにと、人の子の姿よりも多少影響の少ない獣の姿を選んでおいて正解だった。
しかしどうにも予想以上にサウロンは力を取り戻しているらしい。
ついでに言えば私への憎しみも歳月分だけ深くエグくなってるようだ。
鋭くもない愛玩動物の前足の爪が柔らかな布へと微かに食い込む。
どうにか彼の肌に爪を立てないようにと堪えたが、
それで身体が強張ったせいかあっさりと気付かれてしまったらしい。
深く眉根を寄せたグロールフィンデルがいたわるように猫の背を撫でてくれた。
脳を握り潰されるかのような不快感が多少和らぐ。
ふと思い至って見遣れば、ガンダルフも唇を噛み締めていて。
苦痛に喘ぐ代わりに目許の皺を更に深め、苦く顔を顰めていた。
彼にはナルヤの加護がある。
大丈夫だろう。


「これは…」


一方、各々感嘆を吐いて、姿を現した金の輪に釘付けになった一同。
彼等の耳に届くのはおそらく、私とガンダルフに向けられたのとは全く正反対の好ましい音。
ただしその響きの奥に酷い弦ずれを抱えたまやかしの調べ。
指輪が呼んでいるのだろう。
彼等の深い部分を。
ぬるく、そして冥い場所を。

他に逸れたその分、自分へと向けられていた悪意が幾分薄らいだようだった。
乗じて詰まっていた呼吸を丁寧に肺から押し出す。
するとガンダルフと目が合った。
「参ったわね…」「これでは先が思いやられるの」とナルヤを介して言葉を交わす。
おそらくヴィルヤを通じて聞こえたのだろう。
エルロンドが気遣うような視線を寄越したので、「大丈夫、問題無い」と苦い笑みを返した。
親友は一瞬痛ましげにその瞳を揺らがせたが、
しかし次の瞬間には普段と変わらない厳しい表情を面に乗せて、静かに上座から腰を上げた。

エルフ特有の澄んだ声に、歳月分の深みを加えたエルロンドの声が場に明朗と響く。


「今やここに至って、我らが取る道は一つ。
 それも困難な道、かくては予想外の道でなければならぬ」


柄にも無く、緊張に身体が強張った。


「危険の中へ…───モルドールへと進むこと」


脳裏に甦るのは、あの日の劫火。


「指輪は火の山へと、滅びの罅裂へと還さねばならぬ」


フロドの様子を伺う。
彼は頭のどこかで感じ取っていたはずだ。
自身の旅がこの裂け谷で終わるものでないことを。
思った通り、フロドはその顔色を失っていた。
漠然とだが悟りかけているのだろう。

これから自分が向かう先が、愛しいホビット庄ではないことを。


「よもや噂は真であったか…」


ふらりと男が立ち上がる。
ボロミアだ。
立ち上がりの初動こそ不安定ではあったが、
彼は台座の上のそれを再確認するかのように一つゆったりとまばたきをすると、
しっかりとした動作でもって姿勢を正し、僅かに興奮した口調で言った。


「これは授かり物だ…!」


その表情は一瞬。
あの日の、溶岩色に染まったイシルドゥアのそれと重なった。


「私には皆様がどうしてかようにも話を難しくしようとしているのか理解できませんな。
 その指輪に卿が仰せのような力があるのなら、それを貴君らが武器とすれば良い。
 さもあれば、我らが勝利へと邁進しましょうぞ!」


いかにも軍人らしい仕草と物言いで彼はそう言い切った。
彼の言葉に関して小声でのやりとりが飛び交い、場がにわかに騒がしくなる。
すると踏ん切りのつかない一同に更なる押しの一手を加えようとでも思ったのか、
何をか言わんとボロミアの唇が動く。
否、動きかけて止まった。
彼が何をか言う前にエルロンドが静かに口を開いたからだ。


「残念ながらそれはできぬ」
「何故です?」
「その指輪はお前にも我々にも決して従わない」
「…卑しい野伏風情が知った口をきくな」


エルロンドの言を継いで説明を加えたアラゴルンに、
ボロミアはそれこそまるで侮蔑の視線を投げ付けた。


「彼はただのさすらい人じゃない」


見下したような視線にアラゴルンは顔色一つ変えなかったが、代わりにとでも言おうか、
見兼ねたレゴラスが、かの王子らしからぬ至極真面目な表情と声色でもって声を上げた。


「彼はアラソルンの子、アラゴルン。
 貴方の主君の家系にあたる者、貴方が忠誠を誓うべき相手だ!」


場がどよめく。
エルフ以外の種族間が一気に騒がしくなった。
アラゴルンがエルフ語でレゴラスに座るよう促し、レゴラスもまたそれに従ったが、
それで場が静まり返ることはなかった。
ボロミアなど立ったままアラゴルンにその真義を問い質し始める始末。
アラゴルンは落ち着いた様子で彼の責めにも似た人定質問をあしらっていたが、
それが転じて指輪の話となると多少所々語尾を荒げるようになった。
その様子にグロールフィンデルが思わず腰を上げようとしたが、敢えて視線でとどめる。
すると痺れと切らしたらしいボロミアがアラゴルンの静止を無視して台座との距離を詰めた。
指輪を手に取ろうというのだろう。
更に場の輪が乱れる。
これでは会議も何もあったもんじゃない。

───そろそろ、頃合いか。


「よしなさい」


自分の声が、世界を静まり返らせた。

この場に、私以外の女性はいない。
そしてその私はといえば現在真っ黒な猫の姿。
知己の面子以外は、皆各々きょろきょろと辺りを見回していた。(うーん、面白い)
ボロミアなど、指輪に語り掛けられたとでも思ったのか、
硬直したように指輪を凝視したまま、困惑にその眉根を寄せている。
それらに笑いを噛み殺す私を見下ろしてエルロンドが一つ鼻で溜め息を吐いた。
悪いわね。
気苦労ばかりを掛ける親友に短く謝罪して、少々名残惜しいがグロールフィンデルの膝から、
猫特有のしなやかなバネでもってひょいっと飛び降りた。
そして、とてとてと指輪の置かれている台座へと、ボロミアの傍へと歩み寄る。
一部と、「あっ」と小さく声を上げたフロド以外は私の行動に全く気付かない。
私も敢えて「ここだ」とは言わない。
台座まであと半メートルという距離まで近付く。
さすがにここまで近付かれれば、いくら相手が小動物でも気配で察したのか、
ようやく黒猫の接近に気付いたボロミアが不可解げな表情で見下ろしてきた。
その彼に、猫のまま一つにこりと笑んで見せる。
相手はぎょっと目を剥いて、僅かに後ずさった。


「彼の言う通り、その指輪は指輪自身が選んだ者以外には決して従わない」
「ね、猫が口を…」


期待を裏切らない狼狽ぶりを披露するボロミアを無視して話を進める。


「仮に指輪を使って冥王を倒せたとしても、今度は指輪を使った者が、
 指輪を手に入れた者がまた指輪に心魅入られ新たな冥王となる…とんだ悪循環よ」


いまだ驚きに捕われている彼が、
私の言ったことをどれだけその脳に取り入れているのかは判らない。
けれど敢えて問い掛ける。
猫の姿のままに問いを重ねる。


「猫の言など信じられない?」


息を呑んだボロミアは何も言わない、言えなかった。


「己の目に見えるものしか信じられないと言うのなら…───見せてあげる」


そして黒猫の姿を解く。

一つ息を飲み込んで、止める。
ぐっと全身の温度が下がる。
次第に黒い体躯が端々から透ける。
存在感だけはしっかりと残して、空気に溶けるように薄まる身体。
と、同時に黒い猫がより獣の度合いを増し、黒い豹へとその姿を大きくする。
かと思えば黒い毛並みが長い黒髪に。
四肢が伸びる。
猫から獣へ、獣から人へ。
すうっと戻ってくる皮膚感覚。
片膝をついた状態から、立ち上がる。
ともすれば地の感触を得る両の足裏。
足場に対し平行から垂直へと向きを変える背筋。
先程よりもずっと高い位置にある目線。
髪を後ろに払う。
しゅっと、上品な布擦れの音。


「……ありえん…」
「あら、ありえないことこそありえないわ」


時間にすればほんの数秒の変化。
長い黒髪、黒いドレス、黒いストール。
突然、眼前に現れた、否、黒猫が、黒豹が姿を変えた女を前にして、
現実に大幅について来れていないらしいボロミアは、まばたきすらも忘れているようだった。

そんな彼に今度はちゃんと人の顔でもって笑んで見せ、台座へと向き直る。





これからしようとしていることを何とはなく察したらしいグロールフィンデルが、
危惧を押し込めたような声で私の名を呼んだ。
そんな彼へと一度振り返り、やはり微笑んで、そしてその笑みで黙殺して。
台座の指輪を開いた掌の上へと乗せる。

金の輪が鈍く輝いた。


「───!!」
「これが指輪の"拒絶"よ」


掌の上、真ん中へと鎮座する一つの指輪。
輪に直に接する皮膚が、腐食でもするかのように濃い紫色へと変色していく。
冷たい指輪そのものが、まるで自ら酸を発しているかのように、
耳障りな音を立てて掌の肉を侵食しているのだ。
鼻を突く、皮膚と血の溶ける臭い。
焼けた皮膚が軽く引きつる。
焦げて詰まった血管が浮き上がる。
侵食が広がる。
紫はもはや黒に近い濁色へ。
今や完全に変色しきってしまった私の掌と、顔色一つ変えずにそれらを見せつける私を、
僅かに震えながら見つめるボロミアの顔からは完全に血の気が引いていた。





今度はエルロンドの声。
その声は多少の怒気を含んで。
これ以上の気苦労は忍びないと、指輪を台座へと落とす。
澄んだ金属音が、静まり返った空気に響き渡った。


「…これで納得して貰えたかしら?」


責めるでも、問い詰めるでもなく。
幼子に接するが如き穏やかで尋ねる。
するとボロミアは小さく、そして力無くこくりと頷いた。

振り返ればグロールフィンデルが腰を上げ、自分のために席を譲ってくれる。
腰を下ろしたが早々に、エレストールが「まったく貴女という方は…!」と零して、
問答無用にも私の掌へと白い絹の布を巻き付けた。
「いいわよ、勿体無い」と言えば、女性顔負けの美人顔に凄まれる。
そっと顰められたフィンデルの端正な顔も相まって、今回は大人しく引き下がることにした。


「───ゴンドールに王はない…王は必要、無い」


その背後には、まるで自分に言い聞かせるかのようなボロミアの呟きが空気に滲んだ。


「紹介が遅れたことを詫びよう、彼女は…」
「あら、エルロンドが詫びる必要なんて無いでしょう」


エルロンドの横で、一同へと向き直る。
知己の者達は皆揃って心配そうな視線をこちらへと寄越してきたので、
「大丈夫よ」との意味合いを込めて、ひらひらと穴の空きかけた掌を振ってみせた。


「申し遅れましたこと、どうか平に御容赦を。
 私の名は
 谷の主の好意に甘えてこの裂け谷に住う人間の一人よ」
「エルフには『宵闇の賢人』として馴染み深いだろう。
 エルフ以外の者達の間でも『宵闇衣』として聞き知っている者も多いと思う。
 彼女を出席させたのは本人の強い希望と私の一存だ。
 エルフと人の子、そしてドワーフと三者からの信頼を得る彼女が、
 この会議には必要だと判断したのだ。
 それに何よりも、彼女はこの中つ国を深く愛している。
 それだけでも彼女がこの出席する理由としては十分足るものであると、
 私は考えているが、如何が?」


知己の顔ぶれに加え、名を聞いて私の存在に思い当たった人々は、
皆めいめい首で、口で、目で、肯定の意を示してくれた。
その中でも、どうしてか特に思いの当たり具合が強かったらしいボロミアが、
呆けたように口を開く。


「もしや、貴女は『冬星の君』ではありませぬか?」
「…昔、一時期だけれどそう呼ばれていたこともあったわね」


『冬星の君』。
最後の同盟の戦いの時期、イシルドゥアが私に付けた飾り名だ。
彼に言わせると、私は『銀の星々満ちる、冬の澄み冴えた夜空』を思わせるらしく。
まぁ確かに私はヴァルダの祝福を強く受ける星の光の使い手ではあるし、
あながち的外れな表現ではないのだけれど。
極短い期間ではあるが、私は人の子達からその名で呼ばれていたのだ。

そう、思い出して。
懐かしいのと同時に、苦いものがこみ上がってきた。


「貴女の絵がミナス・ティリスの白き塔の一塔に今も大切に保管されています」


…あの絵がまだ残っているのか。
少々渋い気分になる。
あれはイシルドゥアが描かせたものだ。
再三断ったのだが、どうしてもと懇願されたのと、
エレンディルとギル=ガラドが何故か乗り気であったために渋々了承したのだが。
アラゴルンが王となった暁には早々に処分して貰おう。
というかさせる。
ひっそりと固い決意を胸にきめた。


「先程の彼女の行動から、指輪が我々の意に従わないことは判って貰えたことと思う。
 我等が取るべき道はただ一つ…指輪を葬り去ることだ」
「なら儂が手っ取り早くこなしてやろう!」


勢い良く椅子から腰を上げたのはギムリ。
彼は立ち上がりざまに、会議の場へさえ携えてきた斧の刃背を肩へ担ぎ上げ、
大股で台座へと近寄ると、エルロンドの了承無く渾身の力を込めてそれを振り下ろした。
斧刃が狂いなく指輪に命中する。
ガキンッという鈍い金属音が谺し、その破片は勢い良く飛び散って。


「な…ッ!?」


しかし、砕けて飛び散ったのは指輪のそれではなく、
彼が今し方振り下ろした愛斧の刃だった。


「…グローインの子、ギムリよ。
 指輪はいかなる手段をもってしても砕くことはできぬ。
 唯一指輪を葬り去るには、滅びの罅裂へと投げ込むしかないのだ」


ギムリの粗野と言わざるを得ない突発的な行動もさして気にとめた様子もなく、
エルロンドは丁寧な口調で告げる。
対してギムリはしばらく驚愕に尻餅をついたままの間の抜けた姿勢で固まっていたが、
ふんと一つ鼻を鳴らすと徐に立ち上がり、どかりと自分の席へと戻った。


「問題は誰が捨てに行くか、よ」


私の声に、また場が静まり返る。
今度ばかりは同種族間で囁き合うことすらしない。
各人ひたすらに黙して、ただただ時間が過ぎ去るのを待っているようだった。
時間が解決などしてくれやしないのに。

そして、そんな厚い沈黙を破ったのはボロミアだった。


「…不可能だ。黒の門を守っているのはオークだけではない。
 眠り知らぬ眸が昼夜問わず見張っている。
 たとえ一万の軍を送り込んだとしても…無理だ」
「エルロンド卿はなんと仰った?
 我々に残された道はただ一つ、滅びの山へ行くことだ!」
「そうか。ってことはお前さんが行くわけか、レゴラス」


ああ、やはり。
ドワーフとエルフの不仲は言うまでもない。
しかもエルフもレゴラスとなればその因縁は、付けてもしょうがないが折り紙付きだ。
あの派手好き酒好き偏屈宴会王が一役も二役もかってるおかげで、
最悪中の最悪と、そう言い切ってしまって過言ではないだろう。
それを踏まえた上でレゴラスも報告以外の発言を控えていたのだろうが。


「───エルフに指輪を渡すぐらいなら、死んだ方がマシだ!」


全く予想を裏切らない展開に、私とエルロンドは深い溜め息を見事にハモらせた。
ギムリの暴言を皮切りに、エルフとドワーフが一斉に粋り立つ。
いくつかの椅子が乱暴な音を立てて倒れた。
ドワーフの暴言に、エルフがまた暴言を返す。
エルフの暴言に、ドワーフが更なる暴言を叫び散らす。
まさに泥沼の応酬だ。
レゴラスがどうにかエルフ側を抑えようと何かを叫んでいたが、
効果のほどはといえば『焼け石に水』。
最初は私同様、傍観に徹していたアラゴルンとガンダルフだったけれど、
しばらくするとさすがに見兼ねてか、意を決してか果敢にも輪の中へと入って行った。
もはや胸倉の掴み合い、突き飛ばし合いにすら発展している三種族の罵り合いは、
指輪を中心としているせいもあってか、全くもって治まる気配がない。
思わず二つ目の溜め息が毀れた。
すると、致し方無しと言った風にエルロンドがおもむろに席を立ったので、
「放っておきなさいよ」と言えば「そういうわけにもいくまい」と、
親友には生真面目にも首を横に振った。


「相変わらずの苦労性ね…」


一歩踏み出したその背に苦笑交じりの労いの言葉を掛ければ、
エルロンドはちらりと振り返って。
さもすれば「そう思うのなら其処で大人しくしていてくれ」と厳しい面指しを残して、
グロールフィンデルを伴い輪の中へと入っていった。


「さて、と」


温厚なエルフがああまで立腹して怒鳴り散らすなど、
壮年期の今では滅多にお目に掛かれない。
貴重よね、なんて元より輪に加わるつもりなど毛頭無かった私は、
穴の空きかけた自分の掌が癒えるのを待ちつつ暢気に構えていた。

ふと、視界の端で小さな影が動く。
フロドだ。
私のように傍観に徹するでもなく、
今の今まで黙し続けていたフロドが意を決して立ち上がったのだ。





「───僕が行きます」





言葉無く嘆く、ガンダルフの痛ましい表情。





「僕が行きます!」





フロドのこの言葉を待っていた私は。
今の自分は、一体どんな顔をしているんだろう。



ものっそ長くなってしまったので切れるところで分断。
分断してもこれなのだから我ながら呆れてしまいます。(その前に反省しろ)
次で旅の仲間が結成される…はず。

つか、ヒロインにはこれからマイアっぷりを発揮、
もとい色んな動物に変身して貰おうと思ってます。
『服を着替えるように』姿を変えられるって便利ですよねー。