巧みな束縛


「貴女が欲しい」
「………予想通りというか何と言うか」


関心したかのように、はたまた半ば呆れたかのように。
一度軽く見開いた後にまたゆったりとその目を細め、
溜め息混じりにもそんな感想を述べた彼女。
自分と同じく呉軍師、そして呉将でもある
唯一、この心に住うことを許した彼女。


「案外、古典的な言い回しが好きよね…」
「それは遠回しに古臭いと言ってるのですか…?」


作り上げた真顔も水の泡に、思わず文字通りにがくりと肩が落ちてまった。


「存外、僕としては本気なんですけどね…」


今こうして会話しているのは宮中の中庭で、
その中では幾分死角となっている涼やかな木陰の下。
仕事が一段落したところに自分の執務室へと顔を出した彼女の、
『一緒に木漏れ日浴しない?』との誘いに乗り、二人揃ってやって来ては腰を下ろし、
仕事以外の他愛も無い会話や近況報告で午後の穏やかな一時を共に過ごしていた。
いつもと変わらないと言えば別段代わり映えの無い午後だったのだが、
それがまたどうしてこんな展開になったかと言えばそれは。


『陸遜はもし生まれた日を個別に祝って貰えるとしたら、何が欲しかった?』


という彼女の一言が原因だった。

一連の会話の冒頭は『そう言えば陸遜って誕生日いつ?』から始まる。
彼女の元いた所では、正月を越すとともに皆一斉に一つ歳を取るこちらとは違い、
生まれた日を、"誕生日"という特別な日として個別に祝う慣習があるのだそうだ。
そして彼女の過去形の口振りからも判るように、
尋ねられた自分の"誕生日"なるものはとうに過ぎ去っていたものだから。
だからこそ、自分が生まれた日がこの日であると教えると、
彼女はそんな事を聞き寄越してきたのだった。

だから『貴女が欲しい』と、そう、答えた。


「本気で言ってるんなら尚更タチが悪いわよ」
「どうして」
「"付ける薬が無い"から」
「それはまた…手厳しいですね」


ちょうど自分の"誕生日"の頃に、僕と彼女は出会った。
勿論、その時から彼女に惹かれるものがなかったと言えば嘘になるが、
僕らはまだ、わざわざこうして"誕生日"についての会話を交わすような間柄ではなく。
いわゆる『同僚』という、この孫呉に尽くす『家臣の一人』という認識でしかなかったから。

それに、たとえそうした仲でなくとも、
自ら自分の"誕生日"を口にするというのもどうだろう。
彼女の言葉から整理するに、
"誕生日"とは友人や家族に言葉や贈り物でもって祝って貰うものらしく。
ならばこちらの常識に乗っ取って考えても、誕生日の予告や宣言というものは、
まるで祝いの品をせがんでいるようで、やはりあつかましいことの様に思うのだが。
いや、甘寧殿がこの話を聞いたら真っ先に挙手して祝いをねだりそうだ。


(これは単なる嫉妬か…)


無意識にも彼女と殊更親しい同性の名を挙げている自分の内心に、思わず苦笑する。
しかも、だんだんとずれてきた思考の方向がどうにも表情にまで出ていたらしい。
怪訝そうな顔をする彼女に、にこりと笑顔を見せることで何とか軌道修正してみせた。


「何、また如何わしい事でも考えてたわけ?」
「酷いな…、私はそんなにも信用がありませんか?」
「さぁ? まぁ何てったって呉の若き天才軍師様だし?」


下手に油断ができないだけよ、と軽く肩を竦める彼女。
その肩口から真っ直ぐな漆黒の髪がさらさらと流れ落ちる。
綺麗だと、素直にそう思った。


「年に一度きりの自分だけの祭日なんだから、もっと有益なものを望んだらどう?」
「だからこそ『貴女』という返答を返したつもりなんですけどね?」
「………私がそれほどまでに有益なものとは、光栄ね」
「私にとっては、実に」


鼻で小さく溜め息を吐くと、彼女は手近な牡丹へと視線を反らす。
相変わらず涼やかな表情をほとんど崩すことはないが、
声だけは確実に呆れ具合を増していて。
けれどこめかみの辺りから耳の後ろへと髪を掻き揚げるその仕草に、
彼女が照れている時に見せる事の多いその特有の仕草に、
またどうしたって乗じてしまいたくなって。


「……駄目、ですか?」


切ない気持ち半分、期待じみた気持ち半分。
もう一度お伺いを立ててみる。
すると。


「じゃあ聞くけれど、一体どんな風に『私が欲しい』の?」


まるで待ち構えていたかの様に。
先程とは打って変わった、試すような、からかうようなそんな色合いをたたえた黒曜の双瞳。


「もう今更強いて陸遜に献上できるような部分は無いと思うんだけど?」


狙ったかのような猫科の、笑み。


「───…参ったな、酷い殺し文句だ」
「お褒めに預かり恐悦至極」


そう言うと、その艶やかな表情はふわりと穏やかなそれへと雰囲気を変える。
くすくすと笑う涼やかなそれはとても心地良く鼓膜を震わせて。
またそんな彼女の一挙一動に素直に反応するこの身体と心を、
どうしようもなく大切と思えてしまう自分が居て。

とにかく本当に幸せで。


「ということで、何が欲しい?」
「『欲しい』って…過去形から現在形になりましたね?」
「まぁ来年の指針に、ね」


だから。
『ずっと』やら『永遠に』なんて、そんな酷く現実味の伴わない未来なんて望まないから。
けれどやはり、二人で居る時間が限りなく『永遠』に近いものとなるように。
願わくは、今以上にも、それ以上にも傍に居たいとこの心は願うから。





「…なら、貴女が望むもので、私に差し出せるものなら何でも捧げてみせます。
 ですからどうか。
 次の私の"誕生日"までの許す限りの貴女の時間の全てを、この私に下さい」





ただ貴女と、共に。
それだけが今の自分に思い付く願いの全て。





「もしかして…いやもしかしなくとも、来年の誕生日にも今と同じ事を言うつもりでしょ」
「はは、早速ばれてしまいましたか」
「爽やかに開き直ってんじゃないわよ…もう」


そうして一つ、見せつけんばかりに赤ら様な溜め息を吐いた彼女だったけれど。
何処か楽し気な苦笑を零すと、その整った綺麗な顔をふわりと近付けてきて。
呼吸さえ感触を持つ程に近い距離で微笑って。


「いいわ。そういうすぐに応用の利くところも好きだし」
「お褒めに預かり至極光栄」
「その代わり、二人で居る時の敬語は禁止ね?」
「! …判った、よ」
「よろしい」





二人、微笑って。
笑みを浮かべたままにゆったりと目を閉じた彼女に、
重ねるよう、静かにその距離を縮めた。



オチを書き直すこと5回。
またもや難産なんだか安産なんだか判らない一品となりました(笑)
そしてやはり陸遜の「参ったな…」の台詞に弱い私。