「ああ、そうだ」


ぬくい褥の上。
甘い余韻も、熱共々に引き始めた頃。


「曹操様、こういうのも今晩限りにしましょう」


まるで明朝の献立でも献案するかのように、軽やかに女は言った。


愛の振動


「…"こういう"のとは具体的にはどれを指すのだ?」
「そうですねぇ、抱いたり抱かれたり抱き返したり抱き込んだりとか、
 そんな昼夜を問わず情事睦事の全般、ですかね」
「ほう…」


実にけろりと。
本当に平然と。
曹操の隣に体をうつ伏せて横たえていたは、
首から上をしっかりと相手の方に向けてそう告げた。
対して自身の肘を枕として横たわっていた曹操はといえば、
傍目にも全く狼狽えた様子も無く、普段と変わらぬ口調で淡々と問い続ける。


「理由は何だ?」
「ぶっちゃけた話『不満だから』、そんなところです」
「不満、とな?」
「はい」


不満。
目の前の女は、現在の自分との関係に満ち足りぬものを感じているという。


「儂のものであることに不足があると、御主はそう申すのだな?」


自分の女であることに何の不満があるのか、と。
自尊心に浅い傷線を引かれた不快感から、
ではなく、どちらかと言えば好奇の気配をたたえて問い質した曹操。
その不敵に笑んだ表情は面白がっているようであったが、
けれどまた、何処か乾いた焦りにも似た薄らな雰囲気を含んでもいるようでもあって。 


「勿論、私はイイ女ですよね?
 なんたって曹操様が選んだ女なんですから」
「そうよの」
「曹操様がつまらない女なんか選ぶはずもありませんし」


一方、楽しげな笑みを引いたは、
つい数十秒前、爪を立ててやった男の自尊心を撫でるように刺激する。
そうして更に煽り付けて。


「イイ女っていうのは現状に満足しない、そうでしょう?」


相手にも負けず劣らず不敵な、猫科の笑みを浮かべた。


「今の私は所詮、曹操様にとって多くの"女"達の内の一人」
「嫉妬か?」
「いいえ。そんな生臭くて陰湿な感情じゃありませんよ。
 敢えて言うなら出世心、向上心ってとこですか。
 同じ要素と性質を有する他を優越して、その一括りから抜きん出たいっていう欲です。
 それに、身に過ぎる愛情を求めるのが女ってものでしょう?
 御覧の通りに、一応私も女なので。
 これまた例にも漏れないわけですよ」


『乱世の姦雄』という悪口とも取れる、実際に悪口なのだろう、
そんな評価を戴いている曹操には長年連れ添った妻、
定期的に入れ替える愛妾、一時の享楽を得る囲女と、
愛(め)で肌を重ねる女は両手両足の指では足りぬ程にいる。
しかし、戦場、宮中、馬車中、寝床と、
常に曹操の傍らに居ることを許された女はだけだった。


「しかし、御主が最愛ということに変わりなかろう」
「そうですね、確かに私は曹操様の女枠の中で一番かもしれません」


ぽふっ、と。
どこかあどけない仕草でもって、
絹を幾重にも重ねた敷布に横顔を埋めるとはふわりと瞼を伏せた。
両目を閉じた穏やかなその顔。

しかし。


「───それこそが気に入らないんですよ、私は」


次に開いたそこにあったのは、ひどく温度の低い黒曜石を思わすその双瞳。


「最愛であることを不満とは…──面白いことを言う」
「一番というのは、比較対象があっての一番です。
 私は他の誰かと比較されなければ貴方にとっての一番足り得ない。
 そんな相対的で流動的な位置は不満です。我慢ならない」


他があっての最愛。
他がなければ成立しえない最愛。

欲しいのはそんなものではなく。


「貴方にとって絶対唯一の存在でなければ、嫌」


他など無くして成立する、存在そのものとしての最愛。


「くく…、我侭な女よの」
「あら、我侭はイイ女の特権だと郭嘉が言ってましたけど?」


曹孟徳を前にして、何と強気な。
何と大胆なことか。
挑発、なのだろう。
敢えて他の男の名を挙げたのは。
意識的にそうしたのか、はたまた無意識の産物なのか。
曹操は凛々しい片眉をひくりと僅かに跳ね上げた。


「曹操様の中で、他の誰かと比べられてしまうのなら私はその程度の存在。
 他にいくらでも代わりの利く存在。
 私はそんなちっぽけな存在価値に満足するような行儀の良い女じゃないんですよ」
「儂の中で無比較に、存在それ自体が価値として存在できるような女でありたいと?」
「ええ」


猫科の肉食獣を思わせる気高い、笑み。
見る者の本能に訴えかけ、服従心を引き起こす艶やかなそれ。
曹操が好む、の表情の一つ。


「さもあらざれば解放、しろと?」


見る者の内臓を底冷えさせるような威圧的な、笑み。
その恐怖心に訴えかけ、握り潰し、服従心を曝け出させる覇者のそれ。
が好む、曹操の表情の一つ。


「いいえ」


向合。
拮抗。
鬩合。

そして。





「絶対唯一になれなかったから貴方を手放すと、そう言ってるんです」





動揺。

『貴方を手放す』。
今まで突き付けることはあっても突き付けられたことの無かったその言葉に、
曹操は自分を襲うそれが、"動揺"という揺らぎであることをすぐには理解できなかった。










「───なーんて」


むくり、と。
肘をついて上半身を起こしたは、
またもや場違いにも何とも軽やかな声で、冷えきった沈黙を破った。


「…む?」
「まぁ、ちょっと曹操様を困らせてみたりなんかして」


対して、現実と展開に数秒ばかりの遅れをとった曹操は、
彼の人らしからぬ間の抜けた声を反射的にも零す。
それを見ては「してやったり」とでも言うように、
にやりと人の悪い、けれど先程よりもずっと温みを帯びた笑みを浮かべた。


「儂を『困らせて』…?」
「ええ。我侭言って困らせてみようかなぁ、なんて」


呆気。
今の乱世の覇者の心境を二文字で表せば、まさにそれだった。


「ふ…っ」
「曹操様?」
「ふはははは…っ!」


かの隻眼の猛将に負けず劣らずの豪快さで噴き出した曹操に、
その予想以上の"収穫"に、今度はの方が目を見張って呆気にとられてしまう。
そしてそんな僅かな隙も見逃すはずもない奸雄は、
起こした上半身を支えていた女の二の腕を乱暴ではない所作で掴むと、
ぐっと引き寄せた。
ともすれば重心を失った細い身体は呆気無く崩れて。
ころりと転がった軽い体躯は、
文武両道たる男の腕に苦も無く背後から抱き竦められる形に収まってしまって。

触れあう素肌から直接に伝わり合う互いの鼓動。
柔らかな体温。


「よもや儂を困らせてみようなどという命知らずは御主ぐらいのものぞ?」
「あら、だって私のそういうところを気に入って下さってるんでしょう、曹操様は」


だからこうして、曹操様に笑って頂けるよう、
毎度命を張って趣向を凝らしているんですよ、と。
"笑い"は健康の秘訣ですからねー、なんて。
甘いしがらみの中で軽く上半身を捻って振り返ったは、
くすくす涼しい声を立てて笑った。
また素肌越しに伝わる、互いの笑い声とその振動。


「くく、そうであったな」
「そうですよ」


それは『愛の振動』と。
そう呼べるような代物であって。





「───やはり儂には御主だけだ」





曹操にとって絶対唯一の、好ましき"揺らぎ"だった。



10万hits企画の再録。
アンケで1番リクの多かった曹操様夢。
というかウチのヒロイン、本当に命知らずですよねー。(他人事か)

てか、これって表でもOK、ですよね…?(自信薄)