君調べ
アルペッジョの波


「私は旦那よりも一日先に死ねたらと思ってるの」


何の含みも無く穏やかに笑って見せれば、フィンデルは僅かに眉を顰めた。



「そんな顰め面もわりと好きよ?」


茶化すでもない、本当にそう思うからこそありのままに告げる。

散歩に付き合ってと、言い出したのは私。
二つ返事で承諾したのは彼だった。
それは彼が知っているから。
きちんと感じとっていてくれているから。
私がこうして彼を散歩に誘い出す時には必ず、
何らかの重要な話を切り出す心構えがあることを。


「フィンデルを困らせるのは私の特技で特権だから」
「まったく、君は…」


黄金髪に彩られた顰め面を苦笑へ、苦笑を微笑へ。
私が言いたいことなど既に十分理解しているのだろう。
これから私が同行する、エレストール曰くの"愚挙の路"についてだ。
以前からぽつりぽつりとは話しておいた。
『私はサウロンとの最後の戦いに参戦する』。
『そのために、時期がくれば私は中つ国の命運を決める旅へと同行する』。

『私にとっては往く道のみとなるかもしれない旅へ』と。


「…ごめん」
「どうして謝る?」
「私はいつも勝手だから」


それはフィンデルが私を妻に迎える以前、私が彼の求婚を拒んだ時の台詞。
恥ずかしながら、今や鴛鴦夫婦としてエルフの間でも特に広く知られている私達だけれど、
その頃の私は自分がイレギュラーな存在であるとして、
独りで生きていくことを固く心に決めていた。

『…重荷は一人で背負い込む方が楽なのよ。
 誰かと共に分かち合うことができるのならそれは、結局その程度のもの。
 自惚れるつもりも、悲観に暮れるつもりもないけれど、
 私の背負うそれはそんな生易しいものじゃない…寄り添えば確実に貴方を押し潰す』


「身勝手なくせに、判っていてフィンデルに甘えているから」


そう言い捨てた私に彼はこう答えた。
『私には貴女の重荷を分ち持つことはできないのかもしれない。
 しかし私にも、貴女の心を掻き揺する闇の息を打ち払うぐらいの力ならきっとある。
 剣として、また必要であれば盾として、ただ貴女のためだけを想って生きることはできる。
 だからどうか、貴女の心を、貴女の想いだけを聞かせて欲しい』と。

気付けば私は。
『貴方と共に生きたい…』、そう答えて泣いていた。
それが、彼に初めて見せた涙だった。


「君のそれは身勝手とは言わないだろう。少なくとも私は思わない」


彼は優しい。
それはもう私などには勿体無いぐらいに。
だからこそ何も言えなくなる。
胸の中心が詰まる。
苦しい。
それらは偏に、この後ろめたい心持ち故。
罪悪感にも似た懺悔心。
どうにかやり過ごそうと、彼に後ろから抱き竦められるままただ静かに両目を伏せた。


「…死ぬのならば私よりも一日先に、だったか」


黙り込んだ私をやんわりと更に深く抱き込んだ今の彼は、おそらく穏やかに微笑んでいる。
気配で判る。
伊達に数千年も夫婦はやっていない。
そう思って、自分がどれだけフィンデルの妻であることを誇りに思っているのかを、
改めて再認識して、再実感した。

こんなに時までノロケか。
苦笑に口元が歪む。
そうこう考えている内に、こめかみへ、額へ、瞼へと、
まるで羽が触れるかのようにフィンデルの口付けが降ってきて。
気付けば甘やかになんて正面へと振り向かされていたりするこの身体。

至近距離にある、端正なその顔。


「ならば私が死ぬことさえなければ、君も死ぬことがないということになる」


私がその笑顔に適わないことを知っていて彼は、こうして綺麗に微笑うのだ。


「それは…まぁ、理詰めで言えばそうならないこともないけど」


そうか、そんな解釈も可能なのか。
予想もしていなかった発想に見事に虚を突かれた。
呆けている間にも、この瞼へとまた一つ優しく唇を落として彼は言う。





「幸いな事に私は不死のエルフだ。
 ともすれば当分、君を手放す心配はない」





ああ、どうして。
彼はこんなにも私を泣かせるのが上手いのだろう。





「…私、フィンデルのそういう、私の捻た部分を認めて尚愛してくれるところが好きよ」
「それは光栄なことだ」
「本当に…本当に、好きだから」


もしかしたらもう、裂け谷へは戻っては来れないかもしれない。
この旅が終わった時、自分の使命は終わる。
中つ国へと存在する理由も消える。
その時、自分はこのアルダへと、愛しい彼の元へととどまることができるのだろうか。
この世界に喚ばれた時のようにまた、問答無用にも元の世界へと戻されてしまうのでは?
まるで風の前の塵のように。
春の夜の夢の如くに。
そして私の存在は、醒めれば後は覚束無く移ろい滲みいく泡沫の夢として、
彼の記憶の片隅に埋もれ、色褪せていくの?


「私の帰りたい場所は此処なの」


そんなのは、嫌だ。


「フィンデルの、腕の中、なの…っ」


忘れたくない。
忘れられたくない。
これからだって、いつまだって彼と共に在りたい。

だから、どうか。


「ならば帰ってくればいい」


イルーヴァタールよ。
私から彼を取り上げないで。


「何せ君は私の妻で、私は君の夫なのだから」





来るべき時にはどうか元の世界ではなく、彼の元へと私を帰して。



金華公と離れるのは辛いー!とのことで。(笑)
今ではあんな公然とノロケたりしてる二人ですが、
ここまでくるには種々様々なシリアスを乗り越えて来たんだぞと、
つまりはそういうことが書きたかったわけです。