別段、存在するとも思っていませんが運命というものを創造したという神様。
今日という日を与えたもうたことに、これ程感謝したことはありません。


掌の愛情
零れ落ちる感情


「───我が生涯に、悔い無し…!」


時は午後のうららかな昼下がり。
場所は中庭、大きくはないが小さくもない木陰の下。
そんな呉の宮中内で思わず馬超の台詞をパクってしまうのにも訳がある。


「……ふにゃ…周瑜さまぁ」
「ぅん…」


膝の上には時折笑顔になって可愛らしい(というかノロケた)寝言を零す小喬。
右肩には穏やかに寝息を立てる大喬。
両手に華ならぬ、両脇に江東の華だ。


「ああ、主よ。このまま逝ってしまっても本望です…!」


恥ずかし気もなく、拳を握り締めつつそんな信仰の欠片も無い事を口走る自分。
周りに誰がいるでもない。
我に返って、まぁいいかと、再び読書(といっても書簡と兵法書だけど)に励むことにした。


「………平和、よね」


まったくもって読書には持って来いの環境だと思う。
時間も時間なだけあって、午後の穏やかな陽射しは包み込むように柔らかく、
静かな中庭には、そよ風に撫でられ触れあう葉々の涼やかなざわめきに満ちていた。

風が吹き抜ける。
気持ち良い。


「……ん…」
「大喬?」


爽やかな風をもっと肌で感じたくて僅かに身じろいだのがいけなかったのか、
大喬が小さく声を零す。


「孫策、様…良かった……間に、合って…」
「大喬…」


けれど自分の懸念を余所に、
小さく、途切れ途切れに言葉を零すとまた規則正しい浅い呼吸を繰り返し始めた。

大喬の寝言についこの間までの大きな戦を思い出す。
『御家のため』、『周瑜様のため』と、共に愛する夫のために戦場へと出陣した大喬と小喬。
時代が時代なら刀刃に皮膚を裂かれる痛みなど知らずに過ごせただろうし、
今だって選べばそれも可能だろうに。
それでも夫と共に戦場へ立つことを選んだ二人。

歳相応のあどけない寝顔が、ぐっと胸を締め付けた。


「おーい、大喬ー! どーこだぁ?」


遠くから孫策様の声が聞こえる。

その口振りから大喬を探しに来たらしいことは判る。
が、さてどうしたものか。
なるべくなら二人を起こしたくはない。
けれどこのまま孫策様を放っておけば、
段々近くなってきているその大声で目を覚ましてしまうだろうし、
だからといって、「二人が寝てるから大声を出さないで下さい」とこちらから声を上げても、
もしくは声を出さずに手を振るなりの行動でもって呼びかけてもその僅かな振動で、
結局は二人を(いや、小喬は起きないかもしれないけど…)起こしてしまうだろう。
そうすると消去法でいけば、
このまま黙って孫策様が気付いてくれることを待つのが最良となる。
随分と望み薄な最良だけれど。


「お?」


…望み薄な最良も、案外捨てたものでもないらしい。

こちらの様子に気付いたらしい孫策様に、さっと人さし指を自分の唇に宛てがって見せる。
するとその意図するところをしっかりと理解してくれたらしい相手は、
羨ましいかろうこの両手に華状態を見てふわりと眩し気に目を細めて。
気を使うようにして静かにこちらへとやってきた。
そして幾分潜めた声でもって「悪りィ」と一つ謝られる。

この人のこういう人を惹き付けてやまない気さくさが好きだ。


「…やっぱ大分疲れてたみたいだな」
「ええ…」
「なぁ、悪りィけどもう少しだけこのまま寝かせといてやってくんねぇか?」
「勿論。二人が自然に目を覚ますまでこうしているつもりでしたから。
 それに…こんな美味しい状況、そうそうありませんしね?」
「ははは、お前らしいな」


ひそひそと交わす会話も、二人にとっては木々のざわめきに等しいのか、
姉妹が目を覚ます気配は無い。


「しかしまぁ…成る程、な」
「…?」
「いやさっきな、向こうの廊下で陸遜に会ってよ」
「はぁ…」


突然、孫策様の口から出たのは『成る程』と『陸遜』という、
自分の中ではいまいち上手く繋がらない単語。
特に後者は非常に自分の胸を騒がせる言葉だ。


「それで大喬が此処にいることを知ったわけなんだが…」


そういえば先程の孫策様のそれは、
最初から大喬が此処にいる事を知っていたような口振りだったことを思い出す。
ということは今以前にこの近くを陸遜が通り掛かったということになる。
全然気付かなかった。


「あいつ、苦笑しててな」
「苦笑? どうして?」


今度は『苦笑』という、またもや上手く繋げられない単語の登場に、
本気で訳が判らなくなる。
だからこそ素直にそう問えば孫策様は、今度は楽し気に口の端を上げて。
いたずらっ子のような瞳で笑って。


「そんなの簡単だろ」
「判らないからこうして聞いてるんですけど」


そりゃそうだ、と。
声に出さずに表情だけで可笑しそうに笑いながら、孫策様はその視線を隣の大喬へと向けた。
すると幾分の邪気を含んでいた子供の瞳はすうっと遠退いて。
普段周囲に見せるのとはまた違う、ずっと柔らかで穏やかなそれへと色味を変える。

そうしてそのまま大喬に落とすように一つふわりと笑うと、
こちらへとゆったり視線を戻して。
何故か苦く笑って。





「大喬と小喬にお前を独占されて…、
 女相手にまで嫉妬しちまうどうしようもない自分に苦笑したんだろうぜ」





その大きな掌で優しく大喬の髪を撫でた。


「……そんなもんですか?」
「そんなもんだろ。男ってのは」


問えば今度は自分が頭を撫でられる番。
しかもその温かく乾いた大きな手が動きを止めたかと思うと。


「実際、俺も今、少しばかり嫉妬してるしな。お前に」


なんて。
大喬が聞いたら赤面して涙ぐんでしまいそうな、
そんなノロケまがいの告白を残して、孫策様は去って行った。


「…そんなもんなのかしら」





大喬と小喬が目を覚ましたら。
真っ先に陸遜の執務室へ向かおうと、そう、思った。



パッと浮かぶんですよねぇ、こういうネタは。
そしてお判り方もいるでしょう…そうです、前半部分が書きたかっただけです。(笑)
両手に華と孫策v大喬。相方・璃宇から素敵イラストを貰ってしまったので。むふふ。
そうです、陸遜はむしろオプションで(笑)