灯
火
「早々に死にたい者から、いらっしゃい」
戦場でのあいつは。
己の得物を振り下ろす瞬間のあいつには、全く表情というものが無い。
「ただし、ここから先は黄泉への片道───後戻りはさせないわ」
普段あいつが周囲に見せる表情は種類も質も、量も豊富だ。
素顔で泣いて、素顔で怒り、素顔で笑う。
そうしたそれらは所謂"陽"の気に属する類いのもので、
優しさも厳しさも備えたそれは、
時にある者を諌め、時にある者を赦し、癒しそして救う。
その全てが鮮やかで、自分を含めて多くの者が惹き付けられてやまない。
だが。
「その覚悟の有る者は…」
戦場において"黒き風"との異名を取るあいつは。
───否。
"黒き風"であることを迫られている時のあいつは、対極的に表情というものが無い。
表情だけでない。
口数、呼吸、瞬き。
表情に関わる全ての動作も希薄になる。
それ故に、表にあらわれる感情は限り無く零に近い"無"となる。
「さぁ、いらっしゃい」
しかし、たった一つ。
例外的に、あいつが"黒き風"である時にだけ見せる表情もある。
それは。
「この刀で、深く抱いてあげる」
限り無く整った、見る者の背筋を凍り付かせる薄い冷笑。
「ひ、怯むなぁ!! 進めーッ!!」
「ぅうおぉおおぉぉおぉ───」
綺麗過ぎるからこその冷鋭さを備えたそれに。
そのたった一つの表情に。
見る者全てが恐怖し、戦慄する。
そして魅入られ、そのほとんどが死出の旅路へと堕ちていく。
「死ねぇええぇ!!」
「…私は死なない」
感情という熱を身体の奥深くへと仕舞い込んだ、
限り無く温度の低い存在感が紡ぎ出すその言葉は。
「残念ね…───死ぬのはそっち」
その声は、まるで凍てつく寸前の冬の湖水のように。
淡々と聞く者の耳へ流れ込み、頭の芯から麻痺させ侵し尽くす。
「さよなら」
その目に、声に、手に。
命も、何もかもを奪われる。
「ぐぁ…っ」
"凍れる炎"、と。
孟徳を言わしめて、そう形容するのが最も相応しい。
それが"黒き風"というあいつの姿。
「───…私にも、譲れないものがあるの」
美しく、儚い戦鬼。
「また一段と腕を上げたようだな」
「元讓」
まさに文字通りの一騎当千の武に、凍牙の如き切れ味を見せる智をもって、
奇襲部隊として、護衛兵と三百弱の兵でもって千強の敵一部隊壊滅させた。
しかも部隊の損害は二割、先陣をきった自らもその護衛兵も含めて、
ほぼ無傷と言える出立ちで陣へと戻って来た。
その帰陣にまたもや軍の士気が上昇したのは言うまでもない。
「…見て、たの?」
つい最近初陣を果たしたばかりでこれだけ"戦慣れ"した見事な戦ぶり。
戦場では武将としても軍師としても逸脱した能力を見せ付けるを"黒き風"と称して、
味方は賞賛し担ぎ上げ、敵国は恐れ畏怖するのも無理の無い話ではある。
だが同時に言い様の無い苛立ちに襲われるのも事実。
「布陣がちょうどお前の部隊を一望できる位置にあったからな」
「…そう」
生まれ育った環境の違いなのだろう。
目的達成の手段として人を殺すという行為を為すこと自体に関しては、
既にそれらの複雑な感情とは折り合いを付けているようだったが、
しかし、人を殺すという事に関しては未だ罪悪の念を捨て切れずにいる。
「おい」
「何?」
「俺は"お前"と話している」
「? 私、と…?」
「そうだ」
そんな罪悪の念に苛まれた自身を推し殺してなお、は戦場に立つ。
胸の内の苦悩を、痛みを黙殺して、ただひたすらに歩むことを止めない。
出来得る限り多くの人間の命を効率良く奪うための策略にその智を砕き、
出来得る限り多くの人間の命を無駄無く奪うために武器を振り下ろす。
「"黒き風"ではない。、俺は"お前"と話している」
「あ…」
「もう少し色を付けて口をきいたらどうだ?」
それは『護る』ため。
あいつが大切と思う人々の命とその幸せを守るため。
の、絶対にして唯一の"目的"。
「…あのね、元讓」
と、珍しくも人目を憚らずにその身を預けて来た。
それに応えるべく、出来る得る限り柔らかに片腕を回して受け止めてやった。
通り掛かった見回りの兵士やら、その場から動くことのできない見張りの兵士、
果ては物見櫓の警備兵からと相当な量の視線を感じはしたが。
腕の中の柔らかな感触があまりに淡く、儚く、そして愛おしく感じられて。
殊更無視を決め込むことにした。
「何だ?」
今まで生きてきて一度も思ったことがなかったが。
生まれてこの方武人である自分がこんな事を思うようになるとは考えもしなかったのだが。
とこの身体とを隔てる鎧が、今だけは酷く鬱陶しく感じられた。
「会いたかったの、元讓に」
「そうか」
「そう、元讓に会いたかった…」
預けられた重心を更に抱え込んでやればは猫のように身を擦り寄せて来る。
艶やかな漆黒の髪がさらさらと肌を掠めて、その心地良さに目を閉じた。
視界を捨ててしまえばその分だけ冴える聴覚と触覚。
心が直に触れ合っているような錯覚さえ覚えた。
だからこそ、判る。
「とにかく元讓に会いたくて、仕方無かった…っ」
内に抑え込んだ熱が、溢れて氷の殻を溶かし出したことを。
「そう、か」
「人を斬れば斬っただけ、頭の中も身体の中も空になっていくようで…」
直接伝わってくるの心の震え。
それは酷く儚く、朧げで。
「指先からどんどん冷たくなってきて…寒くて、恐くて……だから。
逢って元讓に強く抱きしめて欲しくて…そればかり、考えて、た…っ」
「───…そうか」
"凍れる炎"の。
絶対零度の氷壁を纏ってなお、消えることのない劫炎の実体が。
本当は陽だまりにも似た穏やかでものであることを。
「ならば…今夜は俺の天幕に来るか?」
煽げば容易く揺らめいてしまうような。
儚く、けれど決して絶えることの無い穏やかな灯火であることを知っているのは俺だけ。
「───このまま連れて行って…」
この俺、だけ。
こんな色めかしい終わり方をしておきながらも実際の所はどうかといえば。
結局ヒロインは惇兄の膝枕ですやすやと早々にも御就寝。
膝を提供させられた惇兄は眼前の無防備な寝顔に一晩中理性と格闘というオチ(笑)
というか自分で書いててなんですが、"黒き風"って何かどっかで聞いたような覚えが…。
何だったかな−…、何か問題にひっかかりそうだったら是非教えてやって下さい(汗)
※後日追記※
『黒き風』についてたくさんの情報をありがとうございました!
おかげさまでFF;Uの主人公であることが判明いたしました…(滝汗)
不愉快とのお声がきたりしたらサックリ削除しようと思ってますんで、その際はどうぞ御一報を。