被独占欲


「綺麗な『風の色』ね」


遠駆けにやって来た、彼女お気に入りだという小さな丘の上。
真っ青な空、浮かぶ白い雲、輝く草の海を目の前に彼女はそう笑った。


「『風の色』?」
「そう風の色」


自分の鸚鵡返しが、言外にもその意味するところを尋ねていると判っていて、
しかし敢えて素知らぬふりを決め込むことにしたらしい。
更なる鸚鵡返し。
その口元に浮かぶ笑みは、何か面白い事を期待している時のそれだ。
自分なりの解釈を披露してみせて、そんなところだろう。
彼女はこういった決まった答えの無い問答を好む。
さもあれば。
期待には答えたいと思う。
自分の持ち合わせをかき集めて、必死に思考を巡らせる。
『風の色』。
まず風に色はあるか?
否。
元より目に見えるものではない。
ともすれば『風の色』というのは何かの比喩だろうか。
風、それもその色として喩えられるようなもの。
『空』はどうか。
否、それだったらわざわざ『風の色』などと回り諄く表現しないだろう。
他に考えられるものは。
風、色、目に見えない、透明、光…───


「───…くそん」
「……え?」
「陸遜」
「あ、はい…!」


気付けば間近にある彼女の整った顔。
その鼻先までの距離に、思わず怯んで僅かに半歩後ずさる。
一連のそれに彼女は鼻で溜め息をついた。
ああ、期待を裏切ってしまった。
思えば彼女は、「何でもまず消極的に捉えるのは陸遜の長所であり悪い癖よね」と、
にこりと笑うなり問答無用にも自分の手を取って繋いでしまった。

どくりと鳴った胸の音が、どうか掌越しになど伝わらぬよう。


「また難しく考えてるでしょ」
「…はい」
「理詰めもいいけど、たまには直感的な陸遜も見せて欲しいわ」


くいっと引かれた手。
引かれるままにも歩みを進める。
青い空の下、草の海に、二人。
まるで世界に自分と彼女の二人きりにでもなったような錯覚に陥る。

こんな近い距離は、初めてだった。


「私が『風の色』って言ったのはね、
 雲の動きや草のなびきなんかで知れる『風の動き』やその『趣』のことよ」


一歩前を歩く彼女は、半身振り返って穏やかに微笑う。


「例えば…そうね、こういう晴れ上がった日って気分いいわよね」
「そうですね」
「晴れてる日は暖かくて、だからこそこんな風に吹き抜ける風が心地良く感じられる。
 晴れてる日はそこら中に光に溢れてて…ほら、
 ああして風に草がなびけば葉の照り返しがきらきらと輝いて、
 風の動きが感じられるでしょう?」
「…ああ、成る程」


『風の色』。
風の動きとその趣。
つまりはこういうことか。
目の前の草は緑色だが、風に吹かれることで黄緑にも深緑にもその色を変える。
それを『風の色』と、彼女は表現したのだ。
判りやすく具体的に一つ一つ噛み砕いて説明してくれたおかげでようやく理解できた。
彼女と同じ感覚を共有できた。
ただ嬉しくて「ありがとうございます」とお礼を述べれば、
「何で私はお礼を言われるの?」と彼女には可笑し気に声を立てて笑われた。


「貴女はやはり不思議な人だ」
「良く言われる」


『風の色』を理解した今ようやく一歩の距離を踏み込んで、二人肩を並べて歩く。
そしてふと、どうして自分は彼女と手を繋いでなんているのだろうと、
本当に今更にながら思った。
直接の理由は彼女がこの手を取ったからなのだが。
自分と彼女の間に、齢の近い同僚以外の別段の関係があるかと言えば答えは否。
気取られぬようにそっとその横顔を伺うが、
吹き抜ける風を感じて心地良さそうに目を細めたその表情からは何も探り取れず。
さてどうしたものかと思案し始めようとしたまさにその瞬間、
「あ、勝手に手を繋いじゃったけど気に障った?」と彼女は風に髪をなびかせ振り向いた。
漆黒の髪が太陽の光を浴びて、穏やかに輝く。
ふっと香った、ひだまりのにおい。

───ああ、これが『風の色』か。


「陸遜?」


繋いだ手を今よりも少しだけ強く握り返す。


「貴女は不思議な人です」
「? そうみたいね」
「不思議で、どこまでも自由で。
 まるでこの草の海を吹き抜ける風のような人だ」


けれどこんな熱を生むばかりの掌ではきっと、彼女を繋ぎ止めることはできないのだろう。


「私にはそんな貴女を捕らえることはできないだろうし、したいとも思いませんが…」


それでもこの胸は焦がれてしまう。
貴女を想うこの感情はとめどなく溢れてはとどまることを知らない。

そう、それはまるで吹き抜ける風に際限が無いように。


「だから」


だからこそ。





「───どうか私をのものにして下さい」





僕は、貴女の色を誰よりも近い距離で映すものになりたい。





「…これはまた突然の告白ね」


「参ったわね…」と。
溜め息を一つ、彼女は風になびき乱れる髪を掻き揚げる。


「しかも、よもやこんな形でくるとは…」


『こんな形』。
それは要するに、今こうして片膝を付いて跪き、
繋いでいた彼女の手の甲へと口付けたことで。
返事は?、と。
言外にも込めてじっと見上げれば、僅かに考え込むような視線を落とされた。


「…ねぇ、知ってる?
 手の甲への口付けは"尊敬"の証なのよ」


額への口付けは"友情"の証。
頬への口付けは"厚情"の証。
瞼への口付けは"憧憬"の証。

繋いだ手を引かれ、促されるままにも立ち上がる。
そうして彼女の真正面へと立てば、この背を押すかのように一際強い風が吹き抜けて。





「───そして、唇への口付けは愛情の証」





唇に柔らかな温度が触れたと思った次の瞬間、
目の前には彼女の少しだけ照れたような穏やかな笑みがあった。



下僕宣言?(笑)
キスの話はグリル・パルツァーの有名なアレです。

これは40万hitsのキリリクを下さった鈴澪サンへ。
『陸遜夢』とのリクでしたので、『凌統夢しか書けない病』を患いながらも、
「凌統はあっち行ってて!」と頑張って書き上げました(笑)
本当にお待たせしてしまってすみませんでした。
そしてこんな拙い文章ですが、少しでも楽しんで貰えれば嬉しい限りです!