「姜維」
突然、涼やかな声音が直接に鼓膜を振るわせたかと思うと、
ふわりと片頬に添えられた温もり。
「好きよ」
自分の唇に触れた柔らかい感触。
伝わる温度。
甘やかな微熱。
そしてゆったりと、離れていく愛しい感覚。
「好き」
口付けられたのだと。
そう気付いたのは、目の前でしてやったりとばかりに意地悪く微笑う、
猫のように綺麗に眼を細めた彼女の表情がしっかりと輪郭を得た後だった。
君から
「───な、な、な、っ!?」
ぐっと、一歩後ずさる。
すかさずすっと、一歩詰められた。
はっとして、遅過ぎるような気もするが弾かれたように口元を抑えれば、
至近距離のまま今度は声に出してまで笑われてしまって。
距離が距離だけに直に肌に触れる吐息。
それにまた素直に反応する自分の身体。
もしかしたら彼女にも聞こえているんじゃないかと思うぐらい、この心臓は飛び跳ねてる。
「本当に奥手というか何と言うか、今更ねぇ…」
「い、今更って!」
笑い疲れたのか一つ息を吐き出しそう零す彼女に、情けなくも声を上擦らせて抗議した。
どうにか熱を逃がそうと必死なのに、必死になればなる程熱を増すばかりのこの両頬。
ああ、もう本当にどうしたら良いのか。
「今更でしょ?
もう身体の中まで知ってるくせに…」
「っ!!」
「はいはい。本当可愛いわねー、姜維は」
「か、可愛いって…!!」
可愛い、と。
それでも一つ年下であるはずの彼女にそう楽し気に言われて泣きそうになる。
もう男の自尊心も何もあったものじゃない。
なのに。
「それとも嫌だった?」
「…っ!」
なんて。
そんなことはないわよね、などと。
言外に語る双眼を、機嫌良さげにまた綺麗に細められたりして。
「はずるいよ…」
「は? どうして?」
本気で泣いてしまおうかとも思う。
けれど泣いたところでこの熱が解消されるはずもないことは、
嬉しいやら悲しいやら、はたまた悔しいやら情けないやらでぐちゃぐちゃな、
混乱も極みなこの頭の中ででも、当然判断がついてしまう訳で。
とにかく茹でたように真っ赤になっているだろう顔をこれ以上見られたくなくて、
細い腰へと腕を回し、ぎゅっと力を込めて抱き寄せる。
彼女の顔が肩口に触れた。
「ずるい」
力を入れただけ縮まった距離の、抱き寄せただけ広がった触れあう面積の分だけ、
この身体中を巡る熱はこの鼓動と共に彼女へと移っていっているのだろうか。
「そうは言われてもね…」
幼子のような自分の、感情ばかりが先行する態度にも彼女は笑って流されてくれる。
言葉にしないままでも、余りあるこの想いを残さず汲み取ってくれる。
受け止めて、受け入れて、そして満たし返してくれる。
彼女はとても大人だと思う。
だからこそ余計に自分は酷く子供だと思える。
「触れるだけでも嬉しくて…恥ずかしくて。
自分はこんなに情けなく動じてるのに…はいつだって余裕で」
「…それって私がずるいの?」
「するいんだよ」
指先を絡める時も、口付けている時も、抱きしめている時も。
こうしてただ話しているときにだってさえ、
身体中にざわざわと広がるこの甘やかな熱をどうしたって抑えることなどできなくて。
なぜならそれはとてもくすぐったくて、恥ずかしくて。
けれどどこまでも心地よくて、抜け出せなくて。
それなのに、誰よりも自分の近くにいるはずの彼女はいつだって平然として変わらず。
彼女は彼女のままで。
彼女は彼女のままだから。
何故か自分ばかりが追い上げられているようで。
だから。
「僕ばかりだ」
本当に自分ばかりで。
もしかしたらこれは自分の独り善がりなのではないかと。
「…ずるい」
不安になる。
「───姜維」
凛とした声が自分の名を呼び、その響きに反応して自然と腕が緩まる。
緩まれば当然のように絡まる互いの視線。
「馬鹿」
「どうせ…馬鹿だよ」
「まったく…本当に奥手な上に鈍いんだから」
「鈍、い…?」
「そうよ、鈍ちん」
思いも寄らない単語を出された上に、眉間を指先で弾かれて思わず疑問符を飛ばす。
すると、『鈍ちん』なんて軽そうな単語には不釣り合いな程真剣な瞳を向けられた。
揺るぎないそれに、吸い込まれそうになる。
「?」
「ねぇ、本当にそう思う?」
「え…」
「自分ばかりだと、本気で思ってる?」
「それは…」
その声色はいつもと変わらないように聞こえるのに、
けれどそれでいていつもと全然違うもののような気もするから。
酷く、戸惑う。
「これでも判らない?」
「───!」
戸惑いに生じたふいを突かれて無防備だった背中に腕を回される。
その腕にぐっと、普段のそれとは比べ物にならないぐらいにきつく抱きつかれて、
心臓が大きく跳ねた。
肌が、髪が、呼吸が触れあって。
互いの胸がこれ以上無いぐらいに押し付けられ合って。
密着。
まさにそんな単語が最も相応しい状態。
「ッ、…っ」
「黙って」
「………」
「黙って私を感じて」
「な」
露骨で赤ら様な物言い。
けれど反論も抵抗も許さない強い口調に煽られて、酷く従順になるこの身体。
「聞き取ってとまでは言わないから感じ取って…私の体温を、心臓を」
言われて全神経を腕の中に集中する。
そして気付く。
「…どう、判った?」
「───うん」
普段よりもずっと、柔らかな熱を帯びたその体温に、鼓動に。
「じゃあ、私の言いたいこともちゃんと判るわよね?」
一際強く抱き締め返して肯定する。
重なっているような、もしかしたら本当は二人で一つなんじゃないか、と。
そんな優しい錯覚を起こす、重なり合う互いの体温と鼓動。
強く抱きしめた反動で一旦身体が離れると、顔を見合わせ二人一緒に微笑った。
「まぁ確かに"自分ばかり"ではあったわね、姜維」
「そうだね」
そう、自分ばかりで。
自分ばかりに意識が寄り集まるあまりに気付かなかった。
幸せ過ぎて気付けなかった。
「私だって同じくらい姜維が好きで、だからこそこんなに"動じて"るんだから」
自分がそうであるように、彼女だって甘やかな熱に浮かされていたということに。
「…うん。ごめん、本当に」
「私としては謝られるより、そこは甘い言葉が欲しかったりするんだけど?」
「そういうのってさ…自分から要求するものかな?」
「さぁ? でも生憎私はねだるの」
それとも、そんな図々しい私は嫌?なんて。
やはり笑って判りきった答えを求めてくる彼女。
「───僕はのそういうところも、それ以外も本当に好きだから」
どうかこれからも、僕に今以上に甘い言葉とその存在を下さい。
ッギャー!! 甘───ッッ!!!(恥)
妙に男の子喋りなウチの純粋培養姜維。
ウチの姜維は混ざり物一切無しの天然モノです(何かうなぎみたいな言い方だな…)