ディクレッシェンドは
一握にして


「───僕が行きます」


言葉無く嘆く、ガンダルフの痛ましい表情に胸の奥が軋んだ。


「僕が行きます!」


そして澄んだフロドの瞳に、胸を刺した罪悪感の欠片。


「道は…判らないけれど」


申し訳無さそうに俯くフロドの肩へと置かれたのは骨張った老人の手。
ガンダルフの手だ。
彼はその目尻へと柔らかに皺を刻んで、見る者を安堵させる深い笑みを浮かべた。


「おぬしだけに重荷は背負わせたりはせん。儂が道案内を勤めよう」
「私も命を懸けて君を守る…───この剣にかけて」


次いですっと進み出て、フロドの前へと跪き、
ガンダルフと同様にも穏やかに誓いを立てたのはアラゴルン。


「私は弓に」
「儂はこの斧に誓おう」


続いてエルフ式の礼にのっとり胸に手を当て誓いを重ねるレゴラスに、
同じくギムリも、柄だけになってしまってはいたが手にした斧を掲げて誓いを示す。

そして。


「…お前がこの中つ国の命運を担うか。
 それが会議の下した結論というのならば、従おう」


それは誓いとはまた違う代物ではったけれど、ボロミアは静かにそう決意を表明した。


「おらも行きますだ!」


と、フロドの後ろの茂みから姿を現したのは葉っぱにまみれたサム。
今の今まで、その身の小ささを利用して会議へと潜り込んでいたのだ。
軽い手引きをしたのは、他に誰が居ようか否いまい…───私だ。
不意打ちな従者の登場にフロドは目を真ん丸くして、ぽかんと口を開け放ってる。
けれど程なくしてとても嬉しそうな、会議が始まってから初めての笑顔を綻ばせた。
誠実で忠実な従者の登場に、仲間達が口元だけで笑う。
それほどにサムの形相は必死だった。
涙まじりの目元でもって、けれど決して逸らすまいと、
エルロンドあの顰めっ面を食い入るように見上げているのだから大したものだ。

エルロンドがちらりとこちらを見る。
耳聡きエルフである親友が小さき侵入者の存在に気付いていなかったはずがない。
けれどエルロンドにも立場というものがある。
そうこれは私の役目だ。
「いいじゃないの」と笑って返す。
するとサムの顔がぱあぁっと目に見えて輝いた。
それを見て、エルロンドが更に柔らかな苦笑を深めて言う。


「極秘の会議へと潜り込むような者だからな…良いだろう」
「待って! だったら僕らも!」
「僕達もフロドについて行きます!」
「!」
「ピピン! メリー!」


こちらもまた柱の影がら踊り出てきた二人の青年ホビット。
ペレグリンことピピンと、メリアドクことメリーだ。
二人は一目散にフロドの前へと走り出ると、乱れた息もそのままに胸を張ってこう言った。


「だって、旅には頭の良いのが必要でしょう!」
「だったらお前は一番に脱落だな」


初っ端からの見事な漫才に、ガンダルフが大きく声を上げて笑った。


「…何て顔してるのよ、エルロンド」
「………」
「もしかしてサムには気付いていても、メリーとピピンには気付いていなかったとか?」
「…ああ」
「意外ね」
「私もだ」
「何それ」


胸を張りながらも、その瞳の奥にはどこか不安げな色を揺らがせて見上げてくる二人に、
エルロンドは、今度ばかりは有無を言わせぬ静かな迫力を備えた渋面を作って答えた。


「…残念だがそなた達には別の役割がある」
「そんな!」
「そなた達二人には、黒き危険が迫っていることを告げるための警告の使者として、
 ホビット庄へと戻って貰いたい」
「でも…!」
「よいではないか、エルロンド」
「ミスランディア…しかし、彼らは前途に待ち受ける困難を理解することもできず、
 また想像することも能わぬまま」
「それならばわしらとて同じことじゃ」


文字通りにも、ピピンの肩を持ったのはガンダルフ。
彼は今一度目尻の皺を深めて穏やかに老人の顔で笑うと、
次いで厳かな魔法使いの口調に改めて言った。


「あんたにも見えぬように、わしらの誰一人として前途が見えている者などおらん。
 エルロンドよ、此度の旅に関してはな、
 大いなる叡智よりもむしろ彼らの友情に期待すべきとわしは思うんじゃ」


そう、彼らの友情は堅い。
元よりホビットは互いに力を合わせることを"楽"とする種族だ。
そこに4人の深い友情が加わるのだから、生じる力は計り知れないものだろう。


「たとえあんたがわしらのために、
 グロールフィンデルのような剛勇のエルフをつけてくれたとしても、
 いくら彼とて一人の力では暗黒の塔を襲うことはできぬだろう?」
「あら、私はフィンデルとなら暗黒の塔の一つや二つ襲えそうな気がするけど」
「ほっほっほ! 確かにお前さんと金華公ならできそうじゃがな!」


次第に重苦しくなってきた空気を取り払わんと、脈絡も無く、一つケロリとノロケてみせる。

するとガンダルフは大らかに笑い、エルロンドは鼻で溜め息を吐き、
アラゴルンとレゴラスは遠慮無く吹き出し、ギムリは愉快そうにくつくつと喉を鳴らし、
ボロミアは呆気にとられ、ホビッツは各々の仕草できゃはきゃはと笑った。
そう、こういうのも昔から私の役目。
いい具合に場を和ませられたついでと、「ねぇ?」と軽いノリで旦那に話を振れば、
「君が乗り込むというのなら、私はこの身を剣と盾とし君を守るだけだ」などと、
柔らかい笑み付きで返されてしまった。
一気に両頬に熱が集中しかけて、寸でで堪える。
しまった、蛇足だったか。


「…まぁ冗談はともかく。
 ピピンとメリーを同行させることに関しては私も賛成よ」
「しかしな…」
「私達がかの大敵に立ち向かおうとするのならば、
 彼らには無い武器を持って立ち向かわなければ。
 彼らには無い友情、愛情、そして絆。
 そうした心の繋がりこそが私達にとって最高の武器であり防具。違う?」
「…違わぬのだろうな」


エルロンドは決して頭が堅いわけではない。
ただ慎重が少々過ぎるだけなのだ。
そしてどちらかといえば理詰めを好むタイプでもある。
だからきちんと理に適った説明を加えれば彼は誠実に折れる。


「ふふ、それに特にピピンなんかあの様子だと、『牢屋に閉じ込める』か、
 でなければ『袋に詰めて故郷に送り返す』でもしないと、後を追って来そうだしね?」
「! ええ、ええ、そうですとも!」
「まぁ『袋に詰めて故郷へ送り返す』って手段なら、
 使者としてホビット庄に送り返すこともできて一石二鳥といえば一石二鳥だけど」
「その通り! …──って、ええ!?」
「ダメよ、ピピン。そんなにあっさり引っかかっちゃ」


揚げ足を取れば見事にすっ転ぶピピン。
皆、声を立てて笑う。

もはやこの場には、影の気配は微塵も無かった。


「…判った。
 ミスランディアとお前がそこまで言うのだ。
 私はもはや何も言わぬ。行くが良い、若きホビット達よ」
「「やった!」」
「ふふ、良かったわね」
「ありがとう、! それにガンダルフも!」
「なぁに。その代わりお前さん達にも頑張って貰うぞ?」
「「任せてよ!」」


諸手を挙げて大喜びする二人を視界に収めて嘆息するエルロンド。
その横顔に、「大丈夫よ」と笑い掛ける。
すると返ってきたのは「そうなのだろうな」という肯定的な感想。
あら、と思って心中こっそりと目を見張れば、
付き合いの長さと深さから筒抜けであったらしい、「失敬な」と憮然な表情を寄越された。

そして。


「次はお前の番だろう、


憮然な表情をそのままにも、親友は優しくこの背を押す。


「そうね…───フロド」
「は、はい!」


これで九人の旅の仲間が揃った。


「ふふ、そんな緊張しないで」
「はい…」


そう、次は私の番。


「私はこの心に懸けて誓いましょう」


私は誓う。
この意志に懸けて。
この存在に懸けて。


「この心を貴方の剣と、盾として、
 その道程において障害となるものがあれば全てを薙ぎ払う剣となり、
 その道程において危害となるものがあれば全てを防ぎ弾く盾となる…」


彼を導き。
彼らを導き。

過ぎ去っていった、多くの者達との約束を果たすために。





「彼らと共に貴方を護りたい。
 フロド、貴方の行く愚挙の路に、この私を連れていって?」





指輪を巡る旅へ。
私は今、その一歩を踏み出す。





「───勿論! どうか僕らと一緒に来て下さい!」
「ありがとう、フロド」


紺碧の瞳に陽光の輝きを灯してフロドは、大きく頷いた。

満足そうに頷くガンダルフ。
小さくだが肩を竦めてみせたアラゴルン。
穏やかに笑むレゴラス。
気合一声、自身を奮い立たせたギムリ。
真剣な面差しを崩さないボロミア。
両手の拳を握りしめるサム。
軽やかにはしゃぐピピンとメリー。


「良かろう。
 かの冥王に立ち向かう指輪所持者と、
 彼を護りつつ、悪しき九人の乗り手に対する九人の徒歩なる者達よ」


幕は切って落とされる。





「───指輪が結ぶ仲間となれ」





愚挙の路は、拓かれた。



随分と間が空いてしまいましたが、ようやっと御前会議終了。
『愚挙の道』とはエレストールのお言葉。
この言葉が好きで、まぁそこかしこに使ってみたり。
本当はエレストールやグロールフィンデルとか他の参加者にも喋らせたかったんですけど、
そうするともう本気で収拾つかなくなるのでやめました。
…まぁ、それでもこの長文なんですが(汗)