確信犯的
確認犯


「…ねぇ、仲達」
「何だ」


夏侯惇と一緒に出向いた丸一月近くの遠征から帰ってきてみれば、
ここしばらく政務に追われて執務室へと篭りっきりだという腹黒鬼畜軍師。
その様子見に、訪れた彼の人部屋にはやはり、
予想通り病的なまでの顔色最悪な仏頂面があった。
しかも部屋に入れば入るなり顔も見ずに『茶ぐらい入れたらどうだ?』と、
何の筋合いがあってか訪問者である自分がおもてなしを要求される始末。

この男、絶対にどこか間違ってる。
いや、もう慣れてはしまったけど。


「下手に死にそうなのも、無駄に偉そうなのも相変わらずねぇ」
「…貴様」
「まぁ今更どうでもいいけど」
「………」


そうした相手の一連の態度に、見せつけんばかりの赤ら様な溜め息を一つ、
やれやれと、敢えて言葉にせずに態度で表して見せる。
目的の人物の前へと辿り着くまでに、その進路を変更せざるを得ないこの両足に、
いくら慣れたとはいえ、
やはり不満感というよりは矛盾感といった気分が抜け切ることはなくて。


「…それで、どうしてまたそんな兜にしたのよ?」


だからこそというか何となくというか。
それとなく乗じてそんな事を口に出してみたりする。


「私がどんなものを身に付けようと、貴様には関係あるまい」
「まぁそれはそうなんだけどね。純粋な疑問というか何と言うか…」


今日ばかりはいくらかの安堵を与えてくれたりする、無駄に達者な毒舌。
この天才的な捻くれっぷりにだって今や存分に慣れきってしまっている私は、
常人が聞いたら『こいつ討ち取ったる…ッ!』と思わず決意せずにはいられないような、
そんな嫌味にもさして気を止めず、茶を用意する手を休めずに更に問いを重ねてみる。


「何か深い訳でもあるわけ?」


回答が返ってくれば儲け物だが、元より期待なんて心持ちは微塵にも用意してなどいないので、
別段、答が返って来なくともそれはそれで良かった。

以前、面白半分に仲達へしつこく話し掛けていた時期があったのだが、その節には、
『貴様は何故そうも無駄と判っていて、執拗なまでに私に向かって口を開くのだ?』やら、
『曹操様からの探りか、はたまた新手の嫌がらせか…一体何が目的だ?』と、
本気で問いつめてきた仲達に、『司馬懿自体に興味があるから』と。
『あんた相手に素直な回答なんて最初からほとんど期待してないし。
 しつこいぐらいに話しかけるのは、これまで何人もが挫折せざるを得なかった、
 司馬懿との会話なるものを成立させてみたいと思っただけよ』と。
根っこの部分は似たような返答を返したところ、
告げられた仲達といえば虚を突かれたように固まって。
私的にはかなりツボだったりする、"素の表情"を見せたことがあった。

その時の様子が脳裏を過り、思い出し笑いが口元を歪める。


「…何が可笑しい」
「いや、何でも。だって頭重くて肩こらない、それ?」
「この天下無比の頭脳を護るためだからな」


自分で言うか。
というか言うんだったわね、この男は。
心中、黙って即座に突っ込むこれだって既に脊髄反射の領域。


「じゃあ、いくら魏が幾分肌寒い気候だからって蒸れない、それだと?」


下手すると禿げるわよ、と。
部屋に入ってから未だに向けられることのない相手の視線の先へと、
どうやら仲達が酷く気に入っているらしい雪茶の入れたてをことりと差し出せば、
筆を持つ手はひたりと不自然に止まる。

…ははーん。


「気にしてたわけ?」
「っ気にしてなどおらんわ、馬鹿めが!」
「突然の大声は肯定と捉えられても仕方無いと思うけど?」


らしからぬ大声を上げることで、ようやく書簡から自分へと挙げられた血色の悪い顔。
普段よりも幾分、余裕が無いのか上手く感情の隠しきれなくなっている黒ずんだ目元。
それでいて、常にも増して理知的な鋭さを称える水灰色の瞳。


「やっとこっち向いたわね」
「だから何だ」
「別に。でもとりあえずは改めて…ただいま、仲達。
 随分と久しぶりだけど、元気してた?」
「──…ふん」


ああ、やっと仲達を捉えた。
そして、久々に仲達に捕らえられた。

こんな些細な事柄にも素直に幸せを感じられてしまう私は、
正直、相当な物好きなんだろうと自分でも思う。


「ふふ。で、まぁ禿げる禿げないは別として…」
「貴様…っ」


仲達は据わった両目もそのままに、
かっしゃんっとやや乱雑な所作でもって手にしていた筆を硯へと置く。
けれど折角そうして空けた掌であっても、
眼前の茶へと伸ばされるかと思えばそんなことはなく。
見事に予想を裏切った利き手は執務机手前に置いてあった愛用の黒羽扇を掴み、
そのままさっと口元へと寄せられて。

ゆらりと揺れる黒羽。
それが何であっても、
感情という類いの揺らぎを必要以上に外部へと漏らす事を嫌う仲達の癖の一つ。


「帰って来るなり早々に私へ喧嘩を売るとは…良い度胸だな」


汲み取ることを許されたのは黒羽扇で隠された口元以外の表情。
『目は口程に物を言う』というのは本当らしい。
細められたその両眼は酷く好戦的で、
覚悟はできるのだろうな?とはっきりと語ってみせる。

───だからこそ討ち取り甲斐があると言うものだけど。


「だって折角綺麗な髪してるのに勿体無いと思うのよね、私なんか」
「………」
「これは頭巾にも言えることではあるけど…、
 兜なんか着けてたら尚更蒸れと重さでめっきり痛むじゃない?
 そんな仲達を見たら、
 あんたをやたらと美化してる一部のおめでたい女官の皆様が泣くわよ?」


言って、仲達の肩口にさらさらと零れている、兜の装飾である紫のふさを、
今は兜の内に収まっている髪の代わりとでも言うように指先で梳いて弄ぶ。
するとその指先は突然、ぐっと掌ごと強くはない力で掴まれて。
掴まれればそのまま仲達の口元へと引き寄せられて。
決して健康そうとは言えない血色の唇が指先に触れる。
幾分乾いた感触に、柔らかな熱。

とくんと一つ、心臓が跳ねる。


「ふん、馬鹿めが…」
「仲達?」


仲達の眼が自尊心も曝け出し、嘲笑う。





「私の髪を直に見ること、触れることができる女などお前ぐらいのものなのだぞ?」





その仕草に、この心臓はまたも見事に跳ね上げられる始末。


「そうでありながら貴様は、私の髪を他人への見せ物にする気か?」
「…それは」
「それとも、敢えて見せつけてやろうとでもいう腹積りか?」


心の臓を跳ね上げられ、更に鷲掴みにもされて。
ついでに髪まで引っ掴まれて、多少の痛みをもって強引に引き寄せられるこの身体。
あっという間に距離を失くす互いの鼻先までの距離。
触れてしまいそうでいて決して触れることない、
計算し尽くされた位置にあるその不健康な唇。


「さぁどうなのだ?」
「…そうね」


ならば。


「───…」
「…もう、唇かさかさじゃない。ちゃんと食べてるの?」


その鉄壁の策略と仏頂面を、見事突き崩して差し上げるのが、
私という、仲達にとっての"特別な存在"の役目じゃないかと思う訳で。


「確かに見せつけるっていうのもまた一興だとは思うけれど…、
 どちらかといえば独り占めしたいかしら、私としては」


だから、さぁ見せて。


「───ふん、貴様にしては良い心掛けだ」


私だけに見せるその素顔を。


「ぅん…っ、お茶、冷めるわよ」
「また入れ直せばいいだろう」
「………誰が入れると思ってんのよ」


そして、もっと私を。


「たまには客としてちゃんともてなしてよ」
「…何だ、その他多勢と同等に客扱いされたいのか?」
「訂正。ちゃんと"恋人"としてもてなして」
「手厚くもてなしてやっているだろう…夜通しじっくりとな」
「あのねぇ…」





今以上に、きつく捕らえて離さないで。



いまだ、兜司馬懿には慣れません。
というかあの2の頭巾(?)がとことん似合ってたせいもあって…うーん、慣れん。