Holy-night.


「…火村先生って、ギャップ効果をこの上無く最大限に利用されてますよね」


ぽつり、と。
何となく零したそんな丸っきりの独り言に、
一歩先を歩いていた『先生』2人は、思い切り怪訝な顔を設えて振り向いた。


「あ?」
「ギャップ効果っていうと、アレやな。
 不良が電車やバスで老人に席を譲っていたりなんかすると、
 普通の人がするよりも一気に何倍も好感度が上がるっていう」
「逆もまた然り、ですけれど…まぁ端的に言えばそうですね」


常的に不信感を持つ相手が時に良識的な行為をとると飛躍的な信頼感が発生する。
逆に、常的に信頼感を持つ相手が時に非道徳的な行為をとると飛躍的な不信感を発生させる。
それがギャップ効果というもの。
ヒトは他人を見る時に、"ある程度"のイメージの枠に当て嵌めて思考する。
そうしてその他人に対して一方的にも"普通"という基準を勝手にも作り上げて、
決めつけて、相手を計ろうとするのだ。
そしてそんな思い込みともいえる身勝手な固定観念の破壊するような行動を相手がとると、
イメージの枠が崩れ、そこに不信感なり信頼感なりが発生する。
それらのプラスなりマイナスなりの感情が発生するの背景には、
誤情報を認識していた自身に対する正当化の心が働いているのだが。


「せやけど最大限に活用してるとは言い難いんやないかな?」
「そうですか?」
「まず、アイツは何事にも懸命な小説家に優しくない」
「ああそういえば」
「お前らなぁ…」


そう、この人は周囲の予想を見事に裏切っての愛猫家、
当人のニヒルさに大きく反して御老体に優しかったりするから。
人嫌いのくせに、誰よりも人の尊さを知っているような人だから。


「…俺を何だと思ってるんだ」


けれど。





「火村は火村に決まってるやないか」
「火村先生は火村先生に決まってるでしょう」
「………」





何よりも。
火村先生であるくせに、火村先生らしいことをするものだから。





「なぁ?」
「ええ」
「…もういい、お前らは帰れ」
「お、おい、ちょっと待てって火村!」
「奢ると言ったのは火村先生でしょうに…」





それこそが最大のギャップ効果なのだと、そう思った。



この後三人で屋台のラーメンをすすりに。
ささやかなクリスマスの食事の後の3人を。
やっぱりこうして3人ほのぼのとした会話は書いてて楽しいです。