寝たフリとは存外に難しいものだと、そう思う。


眠り姫の誤算


、入るぞ」


ふわりと風が通る。
執務室の戸が開いたからだ。


「…?」


鼓膜を振るわす、心地良い低音。
愛しい、愛しくてたまらないその人の声。
どこか困ったように揺らぐその気配。


「寝てる、のか…?」


起きてるけど。
もう少しこのままで様子を見てみようかな、なんて。
曹操様並みの可愛いらしい悪戯心が湧く。


「ったく…器用な寝方をしおって。
 そんな窓枠に寄り掛からずとも、執務卓に俯せるなり何なりあるだろうに」


だって窓際は、吹き抜けるそよ風が気持ち良いんだもの。

気配が近付いて来る。
一切の音を伴わないその動きは、相手なりの気遣いだろう。
凄く嬉しい。

気配が自分の真横でひたりと止まった。


「孟徳に呼んで来るように頼まれたのだがな…」


…これは起きた方は良いかしら。


「仕方あるまい」


寝たフリの次は、どうしたらこれ以上無いくらい自然に"起きたフリ"ができるかと、
あれこれ色々と考えていると、不意打ちにも大きな手がこの頬を撫でた。
温かい、乾いた掌。





それじゃ音を立てないよう近付いた意味がないじゃない、と。
そんな不粋なツッコミは深い所へと飲み下して、そのまま優しい感覚を甘受する。


「お前が…」


またもやくすぐられる悪戯心。
ああ、今ぱちりと目を開けたら相手はどんな顔をするだろう。


「…お前が悪い」


は?、と。
突然何やら自分に非があるような言いわれように、
思わずぐっと寄りそうになる眉根を何とか必死に堪えて、台詞の続きを待つ。


「無防備に惰眠を貪っているお前が悪い」


瞼越しに感じられた日差しが消える。
代わりに落ちて来たのは薄い影。
そして先程よりも近くに感じられる相手の気配。





「…だからこれぐらいは、許せ」





ふわりと唇に触れる、愛しい感触。





「…無理はするな」


もう数えるのも馬鹿らしいぐらいに何度も重ねているそれを感じ間違うはずもなく。
心臓が大きく脈を打つ。
明らかに熱を持つこの身体。
それらを何とか身体の内にとどめられないかと考えているうちに、
瞼へと戻ってくる午後の柔らかな陽差し。


「何でも一人で抱え込むな」


どうやら触れるだけのそれからは、私のそんな熱まで感じることはなかったようで。
今度は優しく髪を撫でられた。
気配で相手が微笑ったのが判った。


「俺を頼れ…俺が傍にいる」


最後に惜しむようにまた頬を撫でると、離れていく掌。
遠ざかっていく相手の気配。
戸の閉まる音。





「狸寝入りって…以外と難しいのね」





寝たフリとは存外に難しいものだと、そう思った。



なんと完成まで15分のSS!
自分でもびっくりな一品。愛故か。
そういや惇兄ったら隠しSSしかなかったなぁと思いまいして。(汗)