先生が風邪をひきました。
ココロ
「…すみませんね、」
「いえいえ」
症状はかなり高い発熱とそれに伴う倦怠感。
所謂"こじらせる寸前の風邪"という分類に収納されてしまうようなものだったけれど。
実際のところは風邪というよりはむしろ過労と、そう診断されるようなもので。
けれど先生自身の意向で、
『軽い体調不良という形で処理しましょう』ということに落ち着いた。
今や丞相という、劉備様についで蜀での最高の地位を戴く先生は、
もはや風邪の一つも勝手にひくことができないのだと、
愚鈍にも今回の件でようやくそれを悟った。
正直、そんな自分が情けなかった。
悔しかった。
「本当に…」
「それ以上謝ったらもう看病しませんよ?」
情けなくて、悔しくて。
また逃げの一手に軽口を叩いては、そんな内心をひたすら隠して。
私は今こうして寝台に横たわる先生の傍らで、水に浸した白い布を握っている。
「それは困りましたね」
そしてその先生はといえばおそらく、
そうした私の子供じみた心情や、
未だにそれらを上手く処理できない葛藤なんて大方お見通しで。
だからこそ今みたいに苦く笑って、私を傍らに居させてくれるのだろう。
「…先生」
雫の滴らない程度に布を絞って、そっと先生の額の上へと乗せる。
「ありがとう」と言って先生はまた柔らかく笑った。
その微笑に、私はまた言い様のない無力さを噛み締める。
「先生、私は…此処に居るべきでしょうか」
「…」
「それとも」
「───」
一度目の案じるようなそれとは質を変え、重ねて戒めるような声色で呼ばれる自分の名。
それに遮られる、自身でも一体何を言おうとしていたのかも判らないような台詞。
立場一変。
駄目だ、感情が先行して上手く立っていられない。
「それ以上貴女が自分を責めるようなことがあれば私は、
不必要に、元より無いような体力を削って、
思うようにならないこの身体でもって貴女を叱らなければならないのですよ?」
「すみま、せん…」
また。
また、だ。
「本当に困りましたね…」
先生にまた、先程と同じ台詞を口にさせてしまった。
「」
また、不用意に先生に気を使わせて。
「すみま、せん…っ」
優しいこの人の前では、負担になるから泣かないって前から決めているのに。
「それ程までに…無力感から涙してくれる程までに、
貴女が私のことを想って下さるの嬉しいのですがね。
嬉しいのと同時にやはり辛くもあるのですよ…理由が何であれ貴女が涙するのは」
でも、それでも。
いつだって、どんなときだって先生はそんな私の拙い感情を、
一つ一つ優しく掬い上げては丁寧に飲みほしてくれる。
「貴女にとっての私がそうであるように、
私にとっての貴女もそれは大切な存在なのですから」
私の憤りも悲しみも全て、その身と心で吸い上げてくれる。
「貴女が私をその心に住うことを許してくれたように、
私も心に住うことを許したのは貴女だけなのですから」
だから。
また私は馬鹿みたいに満たされて、こうして泣いてしまう。
「納得して頂けましたか、?」
「───…はい」
「ふふ、それに『体調不良』と称せば、誰にも文句を言わせずに貴女を独占できますからね」
今回は違いますが、と。
私は今や、貴女と過ごすためならば多少の言葉の綾も厭わなくなってしまったのですよ、と。
熱を持った頬を伴いながらも、やはり穏やかな笑顔でそんなことを言われてしまっては、
ただでさえ目の前の幸福に目が眩んでいる私に、返せる言葉などなく。
「…なら先生」
「はい」
「別にこんな時に限らずとも甘えて下さって構わないんですよ…?」
拙くとも、先生がそうしてくれるように。
私も先生にとって"満たす存在"でありたいから。
「ありがとうございます…けれど性分なもので」
それにもし私が本気で赤ら様にこれ以上無いぐらいに甘えてみせたら、
きっと貴女をまた泣かせてしまいますから、なんて。
そんな本気とも冗談とも取れない、何処か物騒ですらある台詞を口にした先生は、
物不相応な柔らかさで微笑う。
私もつられて笑った。
「それはまた厄介な性分ですね」
先生が、寝台へと腰掛ける私の手を握る。
「ええ、まったく…ですが」
私もその手をやんわりと握り返す。
「今だけは、目一杯甘えさせて頂きましょうか」
そうして手を繋いだまま。
随分とささやかな"目一杯"と共に、先生はすやすやと穏やかな眠りについた。
『その心に住まうことを許す』という言葉は、私が好きな洋楽の歌詞です。
だから本当は英語。Living in you。良い曲だ。
そういや好き好き言ってながら、先生SSは隠しとギャグしか置いてなかったなぁと思いまして。
何かあまりにも少女漫画臭くて、自分で書いておきながら恥ずかしさで途中息絶えそうでしたー。