確かに、今朝から薄々は感じていた。


「ふん…、これが良い証拠だ」


今日は朝から顔を合わせた武将、女官、護衛兵など片っ端から、
会うなり開口一番皆一様に同じ言葉を投げ掛けられた。


「証拠っていうか…証明の仕方間違ってると思うんだけど…」


『大丈夫』か?、と。


「何だ? これ以上まだ小賢しい反論の余地があるのなら言ってみるがいい」


そして酷く婉曲で遠回しな言い方ではあったが一応、
この万年顔色最悪腹黒鬼畜軍師にまでも。


「力も入らぬ程に身体が熱をもっていながら……馬鹿めが」


そう、今の私は倒れる寸前。

副軍師兼魏国内政担当というそれなりの肩書きを持つ私は。
先の戦での単純な肉体疲労に加え、
戦いの間に滞らざるを得なくなって溜まった執務の処理、
それによる過労と睡眠不足、高熱で意識も白濁状態なのだった。


軍師の体温


「でもまだ仕事残ってるし…」
「この状態で、どれ程の能率と成果が期待できるというのだ?
 見誤って政敵に貶められる貴様も…それはそれで見物だがな」
「……一応心配してんのよね、それ?」


そして、今現在。
何の脈絡があってか、先程まで朦朧と執務をこなしていた私は、
自室に突然黒いオーラを発し、
不機嫌も極みな仏頂面をさげて顔を出した魏軍師・司馬懿仲達に、
筆と書簡を奪われると、無理矢理寝台に押し倒されあまつさえ覆い被さられてたりする。
甘い雰囲気も無ければ身に迫る危機感も無いのはやはり互いに相手が相手だからのだろうが、
けれどこの体勢はかなり辛い。
何が辛いって、この体勢のままだと身体が楽過ぎて、
今にも意識を手放してしまいそうだからだ。


「どいて、仲達」


まだ仕事は大分残ってる。
ここで寝てしまえば、倒れてしまえばその皺寄せは、
目の前の鬼畜軍師とそれ以下の武将達へと回ってくる。
それだけは避けたい。
恩と言えばどうも堅苦しい気がしないでもないが、
やはりそれには恩という言葉が一番しっくりくるような類いのものであって。
私がこの国でこうして日々戦って、仕事をしてるのは自分を受け入れてくれた人達の恩に、
こんな素性も知れない自分に与えてくれた好意や優しさに少しでも多く報いたいがため。
大切な人達のためなら何でもしたいと思うし、何であってもやり切ってみせたいと思う。

それなのに。


「くだらぬことを考えるな」


思考が遮られる。
熱が脳まで回ってきた。
仲達のひんやりとした掌が頬に触れる。

気持ち良い。


「…弱ってるときにまで頭の中読まないでよ」
「弱っているという自覚はあるようだな」


しまった。
その温度に、触れられる心地良さにすっかり油断した。
見ればにたりと、意地悪く持ち上げられた仲達の口の端。
「かかったな」と言わんばかりの顔をしてる。


「ほら私こう見えても結構体力あるし…」
「ほう。まだ仕事をするだけの余力はあると」
「…いや、まぁ」
「なら心置き無くぐっすりと眠れるよう、眠らせてくれと乞いたくなるまで、
 その余りあるらしい体力をこのまま寝台の上で根こそぎ消費させてやっても良いが?」


昼間っから何を言ってるんだこの男は。
というか、仲達なら相手が病人だろうが何だろうが本当にやりかねないから困る。
しかも仲達は何事に関しても下手に"加減"が上手過ぎるのだから尚更たちが悪い。

でも。
今回ばかりは違うようで。
それなりの付き合いを、関係をもっているせいか、
目を見れば判るがことなのだが、そこにあるのは苛立ちにも似た気配。


「……もしかして、怒ってる?」
「当り前だ」


当人の人間性から鑑みて、有り得ないくらいに素直な肯定を受けて、
こちらも素直に眼を丸くする。
普段なら「ふん。何の不幸があって貴様なんぞのために気を荒立てねばならんのだ」、
ぐらいの毒を吐いてみせるのに。
私はそんなにも憔悴しているのか。
少し…というか、かなり不安になってきた。


「ねぇ…私ってそんなに死にそう?」
「………貴様、自覚が無いのか」


珍しくも呆れたような表情でもってそう言うと、やっと覆い被さっていた体勢から変わって、
仲達は音も無く寝台の端へと腰掛けた。

もうこの時点で、寝台から自力で頭を持ち上げることはできなかった。


「お前の様子を見て、殿は国中から名医を呼び集めようとするわ、
 甄姫殿は身体に良いものをと厨房に立とうとするわ、
 それを眺めに曹丕様は仕事を放って厨房に向かおうとするわ、
 一般兵は鍛錬を怠ってお前が倒れたことを騒ぐわ、女官達は一様に狼狽えるわ、
 他の武将達は仕事が一向にはかどらないわ……」


これでは軍の士気どころか戦も何もあったものではない、と。
不機嫌さにどこか疲れたような色合いを加えた表情をぐっと歪める仲達。
そんな顔もするのかと不謹慎にも新鮮ささえ感じてしまって、怠い身体を震わせて笑った。


「何が可笑しい」
「いや、皆に後で謝らないと、と思って」
「ふん…ようやく大人しくしている気になったか」
「うん。今日はこのままゆっくりと休ませて貰うことにするわ」


じゃないと私が考えてた以上に仲達の仕事が増えそうだから、とまた笑ったまま返せば、
悟るのが遅い、読みが浅い、仮にも貴様は副軍師だろうと、
腰を上げた仲達に高い位置から叱責された。
その視線をどうにか絡めとろうと、思う程上手く挙がらない腕を精一杯伸ばしてみせれば、
つまらなそうに、けれどちゃんと掴んでくれる。
それを認めて頬へと引き寄せれば、相手は何の抵抗も見せずされるがままに腰を折って。

自分よりも幾分低い体温はひやりと気持ち良く、急激な眠気を誘ってきた。


「…ありがとう」


頬に触れる掌が、掴んだ右手が一瞬強く脈打った。


「ならばこれ以上手を煩わせるな」


ような気がした。


「……了、解」
「貴様は詫びるということを知らんのか」
「だって…、仲達は謝られるよりも感謝される方が……実は好き、でしょ…」


ふわふわと、もはや夢現つ。
まさに例えるならそんな状態の意識。
その中で聞いた仲達の声は。





「───…貴様に限って、だがな」





少しだけ照れているような。
そんな気が、した。



司馬懿に口悪く心配されてみよう!ということで。←どんなだ。
お約束というかありがちな風邪ネタを。
いや、絶対平熱低いですよね、司馬懿って。
かくいう私も平熱35.5℃↑↓なんですけど。