虚心
本心
真心



「はい」
「楽しいか?」
「ええ、とっても」


皇族、部下、血族にかかわらず。
許された者のみが足を踏み入れることができる"禁苑"と呼ばれるこの庭園で。
色とりどりの花々に囲まれ、青々と茂る華木の木陰で穏やかな一時を過ごすのは、
この苑の主である丞相・曹孟徳とその臣下であり配下武将である


「そういう曹操様はどうです?」
「そうよの…楽しいというよりはむしろ心地良いといったところか」


その膝に無防備にも頭を預ける曹操の髪は今はすっかり解かれている。
一方飽きる様子もなく、先程からじゃれつく猫のようにその髪を弄ぶに、
曹操としては何がそんなに楽しいのかと、純粋な興味を持って語り掛けたのだった。

別段鬱陶しい訳でもない。
むしろ言葉通り心地良いとさえ曹操は思っている。
梳き上げれば、男にしては酷く艶やかな黒髪は指の間を滑るように零れ落ちて。
さらさらと、まるでせせらぎのように綺麗に流れ落ちて。


「それは光栄」


その愛しい感覚に、はまるで機嫌の良い猫のように目を細めた。


「平和ですね…」
「そうだな」
「例え一時だとしても世が平和で、曹操様が居て。
 …"幸せ"ってこういうことを言うんでしょうね」


木漏れ日を全身に浴びて柔らかく口元を綻ばせるの表情に、曹操も眩し気に目を細めて。

零すように触れ合わせる互いの笑み。
触れ合う箇所から伝わる互いの体温。
ゆったりと流れて行く安らかな時間。

そんな穏やかそのものの世界で、曹操がその白い頬へと腕を伸ばし優しく撫でれば、
はそれこそ本物の猫のように自らの頬を擦り寄せ、目を瞑って。

曹操の髪を梳くの右手の指、の頬を撫でる曹操の左の掌。
一つの輪を描くようにも思えるその触れ様は、互いが繋がっているような錯覚すら起こして。


「…どうしてお前はこうして儂に膝枕をしてくれる?」
「は? どうしてって……それはまぁ、曹操様がここ連日の執務で、
 ほとんど寝ていらっしゃらないっていうからしっかりと惰眠を貪って貰おうと思って…」
「惰眠を貪る、か…ふふ、実にぬしらしい物言いだな」


その愛しい"繋がり"の存在を何度でも確かめたくなる。


「ならば、何ゆえにおぬしはこうして儂に付いて来る?」
「───…」


たとえ砕いてでも、更に深めたくなる。


「……?」


問えば、髪を弄ぶの手がひたりと止まる。
の指が宙で静止すれば、
重力に従いそこから逃げるようにするりと零れ落ちる曹操の髪。
存外にあっさりと途絶えるその"繋がり"。
すると代わりに、零れ落ちていった曹操の髪の後を追うように、
ひっそりと曹操へと向けられたのは、普段よりも幾分感情の気配の薄いの表情。


「…そんなに不思議ですか?」


深沈と静まった湖面の様な瞳と、浸透するかのような透明な声。


「どうであろうな…不可思議と言えば不可思議なようでもあるし、
 当然といえば当然であるような気がせぬわけでもない」


返す曹操の言葉もまた、宵闇を思わすしっとり落ち着いた声色で。
そう、いつだってその"繋がり"を確かめたいがために敢えて自ら砕いてみせる曹操に、
そんな相手の何処か不器用な感情を見通しつつも敢えて気付かぬ振りを決め込んで、
けれどやはり器用に、また見事に手繰り寄せて見せるのはであるから。


「なら『当然』ってことにしといて下さい」
「…曖昧に濁してはぐらかす気か?」
「まさか」


だからこそ今だって、動きを止めていたのとは逆の手で、
左手でもって自らの頬に添えられた大きな掌をその細い指先で包み込むと、
きゅっと握り寄せて。





「だって貴方以外の正しさや間違いが導くものになんて、
 どうせこの心は納得しないでしょうから」





そう、告げて。


「だから」


その涼やかな目元で鮮やかに微笑って。


「『貴方だから』私はこうして膝枕もするし、付き従ってもいくんですよ」


けれどその瞳の奥には揺るぎない意志をたたえて。


「今も、そしてこれからも…──こんなにも貴方が愛しいから」


その"愛しさ"という名の"繋がり"を、また見事に繋ぎ合わせてみせるのだった。










「───…そうか、そうだったのか。
 "愛しさ"と言うのだな、この感覚は…」
「何を今更」


『乱世の姦雄』、曹孟徳ともあろう人間が何をとぼけたことを、と。
そのいくらか刺を含むような物言いを、不釣合いに柔らかな声色でもって告げて、笑う。


「まぁ何はともあれ、そういうことなので安心してぐっすりと休んで下さい」
「………」
「ふふ。これまたらしくないですね、そんな目見張って…それともまだ何か?」


足りませんか?と言外に、楽し気に聞き寄越してくるに、
参ったとでも言うように曹操は苦笑しながら今度こそゆったりと瞼を閉じた。


「いや…。
 元讓の喧しい説教と血の気の多い顔にこの目を抉じ開けられてはかなわんと思ってな。
 奴が来たら、喚き散らし出す前に起こしてくれ」
「はいはい」


今や曹操の胸元へと、心臓の上へと置かれた互いの左指をやんわりと絡ませ。


「…
「何です?」
「儂もお前を愛しく思うぞ?」
「───知ってますよ、そんなことは」




穏やかな世界に二人、心満たす。



曹操様愛。
最近、自分もしかしてオジコンなんじゃないかという疑惑に苛まれています。(笑)
自分ではそんなつもりないんだけどなぁ…確かに歳上趣味ではあるけれど。

『愛してる』という単語は何とも易く薄っぺらな印象を受けるので、個人的に好きではありません。
でも、やはり『好き』以上の気持ちもある訳で。
そこで私は、『愛しい』という、男女間の恋愛感情だけでなく、
親子や兄弟姉妹、友人間でも用いられる、
とても穏やかで深い愛情というイメージのある形容詞と『愛しさ』という名詞を使う訳です。

image music:【 声 】 _ 鬼束ちひろ.