所有表明


「あ、オイ! お前ッ、それ俺が最後に取って置いた桃まんだぞ!?」


時は昼、一般兵も武将も集う兵舎の食堂の一角にて。
小さな桃色の点心を口に運んだ女に向かってびしッと人さし指を突き付けたのは、
全体的に色素の薄い男。
怒り心頭といった具合のその男は腰を下ろしていた椅子から勢いよく立ち上がると、
大声でそんな器の小さいことを喚いたのだった。


「あのね馬超…仮にも蜀の五虎将軍の一人が桃まん一つでそんな大声出さないでよ」


一方、隣に座る女はといえばたいして動じた様子もなく。
呆れたような視線を男に送って、肩で溜め息を吐いた。


「そんなに食べたかったんなら先に一言いっておいてくれれば良かったのに」
「………それはつまり、俺の落ち度だとでも言いたいのか?」
「そこまでは言ってないけど。
 とりあえず目立ってしょうがないから座ってくれない?」


言われてしぶしぶと、がたんっとやや乱暴な所作で椅子を引き寄せ腰を下ろした男、馬超。
卓に頬杖をついたその表情はまさに不満そのもので、見事に拗ねた子供のそれだった。
そんなに桃まん好きだったとは意外だわ、と女、は半ば関心したかのように言った。


「どうしてくれるんだよ」
「どうするも何も…どうして欲しいのよ?」
「どうにかしろよ」
「どうにもならないわよ。
 それとも飲み込んだ分を吐き出せっていうの?」
「………」


何とも突破口の無い、不毛な会話。
馬超の不機嫌度は更に悪化の一途を辿り、今や殺気に近い気配をたたえている。
その程度といえば、
周囲に座っていたの兵士達が食事も途中というのにソロソロと席を立つ程だ。

けれど相変わらず、嫌味なぐらいに至って冷静なのが、
この女の人物特性であったりするものだから。


「そこまで言うなら、次からは自分が食べる予定のものには、
 きちんと自分の名前でも書いてあらかじめ自己主張しといたらどう?」


周囲の兵士にすれば、また煽るようなことを…!と、
思わず咎めたくなるような台詞をさらりと吐いて、2口目の桃まんに齧じり付く。
しかも「うん、やっぱり美味しい」とまで付け加える始末。
馬超の周りの空気がずんっと重苦しさを増した。


「食い物にどう名前を書けと…!?」
「ああ、そういえばそうね」
「〜〜〜ッ!!」
「軽い冗談じゃない」


しかし、かと思えば「怒りっぽい男はモテないわよ?」なんて。
茶化すその表情は先程の、馬超曰くのスカした表情からがらりと一変して、
年相応のそれではからからと笑った。
どうやら馬超をからかって遊んでいただけらしい。
そのあまりに器用な変わりように、そして相手の意図をしっかりと悟ると、
さすがの馬超もすっかり毒気を抜かれたらしく、お前なぁと脱力して肩を落とした。

穏やかに笑うに、その笑顔を見て満更でもなさそうに苦笑する馬超。
何だかんだいって、いつもの二人だった。


「───居た、殿」
「ん? 馬岱か」
「これは従兄上」


そこへ姿を現したのは、馬超よりいくつか歳若い青年。
馬超の従兄弟に当たる馬岱だ。
目当ての人物であるらしいを見つけて彼は、
とても丁寧な所作でもって二人の方へと足早に近付いて来た。
それを見て、何とは無くが「らしいわね」と小声で囁くと、
「あれにもう少し応用が利くと"引く手"も付くんだろうがな」と馬超は苦く笑った。


「食事中に申し訳ありませんが、諸葛亮殿の御用事ですので殿をお借りしますね?」
「ああ」
「…あのね、馬岱。
 別にいちいち馬超にことわる必要はないんじゃないの?
 というか私の意志と自主性は何処に?」
「はは、すみません、つい。どうか御容赦を」
「『つい』って何よ、『つい』って…」


では参りましょうか、と差し伸べられた手を取り腰を上げる
けれどふと何かを思い付いたらしく、
馬岱のその掌に指先を乗せたまま馬超の方へくるり振り返って。


「そうそう、馬超」
「何だ?」
「さっきの桃まんのお詫びに、今度一緒に城下に行く時にでも好きなだけ昼奢ってあげるわ」


次の約束を取り付ける。
けれどそんな嬉しいはずのお誘い台詞に、ふと利き手を口元へと添え、
どうしてか考え込むような素振りを見せた馬超。
その予想とは微妙にずれた反応に、と馬岱は不思議そうに顔を見合わせた。


「馬超?」
「───…それなら」


馬超の口の端が、にやりと上がる。


「喰われてからじゃ遅過ぎるからな」
「は? 何言って…───って、ちょ、馬ちょ」


流れるような、無駄の無い動きでもって。
まるで馬岱から奪い取るかのように、その細い腕を掴むとぐいっと引き寄せて。
引き寄せられれば腰を折る形で、座ったままの馬超へと向き合うことになる


「そうだろう?」


耳元へと直に触れる唇。
吹き込まれる低音。
わざと掠れさせたその声。


「何が…」


その心地良さに油断して、
引き寄せられたのとは逆の手を着物の前合わせにあっさりと差し入れられる。
僅かにはだけた部分から白い首筋が露になった。


「馬、超」


そこをさらりと一撫でするとその乾いた感触に、は身を引こうと力を込める。
けれど馬超はそれを咎めるように細い腕を掴む手を強めると、更に引き寄せて。
その首筋へと顔を埋ずめて。

肌に直接触れる、湿った感触。
ちり、と走る細い痛み。


「ん…」


微かな音と共に肌に落とされたのは、うっすらと残る鬱血の跡。


「………何のつもり?」
「これで文句無いだろう?」
「は?」


一旦、背後で真っ赤になって停止している馬岱と兵士達を横目に映すと、
すぐに真正面の馬超へと向けられるの憮然とした表情。
黒曜石を思わせるその双眼は酷くはっきりと『時と場所を弁えなさいよ』と非難していた。
けれど、そうした強さ故に艶やかさを帯びる瞳をこの上なく愛しく思っていたりする馬超は、
酷く楽し気に、劣らずの強気な色味をその緑の瞳に浮かべ、答えて。





「お前は俺のものだからな。
 俺以外に喰われないように、あらかじめしっかり自己主張してやったんだよ」





ほら、行ってこい、と。
掴んでいた腕をいかにも軽々しく解放した。





「………私は食べ物じゃないんだけど?」


甘い痛みに伴って僅かに熱を持つ首筋に、不服をやはり視線で訴える


「似たようなもんだろ」
「どうしてよ」


けれど、結局。





「夜な夜なこの俺が、あんなに美味しく頂いてやってるんだからな」





笑いながら「早く行け」と。
勝ち誇った笑みでもって、しっしと手首を振って寄越す馬超に。
首筋の痣に利き手を添えたまま、未だ動揺し続ける馬岱の腕を引いて食堂を後にした。



公明正大、公衆の面前で堂々といやらしい錦馬超。
いや、きっと奴は相当女慣れしてるんだろうなぁと。
しかし、桃まん一つにはあれだけ本気で腹を立てる…大人なんだか子供なんだか。