愛のつぼみ


それはまだ、
アルウェンがアラゴルンを一人の男性として気に掛けるようになって間もない頃の話。


「ねぇ、は何があってこの中つ国へと留まろうと決めたの?」
「それは…また突然な上に脈絡の無い質問ね」


うららかな午後の昼下がり。
女性二人、他愛もない会話に香り高い紅茶を交えて過ごしていたところ、
したたかな祖母譲りの笑顔と仕草でもって何気無さを装い、
唐突にもそんな話題を振ってきたのはアルウェン。
けれど祖母のそれとは違い、肚に一物も二物も孕んだ思惑の無いアルウェンのそれは、
本人の気さくな性格と立ち振る舞いからは周囲の予想を大きく裏切って、
常に物事に対し深い思慮・考察を巡らせている、
エルフをして『宵闇の賢人』と呼ばしめる彼女に通用するものではなく。

けれど、アルウェンがそんな事を言い出す事情も何とはなく察する彼女であったから、
可愛い親友達の娘にそれとはなく騙されてやるのだった。


「それはまぁ色々とあるけど…」
「けど?」
「決定的なものが何かと言われたら…まぁ、アレよね」
「"あれ"?」
「グロールフィンデル」
「まぁ」


日頃から憧れをもって慕うかの人の、珍しくも照れを堪えたような声色と表情を目にし、
アルウェンはその細い指先を口元へと当て、楽しそうに笑った。


「こっちに来て、うっかりなんてフィンデルに惚れてしまって、
 しかもそのフィンデルから愛し返されたりなんかしてしまったからね」
「それで元居た世界へとは戻る道は捨てて、この地へと?」
「そう……って、こんなことを言ったらエルロンドなんかには、
 『何を今更』なんて見事に顔を顰められそうだけれど。
 なんていうか、改めて口にすると何やら壮絶に恥ずかしいわね…」


長く艶やかな黒髪を掻き上げなら、苦笑に一つ赤ら様な溜め息を付け加えた彼女。
両親共通の友人の、その普段はあまり見られない仕草に、
ルーシエンの生まれ変わりと称えられる夕星姫は優雅に頬を緩ませた。
兄二人が居ては話せないような話題も、女同士ということで会話が弾む。


「ふふ、二人の仲睦まじさは専ら才子佳人の良縁として、
 エルフの間では知らぬ者が無いほどに有名だものね」


しかしそれも、アルウェンにしてみれば全く悪気の無い台詞に、
どうしてかひたりと停止したと共に僅かにトーンダウンすることとなった。


「………あのねぇ、それは貴女の母親と御祖母様のせいなのよ?」
「母様とおばあ様の…?」
「そうよ。…私とフィンデルがくっついたと悟ったとたん、
 ケレブリアンが裂け谷のみならずローリエンでまで触れ回ったせいで、
 ケレボルンの殿とガラドリエル伝いに向こうでは諸々を歌にされるわ、
 あの闇の森の噂好きな宴会王にはこれでもかと言うぐらいひやかされるわ…。
 もうこの中つ国を見捨てて、何度さっさと西へ渡ろうと思ったことか…!」


言って、何か苦い記憶にふたでもするかのように彼女は拳を強く握り締めた。
その様子に、母と祖母の性質を考えればそれはもう相当なものだったのだろうと、
この短い会話の間に随分と疲弊したに、
多少同情の念も交えてアルウェンは綺麗な苦笑を返した。


「でも、それでもこの地へと残ったのよね?」
「まぁね…まだ成すべきことを全て成し遂げていなかったし、
 何だかんだいってフィンデルもまんざらでもなさそうだったし、それに…」
「それに?」


ゆったりとながらもしきりに話の先を促すアルウェンに、
心の内で(やっぱりケレブリアンの娘よね…)と今はこの場には居ない友人を懐かしむ。
ともすれば穏やかな色合いを宿し、ふっと細められる黒曜の瞳。
同様にふわりと浮かべられる艶やかな、けれど見る者の心を深く安堵させるその笑み。

幼き頃より今もずっと。
優しく、時に厳しく、そして今も温かく各々の物語を見守るその眼差し。





「血を分けてはおらずとも、貴方達兄弟妹にエステルという愛しい子供達が居たからね」





両親は言うに及ばず、あの祖父母をして数少ない旧友と言わしめ、
また自分や兄達にとっても最も身近き友人として、親子孫三代通じての友である彼女は。


「その未来を紡ぐ手伝いをするのが自分の役目だというのなら、
 それを放棄する理由なんてどこにも無いじゃない?」


いつだって親愛の情を示すに、こうして明け透けの笑みでもって微笑うのだった。





「しかしまぁこんなことになるんだったら、
 ある程度でも、きちんとエステルに教えておくべきだったかしら…」
「エステルに?何を?」
「エルフを口説くコツ」
「…っ!」
「うーん、若いっていいわねぇ」



まぁほら、ヒロインもう6500才ちょっと過ぎですから。(笑)
正確には6552歳で、エルロンドより少し年上。

アルウェンとのほのぼのを書こうと思って何を思ってかノロケなSSに。
きっと殿方二人はどこかでくしゃみに身震いしてることでしょう。