「またそうやって無駄に無理してる訳ね」
「そんなことありませんよ」


卓台の上を埋め尽くす書簡の山。
その卓上だけでは乗り切らずに床にも散らばる書簡の山。
そんな中でやはり書簡の山に埋もれて苦笑いする彼氏。

見渡す限りの書簡、書簡、書簡。
プラス陸遜。

もう、見慣れたけど。


相思幸福論


「嘘吐き」


中でも最高峰を誇る山の頂に居座るそれを手に取り、
ひらひらと手を振って"ある物"を催促する。
すると言葉にせずとも陸遜は、やはり苦く笑って自分の使っていた筆を与えてくれた。


「嘘吐きだなんてあんまりですね」
「私が納得するだけの尤もな言い分でもあるなら聞くけど?」
「…いいえ」


その目元が薄ら黒ずんでるのにも気付かぬ振りを決め込み、
周瑜様の馬鹿と内心こっそり悪態を吐く。
尊敬する師に向かって、心中とはいえ悪態を吐くのにもそれなりの理由があって。
その理由といえば、こうして目の前に連なる書簡の山達は皆陸遜の管轄のものではなく、
全ては今頃中庭で大喬とイチャついている誰かさんのおサボリの賜物だったりするから。
そして、そこでは愛妻家である自分の師も、
親友と可愛らしい奥様に付き合い、ちゃっかりお茶を楽しんでいたりして。

要するに、陸遜と二人で過ごせる時間を減らされたことに対する、
お門違いと言えばお門違いな八つ当たりなのだけど。


「すみません」
「謝るぐらいだったら手動かす」
「…はい」


そしてそんな仕事を判っていて毎度無条件に受け取ってしまったりする陸遜にも、
八つの内の一つ分ぐらいは当っておいた。


「………。」
「………。」


色気も何も無い会話を最後に、二人黙々と仕事を片付けていく。
あれだけ山を連ねていた書簡も軍師二人掛かりとなれば着々とその標高を下げていって。
ようやく遮る物もなく、すっきりと見渡せるようになった陸遜の部屋。
顔を挙げれば見える、真剣そのもので酷く冴えた陸遜の顔。

ああ、綺麗。


「………怒っています、よね」


その冴え具合にふと、溜め息と共に翳りが射す。
筆を持つ手の動きを僅かに緩め、けれど書簡からは視線を離さず、
陸遜はしんみりとそんなことをぽつりと零した。


「そう見える?」


我ながら可愛気が無い。


「また、約束を違えてしまいましたから」
「そうね。これで4度目」
「……本当にすみません」


ついにはひたりと、その筆先を止めてしまった陸遜の手。
視線を書簡に落としているというよりはむしろ俯いているといった感じのその角度。
そしてそれはきっとその通りで。
本当に申し分けなくて顔が挙げられないのだろうと思うと、
その一連の、自分と同年代相応の反応がやはり、
普段が普段である分、酷く可愛いらしく感じられてしまって。


「怒ってないわよ」


だからこそ苦く、笑う。


「本当ですか?」
「まぁね…約束がダメになったことに関しては怒ってない」


そんな自分の含みをもった言い回しに、
予想通りとはいえ訝し気になんて綺麗にその眉根を寄せるから、
今度は思わず声に出して笑ってしまった。
更に困った風に眉間の皺を深める陸遜。
自分にだけ見せてくれる、踵を地に付けたその姿。
背伸びのない、等身大の彼。

好きよ、中でもそういう所は特に。


「…?」
「手。止まってる」
「! あ、はい」


くすくすと声を立てて笑えば陸遜は、ようやく不満気にほんの少しだが口元を尖らせた。


「私が怒ってる…まぁ、今となっては怒ってただけど。それはね…」


先程の続きを紡がんと私はまたゆったりと口を開く。
ついでに、紡ぐに見やればまた止まってる陸遜の手元をからかうように指摘すれば、
今度はむっとした表情で陸遜は潔く筆自体を硯に置いてしまった。

ああ、これはちょっと遊び過ぎたかな。


「それは?」
「あら、突然強気」
「茶化さないで下さい」


そんな顔も意外と好きなのよね、と。
内心、またノロケてみたりして。

まぁ、絶対に外には出さないけれど。


「私が怒ってたのは、さっき言った通り『陸遜が"無駄"に無理してる』こと」


出さないけれどその分、今度は私も筆を持つ手を止めて。
視界の中心にしっかりと陸遜を収めて言葉を紡ぐ。


「無理をすること自体は別に悪いことじゃない。
 時に無理が必要なこともあるし、それが陸遜の性分だってことも重々承知してるから。
 でもね、陸遜がそうやって無理をすることで不安になる人間が傍にい居ること…」


そう、陸遜が無理をする度に、無理をしているとそう感じる度に。
この胸はとにかく不安定な感情に苛まれて。
けれどもそこから陸遜をどうにか引き上げようと腕を伸ばしても、
笑うばかりで滅多なことではその手を掴んでくれない陸遜に、
自分は陸遜にとって一体何なんだろうと、酷く歯痒さを、無力感を感じて。

自分一人がこんなにも不安になる。


「私が傍に居ること…、それだけはちゃんと覚えておいて」
「───…はい」
「よろしい」


言い終えれば、まるで頷く代わりとでもいうように向けられた、 真っ直ぐな視線と返事がどうしたって嬉しくて。
こちらから素直に笑ってみせる。
つられて陸遜も笑う。
ああ、もう本当に。
それがどこであっても陸遜と居るだけで、私はこんなにも幸せになれる。


「でもね、
「何?」
「本当に"無駄"なんかじゃないんですよ」
「無駄って…ああ、私が『無駄に無理してる』って言ったこと?」
「ええ」


その声に、その言葉に、その存在に。
私はどうしたってこんなにも満たされてしまう。
なのに。


「恋人と一緒にいられる時間を稼ぐためですからね。
 必死ですよ。
 こなした分だけ長く過ごせる訳ですから」


なんて、更に幸せの深みに嵌めるように微笑うから私は。


「どうして陸遜はいつもそう…ああ、もう」


既にこんなにも満たされてしまっている私には、
これ以上の無様な抵抗を見せる気など起こるはずもなく。


?」


しっかりと確信犯の笑み。
もしかせずともこれだってきっと陸遜の布石の一石で。
ああ、やはり目の前で楽しそうに笑うこの若干17歳の歳若い呉の天才軍師は、
布石に気付いて尚、私が避けないだろうことなど初から承知の上なのだ。


「…陸遜って、今までもずっとそんな感じだったわけ?」
「『そんな感じ』とは?」
「今までもそうやって彼女に面と向かってそんな恥ずかしいこと言ってたのかってこと」


そんな陸遜も自分のそんな台詞に一瞬だけ素できょとんとした顔を見せて。
けれどふと、その利き手で笑みを隠すように口元を覆うと、ふむと一呼吸置いてから口を開く。


「……いいえ?」
「どうだか」
「酷いですね」
「だったら何よ、今の間は?」


困ったな、なんて。
全然困ったような顔なんてしてないくせに。
むしろ楽し気な、まさに「良い策が思い付きました」とばかりの顔をしてるくせに。


「貴女相手に嘘なんて吐きませんよ」


その台詞自体がハイ嘘、なんて。
そんなお決まりな反論など先手で封じる程に、陸遜は自分に対して酷く誠実で。





「───だって僕にとっては、が初めての『恋人』という特別な存在だから」





だから。
このわざと敬語を省いた、狙って一人称『僕』な台詞だって疑う余地も無い真実で。





「………でも天然じゃないんでしょ、ソレ?」
「おや、ばれてましたか」
「元より隠す気もないくせに…」
「隠してもきっと貴女はすぐに見抜いてしまうでしょうから」


でも、それでも。
やはり軍師たる者、そこはかとなく黒さを持ち合わせていてこそ。
そういう開き直りな所とかも好き、と。
最後にもう一度だけ、と心中ノロケて。


「それを言うなら『私に見抜かれたいから』、…違う?」
「──…参ったな。
 本当に貴女は私の扱いが上手過ぎる」
「お褒めに預かり至極光栄。それじゃ、さっさと仕事終わらせましょ」
「まったく…。には適わないよ、本当に」


私も陸遜にだけ見せる特別な表情で。


「陸遜」
「はい?」
「好きよ」
「───っ!」
「陸遜、顔真っ赤」





微笑って、これからも更なる深みへと落としてあげる。



『続くシアワセ』とさり気なくリンクしてたりなこのSS。

陸遜の「参ったな…」(死に台詞じゃん…)の台詞が好きで好きで仕方が無い私。
声が…! 声が(曹操様の次に)好みなんだよ、陸遜…!

しかし口説き(つーか殺し)文句の時だけ狙って敬語を外したり一人称『僕』だったり、
かと思えば不意打ちの告白にあっさり真っ赤になってしまうウチの陸遜は、
黒なんだか白なんだか…とりあえず、基本的には(私の趣味で)白のはずなんですけど。