酒は飲んで
味わうもの


「おーい甘寧、碁に付き合、え…」
「あら凌統。いらっしゃい」


夜も更けた頃、碁盤持参で訪れた甘寧の部屋では、
杯片手ににっこりと笑うに出迎えられた。


「………何でお前がこんな所に居るんだよ」
「こんな所とは失礼ね。
 れっきとした甘寧の執務室よ、此処は」
「俺の聞き方が悪かったのかね。
 夜遅くに、俺以外の男の部屋に居座ってるってのは、
 あまつさえ笑顔で客を出迎えるとは一体全体どういう了見かって聞いてんだよ」


文官服でも武官服でもない。
まったくの普段着。
女が普段着で男の部屋に居ること、それが何を意味するか判っているんだろうか。
判っているんだろう。
判っていて、「私も相手も気にしないから問題無し」とし此処に居るのだ。
甘寧の部屋に。
こんな夜遅くに。
あわよくば俺を焚き付けんとこうして。


「見れば一目瞭然でしょ?」


言って、赤い杯を持った手でもっては周囲を示してみせた。
の周りに転がる、酒瓶、酒瓶、酒瓶。
床を埋め尽くす空の酒瓶の骸。
よくよく見れば、の右斜め前には酒樽すら鎮座している。
勿論中に液体は入っていない。
正直、俺はこんな酒瓶密度の高い部屋を今この瞬間まで目にしたことがない。


「二人きりで楽しく酒盛りってか?」
「別に飲み比べをしたわけでもないし、そんな盛る程飲んでないわよ」
「………これだけの酒瓶床に転がしてよくもまぁぬけぬけと」


『酒を浴びるように飲む』という表現があるが、
この部屋に転がる酒瓶の数からして、
その酒の量は明らかに『浴びでもしなければ飲み切れない』量だろう。
いや、そんなことはどうでもいい。
問題はそこじゃない。


「で、不義の甘寧はどこだよ」
「あはは、不義?」
「不義だろうよ。
 ダチの女と密会してるんだ」
「飲み会って言って。
 甘寧ならそこに居るじゃない」
「は?」


薄暗い部屋の中、目を凝らす。
のしなやかに人さし指の指し示す一点に、
先程の酒樽の影に、確かに見知った赤が転がっていた。
まさか、と思う。
よもや、と確認する。


「………甘寧を酔い潰したのかよ、お前…」


そう、それは。
呉では黄蓋殿と並んで専ら酒豪ともてはやされる甘寧の、
ベロベロになった酒漬けの肢体だった。


「失礼ね。甘寧が私をさし置いて勝手に酔い潰れたのよ」


甘寧がザルなら、私は泥だからね。
くすくすと笑いながらは杯になみなみと酒を注いで静かに口を付けた。
すうっと飲み干されていく透明な液体。
優雅ではあるが、確かにいい飲みっぷりだ。
普段、宴では付き合い程度にしか酒を口にしない
ハメを外している姿どころかほんのりとですら酔ってる姿も、
今まで一度だって見たことがなかったという事実に今更ながらにもようやく気付く。
何せ宴が終わってみれば、毎度呂蒙と一緒に白面で介抱要員に回っているのだ。
よもやそれがこんな隠れ上戸だったとは。


「残念ね。甘寧と碁で遊べなくて」
「それより大丈夫なのか、こいつ…?」
「平気でしょ。いつものことだもの」


甘寧は知っていて自分は知らなかったのか。
気付けば噎せ返る酒の匂いのせいとは別に、胸の内が不快さを訴えていた。


「…
「何?」


小脇に抱えた碁盤を甘寧の寝台へとぞんざいに放る。
そしていまだに静かに杯を呷るの傍らへと片膝を付いた。
不思議そうに見上げてくる表情。
その普段と変わらぬ白い肌からは酔った気配など微塵も感じられない。
しかし酒の匂いは容赦無くこちらの嗅覚を刺激して。


「凌統?」


その顎に指をかけて。
そっと上向かせて。
親指で酒に潤ったその唇を薄く開かせる。


「ん…───」


唇を重ねたと同時に舌を差し入れれば、どギツイ酒の味に不覚にも目眩を覚えた。


「ぅ、ん…」
「……お前、どんだけ飲んだらここまで口ん中が酒の味になるんだよ…」


抵抗するでもなく、酒同様、静かに口付けを受け入れた
鼻にかかった甘い声に思わず気を良くして、
ゆったりと舌で口内を舐め上げ、酒の残り香を味わう。

…否、残り香どころの話じゃない。
しっかりと酒の味を味わえたっつの。


「没収」
「あ」
「ほら、帰るぞ」
「ちょ…っ」


杯を取り上げて甘寧の腹の上へと放り投げるなり、
問答無用にもを横抱きに抱え上げる。
抗議、というよりはむしろ驚きにが小さく声を上げた。
「まさかこのまま部屋まで運ぶ気?」と訝しげに見上げてくる白面顔。
そこから発されるキツイ酒のにおいに顔を顰めつつ、「聞く耳もたないね」と部屋を出た。
見回りの兵士から向けられる好奇の視線に、
は大仰にも額に掌を当てて盛大な溜め息を吐く。
ああクソ、酒の香りだけで酔えそうだ。


「横暴」
「何とでも」
「孫権様から下賜されたあのお酒、美味しかったのに…」
「お前、よくあれで喉焼けないな…」
「鍛えてますから」
「誰と」
「やだ、ヤキモチ?」
「いーや」
「?」


自慢じゃないが、俺は決して酒に弱くない。
むしろ上戸か下戸かとすれば、上戸の方に分類されるだろう。

しかし。





「───さぁて、俺もこのまましっかりとお前で鍛させて貰うとしますかね」





美味い酒に上手い女。
美酒漬けの恋人とくれば、さしもの俺も十二分に酔いが回らぬ訳も無かった。



ちなみに私は"泥"。
いくら飲んでも二日酔いとは無縁な体質です。
おかげで毎度毎度、甲斐甲斐しくも酔っ払いどもの世話係ですが。