寝た振りとは存外に難しいものであると、知った。


眠り姫の逆襲


「………」


うたた寝をしていたのは事実。
しかし自分もこの魏を代表する一武将。
どれだけ音を殺しても、自分の間合いに踏み込んで来た人間が誰かなど気配で判る。


「元讓?」


相手がなら尚更だった。


「また椅子に座ったまま腕組んで寝れるなんて…器用よね」


その台詞、そのままそっくりお前に返すぞ、と。
言いたいのを堪えて、平静を装う。

…要するに今は狸寝入りというやつだ。


「仕方ないわねぇ…」


らしくないと、自分でも思う。
これではまるで孟徳並みではないか。
情けないとは思いつつも、それでも中途半端に芽生えてしまった故意の心持ちに、
今更開き直って目を覚ます事もできず、
そのまま早々にが立ち去るのを待つことにした。


「…悪いのは元讓よ?」


幾分の甘い毒を含んだその物言いと声色に、どこか引っ掛かるものを感じる。
何だ?
俺は今何に"擬視感"を覚えた?


「そんな無防備に寝ちゃって…何されても文句言えないんだから」


『悪いのは元讓』。
『無防備に寝ちゃって』。
どうしてか聞き覚えのあるその内容。





「勿論許してくれるわよ、ね?」





唇に触れる、愛しい感触。





「…ふふ、この間のお返し」


未だ呼吸すらも肌で感じられる程の距離でそう甘く囁かれる。
瞼を上げなかったのも、微動だにしなかったのも、
決してこの身に相当の演技力やら胆力やらが備わっていたのではなく、
ただ単に驚愕に捕われ、硬直してしまっていただけだ。


「ねえ、元讓」


そして、ようやく気付いた。


「寝たフリって存外に難しいものなのよ?」


あの時起きていたのだ、は。
そして最初から判っていたのだ。
俺が狸寝入りしていることを。


「この書簡、すぐに処理して曹操様の所へ持って行ってね」


くすくすと涼やかな笑い声を立てて、遠ざかっていく気配。
同時に失せていく唇の微熱。
代わりにじわりと身体中に広がっていく言い様の無い熱。

戸が閉まる、音。





「あいつめ…」





寝た振りとは存外に難しいものであると、身を以て知った。



『眠り姫の誤算』のその後。
しっかり逆襲かまされて、やはりメロメロな惇兄でした。
ちなみに完成までこれも15分のSS。
恐るべし夏侯惇…!